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    ∵世紀の走り幅跳び対決+早朝松本レンジャイショー

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          +絶対に笑ってはいけないハイスクール

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明石家 さんま(あかしや さんま、1955年7月1日 - )は、日本のお笑いタレント・俳優・司会者である。本名、杉本 高文(すぎもと たかふみ)。タモリ・ビートたけしとともに、日本のお笑い芸人BIG3の一人といわれる。


プロフィール

和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)で生まれ、奈良県奈良市で育つ。
奈良県立奈良商業高等学校卒業。
吉本興業所属。
師匠は落語家の笑福亭松之助。なお明石家の「明石」とは、松之助の本名からきている(後述)。
趣味はゴルフ・テレビでスポーツ観戦・ギャンブル(パチンコや競馬)・テニス。
血液型はB型。身長172.5cm。


芸名(愛称)

「さんま」の芸名は実家が、水産加工業を営んでいたところから名づけられている。「明石家」は師匠笑福亭松之助の本名「明石徳三」からもらいうけたもの。「明石屋さんま」は誤字。なお弟子入り当初は「笑福亭さんま」であった。ちなみに当時杉本高文と同じく弟子入りしていた長谷川公彦が、師匠の島田洋乃介・今喜多代(現・今日喜多代)に「島田紳助」と芸名を決められた時、杉本は「その名前じゃ絶対売れない」とからかい、長谷川も落ち込む。が、そのすぐあとに杉本が「さんま」という芸名を貰った話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に長谷川に大笑いされるが、現在も紳助、さんまともにお笑い芸人の大御所として活躍している。
愛称は「さんちゃん」(所ジョージなどが使用し、嘗ては桂三枝の愛称でもあった)、「さんちゃま」また、中堅〜若手芸人からは「さんまさん」(ナインティナインなど)「さんま兄さん」(今田耕司など)と呼ばれている。また、所ジョージは「明石家さん」と呼ぶこともある。萩本欽一の「大将」、ビートたけしの「殿」に対する形で「若」という呼称もある(主にジミー大西などが使用)。近年はBIG3であることや長年に渡って、お笑い界で活躍したことから若手のお笑い芸人から「師匠」と呼ばれることはが増えている
自分のお笑いのためなら他人のオチを吸収してさらに面白くすることから「お笑い怪獣」という尊称で呼ばれており、これは田中直樹(ココリコ)が付けたとされているが、岡村隆史(ナインティナイン)か極楽とんぼが付けたとの説もある。
過去に「西の郷ひろみ」と呼ばれていたと笑わせるが、ごく一部の地域以外ではさんまは無名の存在であった。有名になるのは80年代になってからである。
同じくBIG3であるタモリ、ビートたけしからは「お前」「あんた」「さんちゃん」「さんまちゃん」と呼ばれ、さんまはタモリやビートたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、年上にも関わらず「ビート」(もしくは「たけ」、「たけし」)などと呼び捨てにしたり「あんた」「お前」などと呼ぶ。
村上ショージはさんまが暴走した時などに「先生」と呼ぶ。


芸風など

デビュー当初は当時人気だった阪神の小林繁投手の形態模写や漫談が主であった。
現在では司会業が中心で、番組などでのゲストや観客との会話は爆笑を持って迎えられる。レギュラー番組は多数で、中には二十年以上続く番組もあり、人気は絶大。聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。大袈裟な身振り手振り、外見、声、全てを含めて「明石家さんま」として完成した、ピン芸人の一つの頂点と言える。
俳優から引き出したトークを笑いのネタに変えてしまうその高い技術によって、永くバラエティ番組に対し消極的であった多くの俳優を呼び込み、今まで自身の失敗に対し口を開くことの無かった俳優達がこぞって自身の失敗談を語るようになったのは、さんまの功績であるといわれる。また、人の埋もれたキャラクターや個性を見抜き、引き出すことに長けており、中村玉緒や中尾彬等、今ではバラエティーに引っ張りだこの芸能人を多数発掘している。
どんな相手とでもトークを成立させる頭の速さを持つ反面、師匠の松之助と同様、芸には厳しく、気の合わない相手に対しては放送中でも陰湿に攻撃する(いじり倒す)場面も見られる。
ギャグを持っている若手芸人に対してはフリからギャグ、という流れを重要視して接するが、若手がそのフリに対応できなかったりした場合は不機嫌になる。これは彼が笑いの手法の一つ、「スカシ」を嫌っているためだと思われる。かつて『笑っていいとも!』で共演した松本人志(ダウンタウン)にもその場で出たギャグをやらせようと振ったが、無視されてしまったため激怒したことがある。
前述の通り、性格は気が短い事で有名。トークのテンポに関してはこだわりを持っているためか、相手が芸人ではない、トークにおいては素人であってもテンポを崩されると激怒する(番組中、ゲストに質問した際に相手が考え込んでしまうと、大抵は怒る。例え嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいらしい)。そのためフォローも出来なくなることがあり、島田紳助と比較されることがよくある。この事からか、素人や地方局アナウンサー等が登場する番組に参加すると視聴者が見ていても感じられる程微妙にして、ただならぬ不穏な空気が番組内に漂うことも。
いわゆる「出っ歯」(前歯が一般的な位置より少し前に出ていること)の代表的人物として有名で、原口あきまさがさんまの物真似をする場合、歯に出っ歯に見える飾りをつける。一時期その顔つきを自ら「新幹線『のぞみ』(恐らく新幹線300系電車)に似ている」と表現したことがある。
かん高い笑い声とドナルドダックの様な「クワーッ(もしくは「クエーッ」)」という引き笑いが特徴。音声学的見地からいえば、アホウドリの鳴き声と同じであるらしい(従兄弟弟子にあたる嘉門達夫は「引き笑い鳥」と名づけている)。普段の話し声は実年齢を遥かに上回る声と分析をされたがこの笑い声だけは30代の声と解析された。
期待の若手芸人から日本を代表する大物タレントへとのし上がる過程の時期には、自分と同格(上下が微妙な相手)のタレントに対し、格上であることを見せつけようとする態度も目立った。志村けんや小堺一機らを呼び捨て(格下扱い)にし、視聴者に違和感を与えたこともある。現在でもトークで突っ込む時は格上のタレントでも呼び捨てにしているが、それは別次元の話である。(小堺一機は後輩)
ゴールデンタイムでは不適切とされてきた「SEX」という言葉を「エッチ」と言い換えることで、10代の未婚女性などでも発言可能にしてしまった。「バツイチ」なども同様。婚前交渉、婚外交渉、離婚といった従来なら表だって語りづらかった事項から、後ろ暗さを大幅に払拭してしまったと言える。芸人に飲む打つ買うの「遊び」は付き物とはいえ、本業の場でさんまほどそれをあからさまに語った者は珍しいと言える。言語面だけではなく、文化・風俗・習俗の面に関しても、TV界、ひいては日本の社会全体に多大な影響を与えてきた。
とにかくテレビっ子である。自分が出演した番組をビデオ録画し、自宅に帰ってそれを見ては大笑いし、または反省する(といっても自己否定的な評価は余りしない)のは有名であるが(そのことを嘉門達夫にネタにされた)、家にいる時間はとにかくテレビを見ている。睡眠時間が極度に少なく、ゴールデンから深夜番組まで何でも見ているため、他の大御所芸人とは違い、若手芸人のネタなどを何でも知っており、中堅芸人(ナインティナイン・くりぃむしちゅーなど)でさえも気を抜けないという。またさんまは、その当時流行している言葉等を自分で真似る、もしくは連呼することが多い。波田陽区をテレビで観たさんまが、「残念!」などの決め台詞を真似し、そのことが波田のブレイクに大きく影響を与えたともいえる。
前述した通り、睡眠時間が極度に少ない。雨上がり決死隊・宮迫博之曰く、「仕事で3日間一緒だったけど、多分あの人はあの3日間一睡もしていない。行きの飛行機の時間が早くあまり寝てなかったので機内で寝ようとしたら、『寝たらあかんで、宮迫』と起こされた。また、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、「ヨッ、宮迫」と、何事も無かったかのように元気なさんまさんがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまさんが生放送の番組に出演していた」。またタモリ曰く、さんまは寝付くのは異常に早く、ずっと喋り続けた後「じゃあ寝まっか」と言った次の瞬間には寝ていたらしい。それでも、痛快!明石家電視台(毎日放送)収録後の新幹線では寝てしまうこともあるらしい。すぐ後ろに座っていた宮迫博之が「あ、さんまさん寝てる」と思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝てたこと)絶対言うなよ」とくぎを刺した。
大のスポーツ好きであり、運動神経抜群と自ら豪語する。高校時代はサッカー部に所属(県大会決勝まで勝ち進んだ経験有り)。1980年代には「ザ・ミイラ」という芸能人サッカーチームのエースストライカーとして活躍した(このチームには木梨憲武や島崎俊郎、植草克秀なども所属)。観るのも大好きで、夜通しCSのスポーツ専門チャンネルに噛り付くとか。そのためオリンピックやサッカーFIFAワールドカップの特別番組で数回キャスターを務めたことがあり、番組中のトークでも分かるとおり他のタレントのようにいわゆる「お飾り」状態と違いスポーツに対する造詣が深いことが伺われる。しかしながら、特定の選手やチームに肩入れしてはしゃぎ回ることもしばしばで、テレビ界での立場が強いのかそれを制する人もいないためさんまのゲスト出演にうんざりさせられるスポーツファンは少なくない。
バツイチ(この言葉自体明石家さんま離婚会見後に急速に浸透した)であり、それに関することをトークでよく述べていることから、それを売りにしているということがわかる。またさんまが再婚したら、彼の出演している恋のから騒ぎ(日本テレビ)、さんま・中居の今夜も眠れない(FNSの日・フジテレビ)は終了する予定である(フジの方は相方である中居が結婚した場合も終了となる)。だが本人は「80歳になってもから騒ぎをやる」と語っていることから、真相は不明。
若手芸人に対する「ダメ出し」も有名で、ナインティナインの岡村隆史が自身のラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の中で、電話でさんまにダメ出しや採点(点数付け)をされたエピソードを暴露している。「自分が出演した番組のビデオを見るのが大好き」という趣味も含め、さんまの芸に対する真摯な一面が垣間見えるエピソードである。くりぃむしちゅーや雨上がり決死隊も『痛快!明石家電視台』収録前によくダメ出しされているらしく、「テンションが下がるからやめて欲しいです」と言っていた。その雨上がり決死隊の宮迫博之がさんま邸を訪れたところ、さんまはなんと『さんまのまんま』のハッピを身に着けていたらしい。
一部の番組では自ら企画構成も行っている。その時の名義は本名の「杉本高文」となっている。
『さんまのまんま』に若手女性タレントや若手女優が出演すると、泣かしてしまうことが多い。酒井法子、山瀬まみ、羽野晶紀、西田ひかるなどが泣かされた。また、別番組の『さんまのSUPERからくりTV』では小倉優子が泣かされた。特に山瀬は習字を披露したが、下手くそ振りに、激怒してしまった。放送中に泣かしたタレントのマネージャーから謝罪を突きつけられることが多かったが、師匠の松之助と同様、芸には厳しく「現場は戦場や!」と断言するさんまは拒否し、「泣くぐらいやったら俺の番組に出んなよ!」と言い負かしたこともあるらしい。それ程、すぐ泣く芸能人に対しては厳しい一面があるが、あとで楽屋に謝罪に行くなどフォローも怠らない。尚、この時に山瀬が発した「だって二段だもん」という言葉は、その後しばらくさんま及び山瀬本人がギャグとして使っていたが、書道には公的な機関或いは相応の権威を有する機関が認定している「段位」は存在しない。通常、児童等が書道塾等で授与される段位は塾の経営者や講師或いはその系列の機関が独自の基準で発行しているものであり、客観的に認められる実力を保証するものではない。さらに別の番組で「二段を取ったのは小学生の時」と発言。一般的に小学生時代に取得した段位は、プロフィールや履歴書では書いてはいけないことになっている。山瀬が二段という割に、実力が伴っていないのはこのためである。
関西ローカルで『痛快!明石家電視台』、『ヤングタウン土曜日』の2本の番組があるが、これは「大阪の番組という初心を忘れないため」だと言われている。島田紳助が『クイズ!紳助くん』を置いているのと同様の理由である(とはいえ、東京を主にしているので余程の事がない限り大阪では仕事をしない。レギュラーの2番組のうち実際に大阪で収録しているのは前者のみである)。
年末から翌年のお正月にかけてオーストラリアに滞在するためクリスマス明けからお正月の生放送番組には出演せず、年末の仕事終わりは『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』となる。その代わり、クリスマスの特番には多く出演している。
番組制作スタッフとの確執からか、1985年以降テレビ東京制作番組、1995年以降テレビ朝日制作番組には一切出演していない。テレビ朝日に関しては、司会を務めていた『さんまのナンでもダービー』が打ち切られたという背景がある(その後は『ま、いっか。』、『ミュージックステーション』などにゲスト出演した)。ただし、テレ朝系でも朝日放送(ABC)制作番組には現在でも出演している。テレビ東京では司会を務めていた深夜番組『サタデーナイトショー』が高視聴率にも関わらず打ち切られた背景がある(理由はお色気番組が視聴率トップでは体裁が悪いという上層部からの指摘だった)。NHKの出演もほとんどない(1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』に出演した)。1980年代後半は東京のテレビ局に関して言えばフジテレビにしかレギュラー出演しなかったりと、テレビ出演には特定の局に偏る傾向がある。三宅恵介、加茂裕治(共にフジテレビ)、吉川圭三、菅賢治、小川通仁(共に日本テレビ)ら親密なディレクター・プロデューサーらと二人三脚で番組作りをすることが多い。オフィスぼくら社長である岩立良作や藤沢めぐみ、大岩賞介などの構成作家がさんまの主なブレーンとなっている。
同じ世代ということで親交のある中村勘九郎(現・中村勘三郎)の依頼もあり、NHK大河ドラマ『元禄繚乱』にゲスト出演する(遊郭の主人役)。その際、遊興にふける勘九郎扮する大石内蔵助に「嫁ハンには気を付けや」とアドリブを入れる(内蔵助の妻、りく役はさんまの元妻・大竹しのぶ)が、オンエアではカットされていた。
番組出演時に自らの理想の女性についてよく語る。その理想の女性とは『うる星やつら』のラムと『タッチ』の浅倉南である。ゆえにさんまは、かわいくて一途(ラム)で清楚かつ優しい(南)女性が理想であるようだ。ラムを好きな理由は、「浮気をしても電撃だけで許してくれるから」だとか。ラム好きのせいか、歌のうまい共演者に「ラムのラブソング」を歌わせることがある(「あんまりそわそわしないで……」のフレーズが好きらしい。例:加藤たか子−G1グルーパー、木村拓哉−さんタクなど)。最近ではメグ・ライアンが理想の女性と言っている。
薬師丸ひろ子、石原真理絵、内田有紀、米倉涼子など、時代の変遷とともに好みの女性がコロコロ変わる。最近では上戸彩、長澤まさみ、大塚愛の3人が好みともよく発言している(上戸が『恋のから騒ぎ』出演時、発言。後に『さんまのまんま』に、大塚が出演したときも発言している)。しかし長澤寄りの態度が目立ち、上戸から嫌われている(当然、上戸のジョークではあるが)。
年齢が30歳を越えた女優なら「大女優」じゃなくても「大女優」と呼び持ち上げる。
近年は「女は料理ができなきゃアカン」「家事は女の仕事」など、女性にあれこれと自分の世話や好きなことを要求する発言が目立つ。そのため一部からは「さんまは男尊女卑」だと批判されている。一方女性が男性側に要望することには怒りをあらわにしており、単なる自己中心という見方もある。
萌える設定として、しばしば「白いセーターを膝にすっぽり被せて体育座りをし、『知んないよ…。いなくなっても知んないよ……』と呟く女性を後ろから抱き締める」というものを挙げている。
東西のお笑い芸人達が仕事抜きで開催するゴルフコンペにおいて、自分以外の者が優勝しても「真の優勝者はワイや」と豪語する。その理由も「(○番ホールでの)球筋がよかった」だの、「(○番ホールでの)スイングのキレがよかった」だのとピンポイントでの調子よさを強調する。負けず嫌いというより極端に前向きな性格の片鱗といえよう。


評価

NHKが1975年から2003年にかけて毎年実施していた好きなタレント調査では、1985年に男性1位に選ばれてからは、2003年に調査終了するまでの19回のうち通算12回で男性1位を獲得、それ以外は全て男性2位となっている[1]。明石家さんまが、この期間に日本で最も人気のある芸能人であったことを示している。
ビートたけしが著書『コマネチ!』の中で「こいつには負けた、と思った数少ない中の1人」とさんまのことを評した。
島田紳助が初めてさんまを見たときの印象は、「24時間明るい」「こんな華のある奴は見たことない」。そして「俺と肩を張れる奴はこいつしかおらん」「自分がもし負けるとしたらさんまとオール巨人だけ」と当時を振り返っている。(ちなみにさんま、紳助、巨人の3人はみな吉本同期である。)
島田紳助から「コンビ組まないか」と誘われたが、「別れがイヤだから」と断っている。そして自分のかわりとして紳助に紹介したのが松本竜介であり、その結果紳助・竜介が誕生することになる。さんまがコンビ結成を断ったのは、紳助の才能を見抜いていて、一緒に組んだら捨てられるのではと判断したのではないかと思われる。実際、竜介が紳助に切られる形で紳助・竜介は解散した。さんまの判断は正しかったのである。
さんまの落語については、島田紳助は自身の番組で「(一度見たことがあるが)つまらなかった」と語り、春風亭小朝は「あれだけの話術を持ってる人なのに、驚くぐらい面白くない」と評していた。小朝とはTHE MANZAIで漫才をしたことがある。生前の古今亭志ん朝にも「どこが面白いのかさっぱり分からない」と真顔で評価され、これにはさんまも返す言葉がなかったとか。ただし「枕は面白い噺家」との評価がある。従兄弟子の笑福亭鶴瓶は過去出演のラジオで、枕のみオンエアした。
芸人だけを集めて台本なしで番組を作った場合、MCとして主導権を握れるのはさんまと紳助であると言われている。上岡龍太郎は「素人相手に喋ったらさんま、芸能人相手なら紳助」と評している。
戦前から戦後にかけてお笑い界トップスターとして活躍した柳家金語楼と、現在の明石家さんまの共通点を指摘する論者は、お笑い評論家・西条昇を始めとして少なくない。

1. どちらも落語家を出発点とし、落語家の枠を超えたスーパースターになった。金語楼は大正末に『兵隊落語』で一世を風靡、その後は映画や軽演劇にも進出した後、1942年に落語家の鑑札を返上、喜劇俳優に専念する。戦後は『おトラさん』『ジェスチャー』などでテレビタレントとして人気を博した。さんまは笑福亭松之助門下の落語家として出発するが、現在はテレビタレント・司会者・俳優として大活躍なのはご承知の通り。
2. どちらも吉本興業のトップスターである。現在のさんまが吉本のトップスターであり、その年収もトップクラスであることは言うまでも無いが、実は金語楼も戦前は東京吉本に所属しており、横山エンタツ・花菱アチャコ・柳家三亀松・川田義雄と共に吉本の五大スターと称されていた。そして戦前の吉本で最も高給を取っていたのが金語楼であった。
3. どちらもお笑い界ビック3の1人。金語楼は喜劇俳優の榎本健一・古川ロッパと共にビック3と言われた。さんまもビートたけし・タモリと共にビック3と称される。
4. どちらも息の長い芸人である。金語楼は大正末の『兵隊落語』以降、長い人気を博し、戦後は失速していった榎本健一・古川ロッパを尻目にテレビ時代の波にも乗り、晩年まで第一線で活躍した。さんまも1981年の『オレたちひょうきん族』で全国規模の人気者になって以来、現在の若手お笑いブームもものともせず、長期に亘ってお笑い界トップの座に君臨し続けている。


家族

幼少時に実母と死別している。また、1983年に弟が火事で焼死し、実父は2006年2月4日に死去。この亡き父親は、グラビアアイドル山本梓の父親と姻戚関係にある。ちなみに弟の焼死の際には家業(上記参照)とのからみで、関西のスポーツ紙見出しは「さんま丸焼け」と書かれていた(近年さんま当人もTVでこの話題をすることがある)。祖父・乙一は晩年痴呆が進み、喋るポットに話しかけたり、家に張ってあるさんまのポスターに「高文、何をそんな所からのぞいてんねん」と怒ったりしたという。
1988年9月、女優の大竹しのぶと結婚、長女・いまるが誕生するが、1992年9月に離婚。その後は独身を続けている。
前妻の大竹しのぶとは離婚した今も仲がいい。よく大竹とその母、子供などと旅行など遊びに行ったり、大竹の家を訪ねたりしているらしい。テレビの番組でもさんまがしのぶを話のタネで使い、しのぶからおっとりと突込みが入るパターンはすでにネタの一つ。しのぶは、家族の名前が数字の語呂合わせになる(いまるの「い」で1、二千翔の「に」が2、さんまの「さん」が3、しのぶの「し」が4)事から「今は3がいない」とネタにした事もある。しかし、復縁は双方とも否定している。このように、さほど仲が悪いように見えないにも関わらず離婚し、その後さんまのトークに離婚関連のネタがおもしろおかしく語られる事から、一部の芸人の間では「あれは(トークネタを作るための)偽装離婚だったのではないか」という説が流れたらしい。
子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っているが、実際のところは大竹と前夫(演出家の故・服部晴治)との息子である二千翔(にちか)がいるからと言われている。彼とさんまは非常に仲が良く、当初大竹と結婚した際、人見知りが激しく誰にも懐かなかった二千翔がさんまには懐いたという。大竹との間にいまるが生まれた後も、帰宅した際はまず二千翔とスキンシップをとり、その後いまるの元へ行ったというほど分け隔てなく愛情を注いだ。そのため離婚の際も、二千翔は「ボスの方に行く」と言い張ったという。その関係は現在も良好で、自身のラジオ番組等では、娘と同様よく話題に上る。
座右の銘は「生きてるだけで丸もうけ」であり、さんま曰く、長女の名前も座右の銘から「いまる」と名付けたとしているが、大竹しのぶは「今を生きる」から名付けたと言っている。しかし、名前が公表されている(特にさんまが『痛快!明石家電視台』のオープニングトークで喋っている)にもかかわらず顔出ししたことが一切無い(2006年、大竹しのぶが出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された)。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹しのぶや長男の二千翔(にちか)とともに電話出演が一度ある。
2006年7月23日放送の『おしゃれイズム夏の60分SP』によると、現在のところ再婚する気満々らしい。あと、番組中にいまるが3歳の時に製作した父の日の初めてのプレゼントを宝物として紹介し、形が悪いなどと文句も述べていたが本人はかなり大事にとっているらしい。
その際、MCの上田晋也が(ギャグで)「これ(娘から初めてもらった、上記のプレゼント)何すか?」「これは置いといて、他の(さんまの)ご自慢品を紹介して下さいよ。」とさんまにふり、激怒されていた。(これもギャグであろうと思われる。)
しかし前述の通り、あまりにも歳の離れた女性ばかり狙いすぎている(たとえば、長澤まさみの父よりもさんまのほうがかえって年上である)上に、あまりにも現実離れした(ラブラブな)結婚生活を思い描いているため、後輩たちもさすがに呆れている。上田晋也には「さんまさん・・当分結婚無理ですね」と、駄目出しされてしまった。


私生活

石原真理子著の『ふぞろいな秘密』で本名を公表されるが『踊る!さんま御殿!!』では出演者が暴露されたことについての話をしている際、「おれなんか本にされたで!!」とネタにするなど深刻には受け取っていない
以前はラジオ番組などで「合コンは嫌い、何が楽しいか分からない」と熱弁していたが、現在では合コン大王としても有名。ことあるごとに関根勤、渡辺正行(大魔王)、ガダルカナル・タカ、笑福亭笑瓶らと合コンをしている。芸能界の遊び王である津川雅彦、奥田瑛二とも合コン仲間である(合コンに関してのみ、村上ショージは参加しない)。
最近の愛読書は漫画の『NANA-ナナ-』。特に主人公の小松奈々の大ファンだという。
納豆が苦手。前妻大竹しのぶやその家族にも「納豆だけは自分の目の前で食べないでくれ」と言っていたと本人が語っている。(離婚間際には目の前で食べられる)
愛娘の影響で近年はヒップホップ音楽を愛聴しており、(エミネムが特にお気に入り)時々腕を組んでラッパーの真似をすることがある。また、「子供の頃のビヨンセは『天使にラブ・ソングを…』に出ていた!」としばしば発言しているが、間違いで、おそらく『天使にラヴ・ソングを…2』に出演していた、若き日のローリン・ヒルと勘違いしている。(2006年12月2日の『ヤングタウン』での「前略のコーナー」直前の発言からこの勘違いは修正されている様子)
よく番組内で共演者が「さんまさんは普段からあの調子でベラベラ喋っている」と言うことがあるが、実際そのままであるらしく、『痛快!明石家電視台』の収録の為の新幹線内では、隣同士に座る共演者の松尾伴内と行き帰りの4時間以上、ずっと喋り続けており、宮迫博之(雨上がり決死隊)や上田晋也(くりぃむしちゅー)らから「他の乗客は疲れて寝たいサラリーマンの人達ばかりなのに、ずっと二人が喋り続けているから寝れなくて困っている」と言われている。喉への負担も大きく、寝起き時はかすれた声しか出ない。
お笑い芸人の中には客を「笑わせてやっている」などと軽蔑する人も多い中、さんまは客を馬鹿にしないタイプである。ある番組で理由を「(つきあっている)女は横でしゃべり続けるとすぐに笑わなくなり、飽きて俺のことをうっとうしがってくる。しかしお客さんは自分から進んで話を聞きに来て笑ってくれる。こんなにうれしいことはない」と語っている(が上述のように、トークの邪魔になったりテンポを狂わされたりすると、素人相手でも本気でダメ出しをする)。
オーストラリアのゴールドコーストに別荘を持っており、年末から翌年のお正月にかけて約2週間滞在するのが恒例(さんまの個人事務所「オフィス事務所」に所属する村上ショージ、ラサール石井も毎年同行する。また、同じオーストラリアに別荘を持つ星野仙一、和田アキ子、板東英二らと合流してゴルフをする)。この滞在中にも昼夜問わず喋りまくり、2004年正月には同行していた一般の友人夫婦がさんまの喋り過ぎ、夜中までの談義で倒れ、病院に運ばれたことが村上ショージの暴露で明らかになった。声をかけられると誰にでも手を振るため、2006年の正月には個人輸入業者と間違われ現地警察で数時間拘留されたという。
大の愛煙家である。銘柄はマールボロ。さんまのまんまでは、よく喫煙しながらトークするシーンが見られる(ただし、目上の人や、未成年がゲストで登場した場合は基本的には吸わない。また、目上(年上)のやしきたかじんなど、親しいゲストの場合は喫煙することもある)。中谷美紀がゲストにきたとき、さんまは中谷にどんな男性が好みか聞いた。中谷が「煙草を吸わない人」と答えると急に不機嫌になり、中谷に対して「わがままだ」などと口に出してしまったことがある。ファンの間では、「煙草をやめてほしいという人がいるが、潔癖症持ちの人が嫌いなのでは」と言う声もある。
後輩に「お前らが出なアカン番組は『爆笑オンエアバトル』や!」と言っている。さんまは『オンエアバトル』が大好きで、若手芸人のチェックにも余念がない。
日本に3冊しかない、アメリカの人気ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』season Vの台本を持っている。
滅多に体調を崩さない。そのため、37度の微熱でも当人にはとても辛く感じられるという。風邪を引いたときは、みかんを食べて太陽に向かって走るらしい(実際にやった東野幸治は逆に悪化したという)。
大の愛犬家である。トーク中にチワワの会話になると機嫌がよくなる。


ひょうきん族

1981年にビートたけしや島田紳助などとともにフジテレビ系のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。これを期に全国規模の人気者となる。
人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、当初は高田純次が務めていた。しかし第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、代役として急遽さんまが抜擢された。
出演当初は、春風亭小朝と即席漫才コンビを組んで出演したこともある。
1985年の日本航空123便墜落事故では、事故機に搭乗予定だったが、搭乗を1便早めたために命拾いをする。当時東京〜大阪間の移動に使っていたのが同便で、事故当日は普段あった『オレたちひょうきん族』の収録が中止となり1本早い便に搭乗。事故の当日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組は殆どが事故の報道だった。途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことを告げ、「もう今日はしゃあないやろ」とぼやいていた。その後はずっと音楽が流されていた。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、移動手段を新幹線に変更した。
『ひょうきん族』時代、「パーデンネン」のメイクをしていたさんまは、派手な服装やヘアスタイルで有名だった芳村真理から、「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。さんまは未だにこのエピソードが強烈に記憶に残っているらしく、『夜ヒット』或いは芳村真理と言えば真っ先にこのエピソードを紹介することが多い。また、芳村の代名詞ともなっていた「どおもー」という挨拶であるが、実際にはさんまが『ひょうきん族』などで芳村の物真似をしていた中で「どうもー」を連発していたことから、芳村=「どおもー」のイメージが定着してしまった(実際、芳村が「どおもー」を言ったことは少ない)。
私生活で女性の出入りが激しいことが語り伝えられ、本人もそれを否定せず「日本一の最低男」と開き直るようになった。その詳細を知る(?)島田紳助が『ひょうきん族』のコント劇の中で、さんまの住むマンションの前でさんまの帰りを待つ女性を演じ、さんま及び付き合っている女性しか知り得ないような内輪ネタを披露するというシリーズがあった。さんまに冷たくあしらわれた女性(紳助)がぽつりと漏らす「寒い……」という台詞も受けた。
1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の元再発売され、フライデー襲撃事件でたけしのいなかった『ひょうきん族』でもこの曲が流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。
「ひょうきんニュース」のコーナーに出演する時は、本名の「杉本高文」を名乗っていた。
数々演じてきたキャラクターの中で、「パーデンネン」だけは恥ずかしかったらしい。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、ビートたけしが一番好きだったキャラクターは、3週で消えた「サラリーマン」である。ちなみにカルチャークラブのボーイ・ジョージにパーデンネンの格好を見られたとき"You crazy"と言われた。
番組終了後、フジテレビの美術スタッフから歴代キャラクターのフィギュアを贈られ、宝物にしている。
「ひょうきんベストテン」の初代司会者である。


競馬

競馬に詳しく、2003年・2004年のJRAのイメージキャラクターを務めた。時々番組内で競馬について語り、フジテレビの競馬番組「うまッチ!」内に「さんま馬主プロジェクト」なる企画が登場。手始めに「マイネル」の冠号で知られるラフィアン・ターフマンクラブの岡田繁幸が妻岡田美佐子名義で所有する馬に馬名を付けて欲しいとのことで「シャチョマンユウキ」と命名。喜劇映画の名作「社長漫遊記」にちなんでいるが、JRAの規定により9文字以下でなければならないため「ウ」が抜けた。また、後日他の牝馬にも「シアワセナンダッケ」と命名された。
2004年の日本ダービーに岡田の妻岡田美佐子が所有するコスモバルクで勝負し惨敗。コスモバルクの枠が5枠(黄色)だったため、黄色のスーツに黄色のネクタイを着用。表彰式では勝利したキングカメハメハの手綱を取った安藤勝己に対してトロフィー等のプレゼンターを勤めた。
同郷の杉本清(奈良県大和高田市出身)とも親交があり、桜花賞、天皇賞(春・秋)、日本ダービー、宝塚記念、菊花賞、エリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念の前日には「サタうま!」で予想トークをする。また年末に「夢競馬」として1年間のGI振り返りトークする番組がある(両番組とも関西テレビ制作である)。


子供時代

さんまの出身小学校には、小学生当時捕まえた「ももんが」が展示されているらしい。また当時「ももんがを捕まえた少年」として話題になったそうだ。TBS放送『明石家さんちゃんねる』2006年3月7日、若手芸人とのやり取りで話している。


内弟子時代

1974年2月、県立奈良商業高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代、兵庫県西宮市甲子園に住んでいた。当初は、「笑福亭さんま」という落語家だった。
入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったから。初めて顔を合わせた際、「なんでワシのところに入門してきた?」と松之助に言われたさんまは、「あんたにはセンスがある」と言った。さんまとしては素直な気持ちを伝えただけなのだが、普通なら怒りたくなるような不遜な発言である。だが、逆に松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。また、さんまが東京へ駆け落ちを理由にして飛び出し、その後破局して帰ってきたとき、松之助はさんまを破門にせず暖かく迎えたというエピソードがある。
駆け落ちによる破門騒動(実際は破門などの事実は無いが、周りのタレントはそう呼んでいる)があり、松之助も「笑福亭の屋号やったら協会からの目も厳しいやろうから」と配慮。松之助の本名「明石徳三」から「明石家さんま」と命名され、「初代形態模写家元・明石家さんま」を襲名する。そして、芸に対しての厳しさを師匠から教わった。
改名については落語の出来ない「笑福亭」はいかがなものか?と、松之助の兄弟子6代目笑福亭松鶴から問われ、それじゃ変えてやるわということで松之助が変えたと言う説もある(ABCテレビ「ナンバ壱番館」で松之助自身が語っていた)。また、林家染丸の証言によれば、さんまは内弟子時代、真摯に落語に取り組んでいたようである。勉強会にも参加し、結構熱心だったという。
今いくよ・くるよの二人は当時のさんまについて「ものすごいりりしい好青年やった。正座して師匠の着物整頓してて…」と話している。


関西ローカル時代

1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現在の上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としです」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「テレビで言って良いことと悪いことがあるぐらい覚えておきなさい!」と叱責される。しかし、横山やすしには気に入られ、その後やすしの家に招待された(朝まで飲まされた上に、「ボートのエンジン音当てクイズ」なるものをやらされ散々だったとのことである。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している)。この「事件」はさんまにとって大変ショックだったらしく、後年あるTV番組で藤本義一に対して批判ともとれる発言をしている。
毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。「チャッピー」と名付けられ、司会の桂三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガースの小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9ヶ月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。
兄弟子に当たる五所の家小禄と漫才コンビを組んでいたことがある(ちなみにその当時のVTRは現在もよみうりテレビに残されている)。
駆け出しの頃は、よく同期の島田紳助と二人で遊園地などに営業に行っていた。このほか、同期にはオール巨人、桂小枝らがいる。また中川一美(寿一実)と一緒に新喜劇の舞台で共演していた事がある。
1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』の司会を担当。同名のバンドや、紳助・竜介らと共演し、関西の若者を中心に人気を呼んだ。
1979年、シングル「Mr.アンダースロー」で歌手デビュー。大阪ガスのCM曲だったこのシングルは、オリコンの大阪チャートで1位を獲得した。キャッチコピーは「頼れるエースはアンダースロー」。「CMが放映されブレイクしていた時に、番組内で『燃料といえば?』と振られたので、あえて『練炭』と答え大爆笑を誘ったが、ガスのCMから降ろされてしまった」と本人はネタにしている。
また、『花王名人劇場』(関西テレビ制作 フジテレビ系)の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。芦屋雁之助演ずる山下清をいびりまくる演技で、注目を受ける。


1980年代前半

20代の頃は、芸能人オールスター運動会で、田原俊彦など当時人気絶頂のアイドル相手に空気を読まずにリレーで先着したことがある。番組関係者からこってり怒られたらしい。
1984年6月22日、笑っていいとも!に出演した作家の有吉佐和子が、テレフォンショッキングで42分間にわたるお喋りで番組をジャックした際、あまりの喋りの長さに有吉に食って掛かり大喧嘩の様相を呈した。その2ヵ月後の8月30日有吉佐和子が急性心不全で死亡し、タモリが「あの時お前が喧嘩したから死んだんだ」といいとも本番でネタにしていた。


1980年代後半

1985年、サザンオールスターズのアルバム「KAMAKURA」のテレビCMに出演した。その時のギャラはCDウォークマン(当時の価格としては5万円相当と推測される)だけだったという話を多くのレギュラー番組で吹聴したが、実際のところは判然としていない(桑田佳祐はサザンの20周年特番内で本当だったとコメントしている。ただし、桑田もこのテのギャグが大好きなので真偽は依然曖昧なままである)。さんま本人は「焼肉をおごってもらっただけ」と言っていた時期もあるが、実際はやはり不明。
『夕やけニャンニャン』のとんねるずのタイマンテレフォンに飛び入り出演したことがある。
1985年8月12日、搭乗予定だった飛行機をたまたま1本前の便に変更したため、日本航空123便墜落事故を免れた。さんまはこの事故に大きな衝撃を受け、これ以後しばらく東京-大阪間の移動には飛行機を利用していなかった。
1987年、ナムコがファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売し、ヒットする。
198X年XX月XX日、第X回東京国際映画祭においてタモリとともに司会者をつとめる。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で批難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言って笑いをとった。
198X年XX月XX日、フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオ』にゲスト招待されたが、知っとるケのコント衣装のままで現れた。完全にスベったようで、その当日出演のアイドル歌手・堀ちえみにも完全無視され、ゲストの外国人アーティストにも「アー・ユー・ア・シンガー?」と質問された。


1990年代前半

この頃には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇してタレントとしては陰りが見え始めてきた。さんま自身も全国放送のゴールデンタイムのレギュラーがなくなった事で「さんま限界説」が業界内で囁かれたり、結婚によって守るものが出来たため、「このまま芸人を辞めてもいい」と思うようになっていた。それまで異性関係などがだらしない「日本一の最低男」として売っていたさんまが、「さんまのまんま」等で若手の俳優やタレントに人生訓を説教するような場面も見られるようになった。相手が若い女性タレントの場合は相手の欠点や間違いを事細かに指摘したあげく、最終的に泣かせてしまうことも多々あり、泣かされたタレント本人だけではなく視聴者にも嫌悪感を与えることが少なくなかった。これも結婚の影響(悪影響)だったと見る向きもある。しかし、1992年の離婚やバブル崩壊による借金などを契機に、守るものがなくなったさんまは猛烈に仕事をこなすようになり、再び勢いを盛り返し始めた。そして『からくりTV』や『恋のから騒ぎ』といった人気番組を得るに至る。
1993年12月、かねてから親交の深かった逸見政孝がガンで死去した際「逸見さんがテレビでガンを告白した時、『この人はもう帰ってこれないだろうな』と正直思いました。正直ね……」と、無念の表情で語った。
この頃、東西の芸人(芸能人・タレントよりも狭義)でのゴルフコンペ「素人名人会」が行われており、さんまも常連参加者であった。ある回で第1打を打とうとしたところ、自慢のドライバーのヘッドがなぜか折れていて、シャフトだけを振りかぶっていた。(同組の上岡龍太郎から「さんまくん、今日は釣りか」とつっこまれて気がつく)錚々たるメンバーの揃った会でありながら、その中でも最も目立つことをしてしまい、参加メンバーの番組で軒並み語られることになる。


1990年代後半

1995年の夏、明石家さんま主催の特番『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』で「オールスターフリースロー選手権」を開催。さんまの「俺はフリースロー、負けないぞ!」という発言が、翌年フリースロー全国大会を実現させる引き金となった。
1995年の秋、長年レギュラーだった『笑っていいとも!』を卒業。
1996年、フジテレビの人気ドラマ番組『古畑任三郎』に出演、やり手の弁護士小清水潔を熱演する。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家の三谷幸喜に対して法廷物をやることを提案する。自らも法廷物が好きな三谷は快諾し脚本を書くが、余りにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に激怒したほどであったという。撮影後は「法廷物はもう嫌だ」と漏らしたといわれている。しかしその甲斐あってか、「しゃべりすぎた男」は古畑ファンからの評価も非常に高く、「汚れた王将」「ゲームの達人」と並んで古畑シリーズの傑作のひとつに挙げられる。ちなみに後に同作に出演したイチローは田村正和からセリフを覚えきれたことに対し褒められている。またイチローも古畑シリーズで一番好きな作品は「しゃべりすぎた男」であるという。
1997年12月11日、『いいとも』・テレフォンショッキングで、前妻の大竹しのぶが「お友達を紹介してほしい」と言われた際、「友達じゃなくてもいいですか」と前置きした上で離婚した元夫・さんまを紹介し、さんまからも「友達ちゃうやろ!」と指摘され苦笑しつつ電話をする。これ以降、いいともでのさんまの出演はない。
1999年、「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネス世界記録認定。


2000年

7月7日、TBSのスーパーフライデー枠で、関西ローカルの『痛快!明石家電視台』が『明石家さんま生誕45年記念番組・大成功!明石家電視台』として一度だけ全国放送された。


2001年

『FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島』では、当時放送していたバラエティー番組『明石家マンション物語』で演じていた「横山3兄弟」というキャラクターに扮して、27時間テレビ内のコーナー「クイズ$ミリオネア」に出演し9問連続正解するも100万円の問題(10問目)でアウトとなる。また、解答中にライフラインとして前妻である大竹しのぶに生電話をするという離れ業を使う(翌年も「さんま・中居の今夜も眠れない」で大竹しのぶに生電話。子供の二千翔やいまるの声も電波に乗った)。
『すぽると!』(フジテレビ系)が『感動ファクトリー・すぽると!』だった時代、「工場長」をつとめており、土曜日の放送に不定期に作業服姿で出演していた。


2002年

阪神タイガース監督に親交のある星野仙一が就任した際「優勝したらパレードに参加して土下座します」と明言したが、その翌年の2003年に優勝。読売ジャイアンツファンであるさんまだが、約束通り11月3日のパレードに参加する予定だった。ところが星野監督が辞意を表明していたため、「自分がおふざけで行く訳にはいかない」と参加を辞退した(ちなみに、春のキャンプを訪れた際に星野からさんま用ユニフォームが用意されていたが、ユニフォーム背番号は800番であった。星野監督が選んだもので、理由は「嘘八百」から来ている)。またこの当日、さんま司会の優勝特別番組が朝日放送系列で全国放送され、星野監督他、主力選手達がゲスト出演した(ちなみに、この特番の関西地区での視聴率は33.4%と非常に高かった)。
ドラマ『空から降る一億の星』でダブル主演を務めた木村拓哉と交友を深めたのがキッカケで、2003年1月3日に放送された『さんタク』をすることになったと言われている。2003年以降、毎年、お正月に放送されており、2005年には、ついに元日に放送された。この『さんタク』を始めたことにより、SMAPの中居正広『さんま・中居の今夜も眠れない』と木村拓哉『さんタク』それぞれと番組を持ったことになる。
2002 FIFAワールドカップの準決勝、韓国対ドイツ戦の中継が日本テレビ系列にて放送された際、韓国への渡航を拒否し、ドイツ代表のユニフォームを着用して、日本のスタジオで司会進行を務めた。


2004年

『さんまのSUPERからくりTV』で打倒・松岡修造を目標に「からくりテニス同好会」を結成するが、メンバーの上達の遅さに苦労した。初対戦となった2003年末SPでは最後はお見合い状態で敗れ雪辱を架けて挑んだリベンジ戦の第2戦(舞台は有明コロシアム)でも最後は浅田美代子のフォルトで敗れ、返り討ちにあってしまった。
2004年3月26日放送の『さんまのまんま』にやしきたかじんと共演(90年代にも一度やしきたかじんは同番組に出演していた。また、1995年1月15日にはさんまも『たかじん・ナオコのシャベタリーノ』にゲスト出演した)。このときは、たかじんの司会におけるスタイル(パネル芸など)に対して、駄目出しを連発した。
韓国ドラマ『冬のソナタ』の主演俳優であるペ・ヨンジュンが「ヨン様」と呼ばれて大人気となったことを受け、彼の髪型に似せたかつらを被り微笑を見せ、自らを「サン様」と称して笑いを取ることもある。
この「サン様」は、日本テレビ系『恋のから騒ぎ』の「さんま 愛の説教部屋」のコーナーで、「ヨン様」のコスプレをしたことがきっかけで誕生。また2004年7月24日〜25日に放送されたフジテレビ系『FNS27時間テレビ』内で、SMAPの中居正広と共演した『さんま・中居の今夜は眠れない』の中では、ヨン様についての話題になった際、ヨン様スマイルの真似をして自ら「似てる!」「俺の差し歯とヨン様の差し歯は同じメーカーや!」などと豪語、笑いを誘った。さらに、フジテレビ系『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中inドイツ』でもオーケストラの演奏を聴くシーンで登場。人気俳優もさんまに掛かればギャグになってしまう。
この年の「彦八まつり」にこの年の実行委員長・笑福亭鶴瓶の要請に応える形で出演。混乱を避けるため、出演日は公表されなかった。当日落語を披露するという噂も手伝って、来場者が2日間で例年の2倍である10万人を超え、過去最多記録を更新した。(着物姿で「大喜利ガバチョ!」に出演したものの、落語は口演しなかった)


2005年

2005年には、「もっこりもこみち」(「恋のから騒ぎ」でから騒ぎメンバーが使っていた)等のフレーズを番組出演中に連呼していた。
フジテレビ系列の25時間テレビ(2005年「FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!」)の一コーナー「さんま・中居の今夜も眠れない」で島田紳助と久々の共演を果たし、お互いの過去の恋愛話を暴露し合った。


2006年

さんま・福澤のホンマでっか!?ニュースSP!(2006年9月15日放送)で、前回(同年4月28日放送)の罰ゲームで安倍晋三(2006年4月の時点では官房長官)を焼肉店へ連れて行くという約束をし、日付まで決まっていたが、その日に北朝鮮がテポドンを発射したためそれどころではなくなってしまったというエピソードを披露した。また、番組冒頭で青いハンカチで汗を拭き、東野幸治に、ハンカチ王子にかけてお笑い王子と異名を付けられた。
所萬遊記で、所ジョージがさんまがかねてから熱望していた「コカ・コーラ」のCM出演について語り、本人は「スカッと爽やかな」イメージをしていたが、実際のCMは「コッカ・コ〜ラを飲も〜うよ」とお笑いテイストたっぷりであったことにショックを受けていたというエピソードを披露した。
さんまのマンションに細木数子が来た。インターホンの画面いっばいに映った細木を見て一体何を言いに来たのかびっくりしたが、さんまに会いに来たのではなく、同マンション内の日本舞踊教室の部屋と間違えていただけだった。
石原真理子著『ふぞろいな秘密』で過去に男女関係にあったことを暴露され、後に「明石家さんちゃんねる」内で「むなしい。ああいうことをしちゃいけない」と感想を述べる。が、12月20日に『ごきげんよう』でゲストとして登場した時には早速トークのネタにし、改めて暴露された事柄について否定及び批判をした。本人は二人の関係を暴露された事よりも、むしろ「ベッドの中ではいたって普通でした」との記述に腹が立ったそうである。


持ちギャグ

他人がテレビで発した思いがけない一言を、さんまが持ちギャグにしてしまうことが多い。

アホじゃありませんよ、パーでんねん パァー
うあー(笑うとき、かなり高い声で)
知っとるけ〜?
おまち〜
フェ!(ブラックデビル)
なっとく(手を胸にあてて)
ギャグ、どっかにおって(落ちて)まっかね?

村上ショージなどがギャグをすべらせた際に使われた。
『男女7人夏物語」の特番で、このギャグが大竹しのぶのアドリブに由来していることを暴露したところ、大竹しのぶから「私に、何の断りもなく?」と叱責された。

意味ないじゃ〜ん(例:宮川一朗太の太、意味ないじゃ〜ん)

さんまのからくりTV内の「からくりビデオレター」内で、一般のおじいさんが発言したもの。他にもこのコーナーで一般の人が発した言葉がかなり多数を占めている。

そんなことしちゃ、ダメダメ(両手の指でバツ印をつくりながら)
(「フーフー」の歓声に応えて)キミら、フーフー教の教祖か?(本当は信者なのだが教祖のほうが言いやすいから?)
そんなんいらんねん(そんなんはいりません、俺イエスマンいらんねん)
アハハハハ、堺正章でございます
どうもォー、芳村真理でーす

「どうもォー」を一躍芳村の代名詞とさせたのはさんまによる物まねがきっかけだった)

いやーん、めっかっちゃった
はいはーい、もっこりもこみち(電話に出るときの仕草で)
浦島太郎って息長くなーい?
ゆーな、そんなん
あのよぉー
失礼ですけど、ほんま殴るぞ(先輩のタレントに対して)
桜田淳子です。
大原麗子です、ちょいとお前さん
幸田シャーミンシリーズ
スーパータイム!!
こんばんわ、幸田シャーミンです。
幸田シャーミン、おもしろい
(無線機を口元に当てる格好をして)隊長、アホめっけました
(舌を出して、ペン先を舐めてメモを書く格好をして)そのギャグ、いただき(セリフなしで仕草だけをする時もあり)
院長〜!
ぶっちゃけー
かっけー、かっけー(膝を叩きながら。若者言葉の「格好いい」と「脚気」をかけている)
また「紳助」って言うてもうた!(島田紳助が暴行事件で謹慎中に頻繁に使用)
バッサリいかしていただきますんで(ゲストが感動する話やいい話をした時に。「カットする」の意)
(ゲストが無意識に唸る等、ウー)マンボ!
横から撮るなっ(でっ歯の話題時、顔を横のアングルからとるカメラにむかって)
テンポのない司会者や思われるから。
(空き缶を蹴る動作をして)たっちゃんたら何にもわかってないんだからカンカラコーン。

『タッチ』の浅倉南の話をする時に、よく口にするセリフ。おしゃれイズム内にてさんまの創造したセリフであることが発覚した。

若手時代、桂三枝に説教されていたときの真似
おい、ちょっとこーい!
どーゆーこっちゃ!
相田みつを風に言うと「○○○だもの」や!


受賞

第10回(1982年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) ホープ賞
第11回(1983年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) 奨励賞
第13回(1985年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) 優秀賞
第14回(1986年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) 特別賞
第15回(1987年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) 大賞
第2回(1982年度)花王名人大賞(花王名人劇場) 新人賞
第5回(1985年度)花王名人大賞(花王名人劇場) 大衆賞
第23回(1985年度)ゴールデン・アロー賞 芸能賞


レギュラー番組

恋のから騒ぎ(日本テレビ)
あっぱれ!!さんま大教授(フジテレビ)
さんまのSUPERからくりTV(TBS)
痛快!明石家電視台(毎日放送)
踊る!さんま御殿!!(日本テレビ)
さんまのまんま(関西テレビ)
サタうま!(関西テレビ)G1特別レギュラー(日本ダービーなど)
明石家さんちゃんねる(TBS)


単発・不定期番組

明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー(毎年末1回のみ放送、フジテレビ)
明石家さんまのフジテレビ大反省会(フジテレビ)
さんま・中居の今夜も眠れない(年1回のみFNSの日内、フジテレビ)
さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中(年1回のみ放送、フジテレビ)
ライオンのごきげんよう(12月に1回ゲスト出演、フジテレビ)※12月24日放送時だけ「明石家サンタ」と名前が変わる
さんタク(2003年- 年始放送、フジテレビ)
さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル(日本テレビ)
HAPPY Xmas SHOW (年1回のみ、日本テレビ)
すぽると!(プロ野球オフシーズンのみ、フジテレビ)
さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル(TBS)
さんま・福澤のホンマでっか!?ニュース(フジテレビ)
広告大賞 (フジテレビ、関西テレビ)
1億人の大質問!?笑ってコラえて!(2004年〜 年末の特大スペシャルのみに出演。その際、出演者は所ジョージとさんまのみ。日本テレビ)
さんま・清の夢競馬(年1回のみ、関西テレビ)※現在は「サタうま!」の延長上特番となっている


ラジオ

MBSヤングタウン土曜日(毎日放送ラジオ)


過去のレギュラー番組

ヤングおー!おー!(毎日放送)
誰がカバやねんロックンロールショー(関西テレビ)
花の駐在さん(後にさんまの駐在さんに改題。朝日放送)
笑ってる場合ですよ!(フジテレビ)
サタデーナイトショー(テレビ東京)
クイズ漫才グランプリ(フジテレビ)
熱戦!歌謡ダービー(TBS)
森田一義アワー笑っていいとも!(フジテレビ、出演期間は1983年10月〜1995年9月。金曜レギュラー。金曜にタモリ不在の場合は代理司会も勤めた。最多代理司会者として表彰された事もある。)
オレたちひょうきん族(フジテレビ)
なるほど!ザ・ワールド(フジテレビ、高田みづえや工藤夕貴と解答者をつとめる)
さんま・一機イッチョカミでやんす(日本テレビ)
ん?!さんま(日本テレビ)
明石家出版(日本テレビ)
テレビくん、どうも!(フジテレビ・本名の杉本高文名義で出演)
生だ!さんまのヒットマッチ(テレビ朝日)
さんまのDoUP歌謡曲(テレビ朝日)
さんまのゴメンねわがままで(テレビ朝日)
さんまのナンでもダービー(テレビ朝日)
明石家多国籍軍(毎日放送)
明石家マンション物語(フジテレビ)
明石家ウケんねん物語(フジテレビ)
さんまnoひろバァー(フジテレビ)
あっぱれさんま大先生(フジテレビ)
おかしや?さんま!(TBS)
生さんま みんなでイイ気持ち!(フジテレビ)


過去の単発・不定期番組

タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ(フジテレビ、1988年〜1999年の正月)
タモリ&さんまの爆笑タッグマッチ(日本テレビ、1987年〜1992年放送)
さんまのテレビの裏側全部見せます(フジテレビ)
さんま&一機のその地方でしか見れない番組をみんなで見ちゃおうとする番組(フジテレビ、1985〜1989年放送)
Merry X'mas Show(日本テレビ、1986年・1987年)
世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ、スペシャルのみ。初期に出演)
クイズ春満開(秋本番・年末は)SHOW by ショーバイ!!(日本テレビ、1990年末〜1994年春)
1990年末のクイズ世界はSHOW by ショーバイ!!のスペシャルから1994年春までスペシャルのみに参加。1993年秋・年末のスペシャルは渡辺正行が店長代理を務めたため、大番頭代理を務めている。1992年春は都合上出演できなかったため、スペシャル恒例クイズの「世界の先生早押しクイズ(一般には世界のアナウンサー早押しクイズ)」の中でサンマ帝国、アカシヤ共和国、デッパー共和国の教師に扮装して登場。「さんまさんは何処に出演したでしょうか?」という視聴者クイズにもなった。
FNS大感謝祭(フジテレビ・1991〜1994年放送)
たけし&さんまの世紀末特別番組・世界超偉人伝説!!(日本テレビ)
さんま・所のおしゃべりの殿堂(日本テレビ)
明石家さんまのスポーツするぞ!大放送(フジテレビ、1993〜1997年放送)
たけし・さんまの有名人の集まる店(フジテレビ)
ものまね王座決定戦(フジテレビ、一時研ナオコと司会をつとめた。出場者としての経験も有り)
さんま・鶴瓶のめざまし調査隊スペシャル
初詣!爆笑ヒットパレード(番組は現在も継続、一時期ビートたけし、笑福亭鶴瓶らと共に司会を担当)
FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(1987年〜1990年)→1億2000万人のテレビ夢列島91’→FNSの日(1992年〜1996年)→FNS27時間テレビ(1997年〜):全ての回に芸能人で唯一出演、'87、'89、'94〜'96は司会として参加
さんまの天国と地獄(フジテレビ、2002年5月19日放送終了)
明石家さんまつり(TBS、2005年7月1日放送)
史上最強TVショップ(株)明石家ジャパン(朝日放送、2005年10月21日放送)
明石家さんま特番?白洲次郎に会いに行く(TBSテレビ、2006年7月19日放送)
明石家くりぃむランド(朝日放送、2006年7月)
うまッチ!(フジテレビ 「さんま馬主プロジェクト」時に不定期で)


テレビドラマ

ゆるしません!(関西テレビ)
天皇の料理番(TBS)
風の中のあいつ(日本テレビ)
春風一番!(日本テレビ)
澪つくし(NHK朝の連続テレビ小説)
男女7人夏物語(TBS)
男女7人秋物語(TBS)
ずっとあなたが好きだった(TBS)
恋も二度目なら(日本テレビ)
その気になるまで(TBS)
恋のバカンス(日本テレビ)
世界で一番パパが好き(フジテレビ)
甘い生活。(日本テレビ)
空から降る一億の星(木村拓哉とダブル主演、フジテレビ)


単発・不定期物

さんまの花ムコ見習い試験(制作年不詳 TBS)
世にも奇妙な物語「偶然やろ?」(1991年 フジテレビ、原案も担当)
世にも奇妙な物語「スローモーション」(1992年 フジテレビ)
好色一代男 世之介の愛して愛して物語(世之介役 1986年 TBS系)
のんき君(月曜ドラマランド枠での作品、フジテレビ系)
心はロンリー気持ちは「…」(さんま主演、三宅恵介演出、君塚良一脚本で1984年から続く2時間ドラマ仕立てのコントシリーズ、フジテレビ系)
裸の大将放浪記(関西テレビ)
ドラマシティ'92「ふんだりけったり」(さんま主演、1992年 よみうりテレビ)
古畑任三郎 2nd season 第1話「しゃべりすぎた男」(犯人・小清水潔役、1996年、フジテレビ系)
元禄繚乱(1999年 NHK大河ドラマ)
さとうきび畑の唄(さんま主演、太平洋戦争末期の沖縄戦を舞台にした反戦ドラマ、TBS系)※2003年度芸術祭大賞受賞作品
THE WAVE!(さんま・内村光良主演、2005年 フジテレビFNS25時間テレビドラマ)
和田アキ子殺人事件(2007年 TBS系、本人役で出演)


ラジオ

サントリー出前寄席(ラジオ大阪)
明石家さんまのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
ポップ対歌謡曲(朝日放送・共演は上岡龍太郎、島田紳助)
明石家さんまのラジオが来たぞ!東京めぐりブンブン大放送(ニッポン放送)
SUPER ME HER さんまのアイドルまるかじり(NRN基幹局ネット)
ロッテヤンスタNo.1
明石家さんまのおしゃべりツバメ返し(TBSラジオ、JRN系)
G1グルーパー月曜(TOKYO FM、JFN系)
MBSヤングタウン(毎日放送 現在は土曜日だが、月曜日の頃がもっとも人気があった。現在のヤン土に近いスタイルで1990年頃には「ヤンタンスペシャルサンデー 明石家さんまのなんでもこい!」も担当)


映画

マンザイ太閤記(1981年)
次郎長青春篇 つっぱり清水港(1982年)
唐獅子株式会社(1983年)
パンツの穴 花柄畑でインプット(1985年)
必殺! -ブラウン管の怪物たち-(1985年)
19 ナインティーン(1987年)
ゴルフ夜明け前(1987年)
いこかもどろか(1988年、大竹しのぶと共演)
夢の祭り(1989年)
丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!(1990年)
どっちもどっち(1990年、松田聖子と共演)
ファンキー・モンキー・ティーチャー(1991年)
とられてたまるか!?(1994年、武田鉄矢と共演)
まむしの兄弟(1997年)
みんなのいえ(2001年)


CM

チロルチョコ(1979年)
ぼんち揚
大阪ガス
東洋水産「マルちゃん焼きそばバゴーン ツクツクスープ付き」「納豆わかめそば・ラーメン」
レナウンチャージ
ミスタードーナツ 片桐はいりと競演
ビクター音楽産業 「KAMAKURA」「バラッド2」/サザンオールスターズ
スズキ スクーターHi
キッコーマン ぽん酢しょうゆ(CMソング「しあわせって何だっけ」)
日本航空 「JAL飛びサスケ」編
カルビー かっぱえびせん
資生堂 スーパーマイルドシャンプー
ネスレ ネスカフェ缶コーヒー(2000年には、画面合成とはいえマライア・キャリーと共演)
日本テレコム OK!編
日本中央競馬会 サプライズ!!(2003年、2004年)
WOWOW(2005年 - 、6月からは福山雅治と共演。コンビ名は「さんまーしゃ」)
サントリー サントリービール
日本コカ・コーラ コカ・コーラ
トヨタ自動車 10代目(E140系)カローラアクシオ&フィールダー(2006年〜)※「カローラアクシオ」のCMは浅田美代子と共演
任天堂 Wii 似顔絵チャンネル編(松岡修造と共演)


舞台

秘密の二人
明石家さんまプロデュース 今回はコントだけ!
七人ぐらいの兵士(生瀬勝久と共主演・2000〜2001年)
JOKER
小鹿物語


代表曲

豪華な作家陣を揃えた楽曲が数多い。

1979年 Mr.アンダースロー

(「魅せられて」「大都会」はこのころのアルバム収録曲)

1982年 いけないお化粧マジック(島田紳助と)
1983年 アミダばばあの唄

作詞・作曲:桑田佳祐

1984年 ビックリ箱のうた

作詞・作曲:松山千春

1986年 シングル・ベッド(カップリングは飛鳥涼作詞作曲の「TEKU TEKU」)

作詞:澤地隆、作曲:CHAGE

1986年 しあわせって何だっけ(キッコーマンCM曲)

作詞:関口菊日出、補作詞:伊藤アキラ、作曲:高橋千佳子

1986年 世渡り上手

作詞・作曲:関口和之

1987年 真赤なウソ

作詞・作曲:高見沢俊彦

1987年 サンキュー

作詞・作曲:甲斐よしひろ

1988年 蒼いタメイキ

作詞・作曲:高見沢俊彦

1988年 Yellow Sunshine

作詞・作曲:高見沢俊彦

1988年 あっぱれさんま大先生(カップリングは大竹しのぶ(4chan)が歌う「ボク知ってるヨ」)

作詞:3chanとみんな、作曲:小六禮次郎

1999年 明石家さんまさんに聞いてみないとネ(「明石家さんま&所ジョージ・ゲスト工藤静香」名義)

作詞・作曲:所ジョージ


明石家ファミリー

特に仲が良く、年一回行われるさんま主演の舞台やさんまの番組に多く出演する芸人、もしくはさんまとよく遊ぶ同期以下の芸能人、さんまが特に可愛がっている後輩は「明石家軍団」「明石家ファミリー」などと呼ばれる。

芸能人

秋本奈緒美
浅田美代子
雨上がり決死隊
今田耕司
内山信二
ガダルカナル・タカ
嘉門達夫
木田優夫(ヤクルト)
くりぃむしちゅー
ココリコ
ジミー大西
笑福亭笑瓶
関根勤
玉井健二
小林謙治(愛称・トミー)(トミーズアーティストカンパニー社長)
中村玉緒
中川家
間寛平
ほんこん
ビビる大木
松尾伴内
Mr.オクレ
宮前真樹
村上ショージ
YOU
ラサール石井
渡辺正行

構成作家・業界人

大岩賞介
藤沢めぐみ
岩立良作
大倉利晴

アナウンサー

八木亜希子
木佐彩子
宇田麻衣子
千野志麻
政井マヤ
西山喜久恵
佐々木恭子
内田恭子

放送局スタッフ

三宅恵介(フジテレビゼネラルディレクター)
港浩一(フジテレビ第二制作部長)
加茂裕治(フジテレビゼネラルプロデューサー)
菅賢治(日本テレビチーフプロデューサー)
吉川圭三(日本テレビチーフプロデューサー)
小川通仁(日本テレビプロデューサー)
佐藤義和
萩野繁(フライデー記事「モミモミ110分」の時、同席)

他多数


その他主な友人

赤井英和
安藤優子
逸見政孝(BIG3世紀のゴルフマッチを機に交流が深まった)
オール阪神・巨人(巨人は吉本同期だが、芸歴は微妙にさんまの方が先輩)
大竹しのぶ(前妻・笑っていいともでさんまを紹介したこともある)
奥田瑛二(「男女七人夏物語」で共演。合コン仲間)
片岡鶴太郎
桂三枝
桂雀々
加藤紀子
上岡龍太郎
北野誠
SMAP(1990年代中ごろから特番などで共演が多い)
桑田佳祐(2000年の茅ヶ崎ライブではVTR出演した。この時は明石家マンション物語のダメダメボーイズの格好で出演し、村上ショージ、今田耕司、ココリコ、清水圭も出演。さらに2003年のライブでも村上ショージとともにVTR出演し、演奏された「アミダばばあの唄」を桑田とモニター越しにデュエットした)
小堺一機(クリスマス頃になるとさんまは「ライオンのごきげんよう」に出演する。さらに「いただきます」時代は金曜日に2人でオープニングトークを行っていた)
佐藤浩市(年末のオーストラリア旅行に家族で毎年同行)
島崎俊郎
島田紳助(最近は共演はなかったが、2005年にはうまッチ!の中のコーナー「さんま馬主プロジェクト」で何年かぶりに共演、FNS25時間テレビにも競演した(上の項参照)。同期・紳助の方からちょくちょく電話によるコミュニケーションはある模様)
爆笑問題(2000年にTBSラジオ爆笑問題カーボーイにゲスト出演した。さんまがラジオにゲスト出演することは極めて異例なため、リスナーの間では伝説の放送となっている)
清水ミチコ
笑福亭鶴瓶
笑福亭松之助(師匠)
タモリ(最近は2001年の「新春大売出し!さんまのまんま」を最後に共演していない)
津川雅彦(NHK朝の連続テレビ小説『澪つくし』で共演。合コン仲間)
所ジョージ
中村勘三郎
西村知美
板東英二(年末のオーストラリア旅行にて合流・家族も同行)
ビートたけし
久本雅美
古舘伊知郎
星野仙一(年末のオーストラリア旅行にここ数年合流)
和田アキ子(年末のオーストラリア旅行にて合流)

他多数

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