
なぜクチビルオバケの異名をとるブサイク管理人ブッチュくんが、次々と女を落とし悠々自適なヒモ生活を享受できるのか。
ヒモだけで月収115万ブッチュくん驚愕のヒモ生活術を大暴露!
↓
※日米の学者さんたちが共同開発
これ一つで明日から風俗嬢とのヒモ生活をスタートできる
【完全ヒモ生活マニュアル】の技法!
▼対決&罰ゲーム
∵NYの坂本龍一宅までシャープペンを取りに行く
∵松本のおかんとタイタニック
∵今世紀最大夢のゴルフ対決2+24時間浜田雅功営業中
∵100m走対決+24時間耐久鬼ごっこ
∵競泳50mリベンジ対決+一人ぼっちの廃旅館一泊二日
∵世紀の走り幅跳び対決+早朝松本レンジャイショー
∵ノーリアクションパイ地獄
∵4対1変則ボウリング対決
+絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅
∵ウラジオストクのウラジオストク中学の
体育館裏で裏番長に裏拳で殴られてくる
∵わさび寿司ロシアンルーレット対決
+絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅in湯河原
∵ビリビリコンセント・ロシアンルーレット対決
+絶対に笑ってはいけないハイスクール
∵タライアンルーレット対決+絶対に笑ってはいけない警察24時
∵第ニ回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵年末恒例・紅白ハイテンション合戦
∵お笑いドラフトハイテンションバトル
∵第五回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第六回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第七回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第八回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第九回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵ハイテンションスペシャル
∵板尾創路勝手に七変化
∵ヘイポーホラー七変化
∵次長課長河本七変化
∵ボブ・サップ七変化
∵構成作家堀部圭亮七変化
∵千原兄弟千原靖史七変化
∵ココリコ田中直樹七変化
∵くりぃむしちゅー有田哲平七変化
∵フットボールアワー後藤輝基七変化
∵腰フリおばちゃん七変化
∵FUJIWARA藤本敏史七変化
∵フットボールアワー岩尾望七変化
∵ふかわりょう七変化
∵大友有一ディレクター七変化
∵木村祐一七変化
∵雨上がり決死隊宮迫博之七変化
∵千原兄弟千原ジュニア七変化
∵磯俣拓生マネージャー七変化
∵雨上がり決死隊蛍原徹七変化
∵ココリコ遠藤章造七変化
∵菅賢治プロデューサー七変化
∵品川庄司品川祐七変化
∵ジャリズム山下しげのり七変化
∵山崎邦正七変化
∵つっつん八変化
∵中村喜伸プロデューサー七変化
∵構成作家高須光聖七変化
■ダウンタウンのごっつええ感じ
メンバー
ボナ植木
パルト小石
概要
専修大学マジック同好会でコンビを結成。1977年に「マジック・ナポレオンズ」としてデビュー。その後、「ナポレオンズ」と改名。のちに、ナポレオンという名を使わせてもらっていることを報告し、その「許可」をもらうためにフランスのナポレオン・ボナパルトの墓前を訪ねた話が知られている。
当初は「正統派」マジックを演じたが、現在ではギャグを取り入れた形式へ転換。400種を超えるバラエティ豊かなレパートリーで活躍し、1988年のFISMハーグ大会にて「グランドイリュージョン部門第3位」に入賞の実績を持つ。そのほかにも国内での受賞歴は多く、大会など様々なイベントへのゲスト出演も多い。
主にパルト小石がトークで盛り上げ、ボナ植木がマジックを行う。有名な芸としては「あったまぐるぐる」「空中浮遊」など。似非手品ともいえる種や仕掛けが分かりきったような芸を披露することもあるが、本格的なマジックも多数披露しており決してお笑いで終わらず、不思議さを保った良質のエンターテイメントである。2002年のデビュー25周年記念に掲げた「たいした芸もないのに四半世紀」といういささか自虐的なキャッチフレーズもナポレオンズのトークのネタとしてはなかなかに楽しい言い方である。基本的に2人の衣装は長袖だが、ボナ植木は袖をまくってマジックを行う。
「世界が僕らのステージだ!」というキャッチコピーを掲げるが、その言葉通りにアジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカでの公演を成功させている。
テレビのバラエティー番組でMr.マリックのトリックを次から次に暴き、Mr.マリックが半泣きになったことがある(念のために記すが、これはトリックを暴かれて追い詰められてMr.マリックが泣いたということではなく、追い詰められて半泣きになるというところまでがテレビ番組上の演出である[1])。 また、前田知洋は、アメリカ留学前にナポレオンズのアシスタントとして働いていたことがある。
万人に受ける芸風で人気は高く、テレビなどで活躍。著書も多く、一般に広く認知されている。
主なネタ
明らかに種や仕掛けが分かる似非手品、ちょっと心得があればトリックの分かる簡単なマジックから、プロでもなければトリックが分かりそうにない大掛かりなものまでさまざまなパターンがある。序盤で簡単なネタを披露し、終盤で本格的なネタをやるのが定番である。
あったまぐるぐる
専用の小道具をパルト小石の頭部にかぶせて回すと頭部がぐるぐると360度以上回転する(ように見える)。仕掛けは単純だが小道具を一定速度で回転させるのとそれにあわせて頭をまわすのにはある程度の技術を必要とするもので、不慣れな素人が容易に真似できるものではない。2人のチームワークがあるからこそ可能なネタである。披露する回数が多いため、最近では小道具が登場した瞬間に会場から笑いが漏れることもしばしば。
空中浮遊
「師匠である引田天功 (初代)が教えてくれた唯一の手品」という口上で始める。1人が仰向けになった状態で寝てそこにもう1人が布をかぶせたあと、仰向けになっていたパルト小石やボナ植木の身体が宙に浮く(ように見える)。口上こそ派手だが中身が全然たいしたことのないというギャップを楽しませるギャグ。
黒板
小さな黒板にチョークで文字を書き、黒板を一回転させると文字が本物のロープになるマジック。
紙幣やトランプの移動
紙幣やトランプの端を破り、それを証拠品として観客に預けた上で紙幣やトランプを手元から消滅させ、地球儀の裏やオレンジフルーツの断面から出現させる。
切断・串刺し
やや大掛かりな仕掛けを用いて人の体を切断したり串刺しにしたかのように見せる本格的なマジック。主に観客の女性を使って行うスタンダップ・マジック形式のもの。締めのネタとしてよく用いられるが、時間に余裕がないときは省略され他のネタで締めることもある。
入れ替わり
箱の中にボナ植木が入りパルト小石がロープで封をした後に布をかぶって一瞬姿を隠した隙に入れ替わりを行う本格マジック。パルト小石が実際にマジックを披露する珍しいパターンでもある。
特製ステッカー
通例スタンダップマジックなどでアシスタント役を勤めさせた観客には非売品のナポレオンズステッカーがプレゼントされる。大抵の場合締めのネタとして使われ、オチが付いたところでナポレオンズのステージは終了する。
主な受賞暦
1988年 世界マジックコンテスト(FISM) グランドイリュージョン部門 第3位
2003年 文化庁芸術祭 演芸部門優秀賞(関東参加公演の部)[2]
2005年 日本クロースアップマジシャンズ協会 JAPAN CUP 2005 マジシャン・オブ・ザ・イヤー[3]
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メンバー
白川悟実(しらかわ さとみ、1970年11月1日-)
ツッコミ担当。大阪府大阪市出身。A型。ニックネーム:シラ、シラ猫。
NSC8期生。
「しらねこニャーン」と猫の真似をするギャグを持っている。
料理が得意。自宅に遊びにきた芸人らに、自家製手打ちうどんを作って食べさせるほどの腕前。
甘いマスクを持つ。ヘッドハンティングでテレクラに勤め、17歳で主任となった。その後ショーパブにスカウトされ、ホスト兼ダンサーとして「アランドロン」梅田店に勤務。ナンバーワンホストだった。
何故か相方浜本に美少年好きのホモというキャラ設定をされている。白川自身もそれにノる事もある。
身長170cm、体重65kg。
浜本広晃(はまもと ひろあき、1974年2月15日-)
ボケ担当。 大阪府堺市出身。O型。ニックネーム:ハマー。大の甘党。
ショーパブ出身のため、トークとダンスはさすがに上手い。
「すいません、いや、すいますいません」と中途半端な謝り方をするギャグを持っている。
コントでは女キャラ(「くノ一お浜など)を演じることがある。
小学2年生の時に両親が離婚し、その後新しい母親を迎えるなど、やや複雑な家庭環境で育った。
身長176cm、体重63kg。ひょろりとした外見ながらも、体脂肪率はわずか9%であり、体を鍛えている。
来歴
同じショーパブの難波店の主任だった浜本と梅田店の主任だった白川は親睦ボウリング会などで顔を合わせる程度だったが、浜本がお笑いの方向を目指し始めたときに白川がNSC出身だったことを聞き、浜本が白川の店に訪問、意気投合してコンビ結成。
同じショーパブの先輩にあたる水玉れっぷう隊とダンスユニット「ギアトランス4」を結成している。
コントも漫才もこなす。「ショー」の世界で生きてきたが、「賞」はあまりとったことがない。過去に1度=第1回よしもとお笑いワールドグランプリ・優勝(MBS)のみ。2006年、MBS新世代漫才アワードにて決勝まで進出したものの、優勝まであと1歩というところでNON STYLEに敗れ、惜しくも2位となった。
二人とも阪神タイガースファンである。同球団の島野育夫とは深い親交を持つ。
テレビ
おはよう朝日です(ABCテレビ)
なるトモ!(よみうりテレビ)
熱血!!タイガース党(サンテレビ)※野球のシーズンオフ(10月から翌年3月まで)限定番組
ラジオ
ヨシモト*chatterbox!(月曜)(YES-fm)
過去の出演
テレビ
?マジっすか!(MBS)
爆笑オンエアバトル(NHK)※オンエア率13/16、最高533キロバトル。ゴールドバトラー達成。第5回チャンピオン大会3位。
エンタの神様 キャッチフレーズ"浪速の賞金稼ぎ"(日本テレビ)
上方演芸ホールコントフェスティバル2005(ネタはミナミの帝王)
F-CUBE(関西テレビ)
あな金(関西テレビ)
ラジオ
よしもとエンタテイメントステーションGOYODA(月曜)(ラジオ大阪)
DVD・ビデオ
THE FINAL!渋谷系HYPER WA CHA CHA LIVE Part.2(1998年1月21日発売、ビクター)
岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇(1998年2月25日発売、松竹)
はビデ NEOお笑いクールウェイヴ vol.3(1998年11月21日発売、メディアファクトリー)
心斎橋筋2丁目final WaChaCha大爆発feating2丁拳銃・シャンプーハット(1999年6月23日発売、ビクター)
baseよしもと2000大図鑑(2000年11月21日発売、ビクター)
baseよしもと2001大図鑑(2001年11月22日発売、ビクター)
baseよしもと2002大図鑑(2002年9月21日発売、ビクター)
baseよしもと2003大図鑑(2003年9月26日発売、ビクター)
宇宙ターザン(2004年6月30日発売、R&C)
難波金融伝 ミナミの帝王 恐喝のサイト(Ver.51)(2004年11月12日発売、ケイエスエスエムイー)
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人物
「よしえの“よ”は良い子のよ、よしえの“し”は幸せのし、よしえの“え”は閻魔大王」という自己紹介をする。(田上の“田”は田代まさしの田、よしえの“し”は田代まさしのし、という場合もある。)
かつてはアイドルを目指していた。芸人になってから『太陽とシスコムーン』のオーディションを受けた事もあり、その一次合格者でもある。『爆笑オンエアバトル』(NHK)オンエア常連、『完売劇場』(テレビ朝日)などで活躍。一人コントや毒舌ネタに定評がある。 一人コントではいろいろなキャラ(バーテンダー・喪服のお母さん・スター・セーラー服・神様など)を披露している。
『爆笑オンエアバトル』のネタの中で、『オンエア』に対し、『オフエア』という言葉を作り出したともいわれている。
2005年1月、人力舎の芸人11組によるユニット『ビジトジ』でCDデビューした。
FMぐんまで事務所の先輩である大久保佳代子と『ふたりのウケスタ↑』というラジオ番組をやっていた(2006年9月30日終了)。
2006年4月〜 NHK教育テレビが放送する日本語番組「ことばおじさんのナットク日本語塾」のショートコントのコーナーに出演している。
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概要
1990年代にたけし軍団で活躍した。風雲たけし城で谷隼人が扮する谷隊長から命名。
主な出演作品
スーパージョッキー
北野ファンクラブ
ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
ドロリンピック
強面のトカレフ林とコンビを組み活動をしていた。 コンビ名の「ハンダンズ」は師匠のたけしにつけてもらった。
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メンバー
西井隆詞(にしい りゅうじ 1975年6月27日 - )大阪府堺市出身。血液型AB型。ボケ担当、結婚し妻子あり
元々ラブミーテンダーというコンビで活動していたが解散その後ラインバック結成、それも解散し現在の相方に
ラブミーテンダー、ラインバック時代に爆笑オンエアバトル出演経験あり
マニアックモノマネが得意で特にアニメのキャラが得意
本人阪神タイガースのファンある。ちなみに嫁の兄は昭和63年春夏高校野球にエースとして出場し谷繁元信(中日ドラゴンズ)と対戦経験もあり
とんねるずのみなさんのおかげでしたの細かすぎて伝わらないモノマネ選手権にピッキング犯のモノマネで出演した。
田中毅(たなか つよし 1972年6月27日 - )大阪府出身。血液型B型。ツッコミ担当
元々96年スクラッチを結成するも解散その後ピン芸人でスクラッチ田中として活動。2000年10月より福井テレビ「おかえりなさ〜い」に月曜〜金曜までレギュラー出演開始。活動拠点を福井に移す。翌年4月より土曜日に「おかえりサタデー」開始。 福井県における知名度98%を記録し、福井のスターとして君臨した。2005年2月 活動拠点を再び大阪へ戻すため、福井におけるレギュラー番組をすべて降板。その後田中つよしと改名し、西井とコンビ結成。
田中はスクラッチ時代にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞受賞経験あり(爆笑オンエアバトル等にも出演)。
スクラッチ解散前にアップスタートというコンビを組んでいて、爆笑BOOINGにも出演していた。
京都チャンネルで放送中の『芸人ロケバスツアー』初回第1回目優勝
テレビ番組
現在
大阪情報箱(テレビ大阪)
気になる時間(奈良テレビ)
ますだおかだ角パァ!(ABC朝日放送)
京パチだ・い・す・き(KBS京都)※オーディションの司会を担当
地域まるごと調査隊ぐるぐる5-ファイブ-(K-CATチャンネル)※田中のみ
わらいのちから(ケーブルテレビコミュニティチャンネル)
芸人バスツアー(京都チャンネル)日曜深夜1時から2時
他松竹芸能制作番組
過去
ぶるるるぶびわこ(びわこ放送)※アメリカザリガニの後を引き継いで西井がラインバックというコンビでやっていた頃ロケ担当
ラジオ
過去
なすなかにし ド深夜 生アニソン!(毎日放送ラジオ)※西井のみゲスト出演
朝いちばん!豊島美雪です(毎日放送ラジオ)※西井のみゲスト出演
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概要
体を張ったリアクション芸や、“ヤー!!”、“ムッシュムラムラ”など同じ言葉を連呼するネタ、ものまねなどを得意とする。近年は各メンバー単独での活動も多いが、以前はピンの仕事でもギャラを三等分していた。
当初「キムチ倶楽部」と名乗っていたが、諸事情により現在のグループ名に改称する。結成時は4人組で南部寅太(現:南部虎弾)がリーダーだったが、南部がメンバーに「金魚飲める?」「花火を背負いたい」「コントで使うオモチャのウンコを本物のウンコにしたい」など現在の電撃ネットワークの方向で行くことを要求した。しかし、他の3人はそれを拒み、南部は脱退、電撃ネットワークを結成した。また、別の説としてひょうきん予備校に出演した際に、南部がスタッフから「面白いから先輩を怒らせろ」と言われたのをいいことに、大先輩であったハナ肇に対し「あなたは本当に面白くないですね」と言い、ハナ肇を本当に怒らせてしまったため、事務所から脱退させられたという説もある。
事務所の指示で最年少ながら一番背の高い肥後がリーダーとなった。当時ダチョウ倶楽部のフロントマンは南部虎弾だったため、当時太田プロに在籍していた芸人の間では南部なしのダチョウ倶楽部の行く先が危ぶまれたという。ショーパブ、ライブなど経て、お笑い第三世代ブームでブレイクするもネタ番組では一本ネタはさせてもらえず、ショートコントばかりという扱いであった。3人になってからお笑いウルトラクイズにて再ブレイクする。
かつてネタでは上島がツッコミだったが笑福亭笑瓶の助言により、バラエティ番組では上島がボケとなる。
1993年10月から半年間、初めてゴールデンタイムで『王道バラエティ つかみはOK!』のメイン司会を担当するが、視聴者から抗議が殺到し(特に上島のドリカム・吉田美和のモノマネは大顰蹙を買った)、視聴率も苦戦したことからあっさり打ち切られる(次番組は「クイズ悪魔のささやき」)。以後テレビではメインではなくサブとしての出演が中心となる。
台湾では、「つかみはOK!」を放送していた頃、彼らをパクった「アヒル倶楽部」なる男性3人組お笑いグループがいた(ダチョウ倶楽部同様に細身2人にデブ1人という構成)。
1994年の24時間テレビのチャリティーマラソンでは3人同時に走った。
『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』(第5回)で普段と違う真剣な姿を見せ、強敵を次々と倒して見事優勝した。
全員関西以西の出身なのに、東京でデビューし、東京を活躍場所としているので、立場としては関東芸人とされている。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」に出演した際、「関東の人間として関西芸人には負けられないよ!」などと意気込みを語っていたが、浜田雅功から「お前ら全員西(日本)の人間やないかい!」とツッコまれていた。
1995年、ダチョーン倶楽部内の上島企画「目指せ! ヒット曲」に於いて、Club D名義でシングルCDを1枚リリースした。
2007年1月14日放送の「いつみても波瀾万丈」に三人で出演し、これまでのエピソードを振り返ったが、ダチョウ倶楽部がかつて4人組であったということは触れられず、結成当時の写真が映された時に南部の顔はモザイクで消されていた。
余談
土田晃之が、「この3人はそれぞれが面白いエピソードをたくさん持っている。だけどトーク番組などで、この3人から面白いエピソードをあまり聞かない。その理由は、3人が全員、そのエピソードを話す話術を持っていないから。つまりダチョウ倶楽部という人たちは、話術を持っていない3人が集まったグループである。」と評したことがある。
志村けんと多数の共演ができるようになったきっかけはプロレスラーの川田利明である。 川田が上島を志村に紹介した。メンバーは川田にとても感謝している。
書籍「リアクションスター」の中にダチョウ倶楽部の3人を模したキャラが登場している。
メンバー
肥後克広(ひご かつひろ、1963年3月15日 - )
本名:同じ。
沖縄県出身。
血液型はAB型。
リーダー。
寺門ジモン(てらかど じもん、1962年11月25日 - )
本名:寺門 義人(てらかど よしと)。
兵庫県川西市出身。
血液型はA型。
上島竜兵(うえしま りゅうへい、1961年1月20日 - )
本名:上島 龍平(読みは同じ)。
兵庫県丹波市生まれ、中学から神戸市で過ごす。
血液型はAB型。
夫人はタレントで同じ事務所の広川ひかる。
愛称は「りゅうちゃん」。
主なギャグ
「ヤー!!」(登場時のギャグ)
「ムッシュムラムラ」(目の前に水着美女がいたとき拝むように放つ)
「つかみはOK!」(あまりウケないギャグをやった後に行う。初の冠番組のタイトルにもなる)
「聞いてないよォ」(1993年流行語大賞大衆部門・銀賞)
彼らを一躍スターダムに押し上げた「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビ)で生まれたギャグ。最初は本当にこれから行われる企画をまったく聞いておらず、その企画で受けたあまりに過酷な仕打ちから、本心で「聞いてないよォ」とポロリと言ったことから生まれた。その後、同番組で受ける企画がどんどん過激かつ過酷になるにつれて、本当にケガなどしたら危ないということで企画会議の段階から参加するようになったといわれる。よって、定番化した頃にはあらかじめ知っていたのに白々しく吐くギャグとして認知されるようになった。一世風靡したこのギャグだが、近年は披露されていない。
「みんな仲良く脇(和気)・アイ!アイ!」
「金貸してくれ!」
(「バカじゃないの?」などと言われた後、怒ったような感じで)「何?バカ?」 (急にバカっぽく)「はは〜ん、バカだなぁ!」
「ごめ〜んなチャイチャイチャイニーズ」
「ストッピング!」
「この○○(料理名)は甘からず、かといって辛からず、美味からず」「まずいんじゃね〜かよっ!」
「(上島)俺は絶対やらないぞ!(肥後)俺がやるよ!(寺門)いや俺がやるよ! (上島)じゃあ俺がやるよ。(肥後&寺門)どうぞどうぞどうぞ!」
熱いおでんを食べるなどの過酷な企画を誰がやるか決める時のギャグ。他の芸人と一緒にこのギャグをやることもある。
ナイナイナ(テレビ朝日)の企画で生まれた。逆さバンジージャンプなどのスタントをやる人を決める際、ナインティナイン・石塚英彦とともにこのギャグを演じていた。
最大の人数でこのギャグを行なった例としては、2006年の日本テレビ「24時間テレビ」の深夜枠で熱湯コマーシャルを行なった時である。熱湯にダチョウの3人が入る流れになったのだが、上島以外のスタジオにいる芸能人全員ならびにカメラマンやADなどのスタッフ全員(ざっと60人近く)が「いやいやオレがやるよ」と手を挙げ、最後に1人上島が「いや、ここはオレにまかせろ」と言って、スタジオ内の全員から「どうぞどうぞ」と促された。
「訴えてやる!」
上島がキレて床に帽子を叩き付けたあと、指を指しながら吐き出すせりふ。バリエーションに、「告訴するぞ!」がある。このギャグも「聞いてないよォ」と同様に一世風靡したギャグだが、近年披露されることはない。キレてから帽子を取り出し、一度被ってから行うパターンや、なぜかこのギャグを長く引っ張って出し惜しみするというパターンもあり。
「(肥後と寺門)テレビテレビ!カメラ回ってる!!「(三人)すいません、取り乱しました」
「訴えてやる!」とのコンボで使う。これでその場をまるく収める。
「クルリンパッ」
クルリンパっと言いながら、叩き付けた帽子を手際よく頭にのせる。「訴えてやる!」等とのあわせ技。
「押すなよ!絶対に押すなよ!」
熱湯風呂に入るときの決まり文句で、「押してくれ」の合図。
「ヨゴレでごめーんねっ」
「カットしないでね」
「そんなお前にチェックメーイト!」
「上島竜兵。代表作これと言ってなし」
「ナイスネイチャー!」
ネイチャージモンが相手を褒めるときに使う褒め言葉。
「フェー!フェー!フェー! 」(上島がやるフェーフェーおじさん)
レギュラー
志村けんのだいじょうぶだぁII(フジテレビ) ※肥後&上島のみ
マーメイドコレクション(テレビ朝日、深夜の通販番組) ※寺門のみの準レギュラー
朝はビタミン!(テレビ東京) ※肥後のみ
ヒューマン情報バラエティー マジテレ!(信越放送)
単発
スーパー電波バザール 年越しジャンボ同窓会(日本テレビ)
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル(フジテレビ)
志村けんのバカ殿様(フジテレビ)
オールスター感謝祭(TBS)
DOORS(TBS)
以前
徳川慶喜(NHK)
天才てれびくん(NHK教育)
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)
ものまね王座決定戦(フジテレビ)
スーパージョッキー(日本テレビ)
王道バラエティ つかみはOK!(TBS)
ダチョウ舌調ナイト(TBS)
パー!スリー(テレビ朝日)
ダチョーン倶楽部 (テレビ朝日)
その他の出演
26時間テレビ
24時間テレビ
A女E女
ナイナイナ
アメトーク
さんまのまんま
笑いの金メダル
その他お笑い番組等多数出演中
その他
CM SANKYO(株式会社三共)
パチンコ「ボビーとダチョウ倶楽部の世界紀行」(SANKYO 株式会社三共)
シングル
ダチョウダンス(1993年6月2日、東芝EMI TODT-3044)
作詞:秋元康 作曲・編曲:見岳章
ベジタリアン・ルンバ(1994年6月22日、BMGビクター BVDR-263)
作詞:秋元康 作曲:忌野清志郎 編曲:藤原いくろう
ノストラダムスをぶっ飛ばせ(Club D 名義)(1995年2月22日、BMGビクター B00005MQ2Z)
ガンバレ!アインシュタイン/ダチョウ倶楽部 with 新てれび戦士(天才てれびくん)(1995年9月6日、BMGビクター BVDR-1054)
作詞:秋元康 作曲・編曲:岩崎丈紀
DVD
ものまね花畑(2001年6月6日、フジテレビ PCBC-50090)
NHK DVD 昭和達人芸大全〜笑芸・喜芸・すっとこ芸〜四日目(2003年3月19日、ポニーキャニオン PCBE-50455)
出演:ダチョウ倶楽部、シティボーイズ、ホンジャマカ、大川興業 、星セント・ルイス、チャーリーカンパニー、中田ダイマル・ラケット、正司敏江・玲児、コント松竹梅、モロ師岡、かしまし娘
オレがやるよ!それだったらオレがやるよ!じゃあオレがやるよ!どうぞ!どうぞ!どうぞ!〜ダチョウ倶楽部のリアクション祭り〜(2005年3月25日、ジェネオンエンタテインメント GNBW-7133)
書籍
FromD―リアクション芸人就職情報(2006年、双葉社)ISBN 4575299251
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来歴
小野田セメント株式会社・東京本社技術部へ就職し、円満退職。その後、ものまねタレントへ転職。
鉄道の音マネを得意とする。自宅にも鉄道グッズがそろっている。現在は所沢市に在住しており、その縁で西武鉄道のイベント、「西武電車フェスタ〜研修場まつり〜」で毎年、電車ものまねショーを開いている。オフィス・インディーズ所属。
レギュラー
ラジオが一番(YBS山梨放送)終了
特番
爆笑歌謡選手権(フジテレビ)終了
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エピソード
東京都立府中高等学校出身。府中高校卒業後に府中市栄町で発生した三億円強奪事件の容疑者リストに同年代の布施明と共に挙がっていた(高田や布施を含む、十数万人が容疑者としてリストアップされていた)。無論。二人とも事件とは無関係である。
美術大学を受験するも不合格となる。一年浪人して東京デザイナー学院グラフィックデザイン科に入学(同じ東京デザイナー学院の同級生?にJ・A・シーザーがいる。高田純次と同じく中退している)。学生時代からポスターその他広告媒体をデザイン・制作するアルバイトに励む。1971年、自由劇場の舞台を見て俳優を志願、同劇団に入団。イッセー尾形と組んで自分たちの劇団を始めるも、半年で解散。以後、デザイナーとしての会社勤めと芝居の仕事を掛け持ちする生活が続くが、1977年に柄本明、ベンガルらと「劇団東京乾電池」を結成。このメンバーでフジテレビ系「笑ってる場合ですよ!」に出演し、番組内コーナー「日刊乾電池ニュース」で一躍知名度を上げる。
結婚し、劇団の収入では生活出来ないこともあり、26歳の時に宝石販売会社に入社。よってダイヤモンド鑑定士の資格を持つ。
宝石の原価、販売価格に関して、「高田節」を交えつつ一定ラインの評価を番組内でもする。
テレビデビューは32歳の時、笑点でコントを披露した。
劇団を離れた後は、主にテレビ番組出演に活動の場を移す。これまでに数多くのテレビ番組に出演しており、ポジション関係なく何でもこなせる。
本業は俳優だがコメディアンとしての側面が強く、各方面から「平成の無責任男」「芸能界一いい加減な男」「元祖テキトー男」などと称される。とりわけバラエティ番組では、“何も考えていないような”その芸風で共演するタレントたちを戸惑わせる。
なお、人気音楽番組だった「ザ・ベストテン」(TBS系)の後番組「音楽派トゥギャザー」の司会を務めるが、3ヶ月で終了してしまう事から、「最低視聴率男」と呼ばれた事がある。
「オレたちひょうきん族」の番組内コント「タケちゃんマン」で主要キャラクターの一人・ブラックデビル役を演じるも、途中でおたふく風邪にかかり降板。彼の代役として抜擢された明石家さんまがそのままレギュラーとなりブレイク。よって、世間では「ブラックデビル=さんま」という印象が強い。
手足を伸ばし、足をバタバタさせくるくる回る「純次ダンス」が得意技。番組放送中に意味もなく脱ぐことでも有名だが番組でその部分がお蔵入りになった事がたくさんある。
過去に出演していた番組「あんたにグラッツェ!」で渡辺正行が愛犬を連れてきた時、高田は突然その犬の前でパンツを脱ぎ、鼻めがけて放屁。飼い主の渡辺から「犬の嗅覚は人間の百倍とも言われるんですよ!何てことするんですか!」と激怒された(完全に目が怒っていた)。それを証明するかのごとく、それまで元気だったその犬は2日後に急逝した。
ちなみに高田は、この時、渡辺に注意されたにもかかわらず、渡辺の愛犬に大量のビーフジャーキーを与えており、これも渡辺の犬の急逝の原因の1つである。
一方で「金子柱憲・高田純次ゴルフの王道」の収録では終始真面目にゴルフをしており、エンディングのトークコーナーでも余計なことは言わない(全く絡まずにボーッとしていることもあるが)。だが、番組で共演している金子柱憲プロに関しては、よく他の番組で悪口を言っている。
ひとしきりしゃべった後、他の出演者と全く絡まずにボーッとしていることがあり、この状態を「高田電池切れ」と言う。このために、「充電」と称して、収録中であるにもかかわらずスタジオを退室してしまうことがある。
戦場と言われる「踊る!さんま御殿!!」でも電池切れになって本番中に寝ていたことがある。
中京テレビ(名古屋広域圏基幹局)ローカルで1994年から放送されている「P.S.愛してる!」(現在はリニューアルして「PS」)では、様々な内容の話題が取り上げられるため、シリアスな話題の時には終始一貫していつものキャラクターとは違う落ち着いた態度で出演し、たびたび涙も見せ話題となった。初代の相手役である上沼恵美子との羽目を外しすぎない程度での"応酬"に近い司会ぶりも、番組長寿化につながる一因となった。
1980年代後半から中京テレビでの出演も多く、1992年からはレギュラー番組を継続して持っており(1992年には「快快!高田病院へ行こう」メイン)、そのためか元来の高田のキャラクターのためか、名古屋地区での人気が他地域より高いものと思われ、キリンビールやアサヒビールなどのCMを始め、中京テレビの多くの特番などにも出演している。
また、プレイステーションの「ユーラシアエクスプレス殺人事件」というゲームでも、終始真面目な列車車掌(重要な役)を好演。
1988年に中外製薬「グロンサン」のCMに出演、このCMのキャッチコピー「5時から男」で新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞している。
1970年代に当時高校生の小川菜摘をナンパしたことがある。
某ソーシャル・ネットワーキング・サービスサイト内で、高田純次を名乗る人物による日記が登場。この人物がそこで書き込んでいた「高田発言」がサイト閲覧者たちの間で人気を博していたが、2005年冬頃にその人物のIDが削除され、以後登場しなくなった。それが高田純次本人による書き込みだったかどうかの真偽は不明だが、本人だと思っていたサイト閲覧者たちは今でも多い。しかし、閲覧者たちを惑わせたことに対しての非難よりも、高田純次以上に高田純次らしかったこの人物の活動を惜しむ声が多かったのは、高田本人のキャラクターとそれを愛するファンたちの心情を示すちょっとしたエピソードだったと言える。
1990年代には多くのクイズ番組に解答者として出演(「象印クイズヒントでピント」、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」、「マジカル頭脳パワー」など)し、現在でも「どうぶつ奇想天外」に解答者でレギュラー出演している。
還暦を迎えたが、とても還暦とは思えないほどの外見と若さを保っている。故に、外見だけは若い女性からの受けが良い。
自動車好きも有名。現在アストンマーチン・DB9、ポルシェ・カイエンを所有する。
トーク・バラエティ番組等の冒頭場面(所謂「つかみ」「オチ」の部分)で、当たり前に誰もが知っている事を話し、MCや他出演者までをも笑い(呆れての笑い?)の渦に巻き込む。明石家さんまは「純ちゃんの話は『足踏みトーク』なんですよ』」と評している。(が、さんま自身もこの類いのネタを高田に期待している。)
「東京フレンドパークII」で金貨を持ち帰って、次の出演時にその金貨を使ったことがある。
女子アナや女性タレントのみが所属する芸能プロダクションの経営者でもある。一時、所属タレントであった麻木久仁子によると普段はテレビに出ているのと変わらないが、年に一回のギャラ交渉のときだけは一切冗談も言わず、目も笑っていないという。
高田の日頃からの適当な発言をまとめた「高田純次発言集」というサイトがあり、発言の数は1000を数える(2007年1月現在)。このサイトは、高田がアメトーークにゲスト出演したときに紹介された。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でのエピソード
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の番組ロケでも、奇抜な格好でのレポートや突飛なギャグコメントなど、高田純次節を遺憾なく発揮。多くの視聴者たちから人気を博し、この番組について語る上で欠かせない存在となっている。また、デビュー前のX JAPANのYOSHIKI(当時はゲイリーYOSHIKI)が芸能人として初めて接した人物が高田であった。
この番組内で高田が見せた「清川虹子のダイヤの指輪を突然呑み込む」を、後年「めちゃイケ」でとある指輪を前にした岡村隆史が「一回やってみたかったんです」といきなり真似し、「高田純次の天才的ボケより」と番組テロップが出た事がある。なお高田は清川との一件の後、小林孝至の金メダルも口に含んだことがある。
天才・たけしの元気が出るテレビ!!では東大を目指していた受験生達と合格発表を見に行き、不合格になった子と一緒に泣いたことがある。
フライデー襲撃事件で番組を留守にしたビートたけしに代わって、必死になって番組を仕切っていた松方弘樹とは異なり、(一見)何事もなかったかのようにコーナーの進行を務めていた。それだけたけしの信頼は篤かったはずであるし、出世番組に出演したことでたけしには感謝しているはずではあるが、公の場でたけしに感謝の意を表することは一切しない。
後年、オーストラリアのトーク番組にバズーカを持って出演時、通訳を行っていた女性そっちのけで適当な英語で受け答えをし(バスーカーイズマイラバー等)、司会者から早朝バズーカをリクエストされたため夜の街にでて一般人の家に乗り込み、その家の人がこの番組を見ていないと知ると「オー、バッドボーイバッドボーイ!」とバズーカーを撃ったり、家の玄関口でバズーカーを撃っていた。これはパトカーが出動するほどの騒ぎとなり(番組スタッフは面白がって「パトカーも撃ってくれ」と言ってきたが、さすがに止めたという)、後に住民から騒音被害で訴えられオーストラリアで指名手配された。
同業者(タレント)からの評価
時に本職のお笑い芸人たちも感心してしまうほどコメディアンとして優れたセンスを持つ。有名な所では関根勤が「尊敬する人物」の一人として挙げている(もう一人は明石家さんま)他、彼に一目置く芸人は多い。
関根麻里は理想の男性として高田純次と柳沢慎吾を挙げている(これを聞いた父親の勤は「子育てに間違いはなかった」とコメントしている)。
雨上がり決死隊の宮迫博之は高田純次のようになりたくて芸人を目指した。
アンタッチャブルの柴田英嗣は、昔からの憧れのカリスマとして高田純次を挙げていた。しかし、あまりのいい加減さにこれは無理だと思って逆にしっかりしたキャラになった。
古田敦也は「50歳過ぎたら、高田純次になりたい」と言っている。なお、この発言を耳にした高田純次は「俺も60過ぎたら、古田敦也になりたいと思っているんだけどね」と適当な事を言った。
タモリは「この人はおかしいんじゃないかと、俺でさえ不安を覚える人物。ティッシュペーパーのように何ら厚みがない。ああいう人が、ちゃんと成立する分野がないと、やっぱり社会はおもしろくない」と評した。
「あんたにグラッツェ!」で共演した大竹まことからは同番組内で「…どうしてそんなに欲望に素直なの?」、渡辺正行からは「しばし‘高田純次の一芸’を堪能致しましょう」と、感心されている。
松村邦洋にものまねされている。
現在の出演番組
どうぶつ奇想天外(TBS系)
PS(中京テレビ)・・・中京ローカル
ぴったんこカン・カン(TBS系)セミレギュラー
ベリーベリーサタデー!(関西テレビ・フジテレビ系)・・・2006年10月〜
過去の出演番組
あんたにグラッツェ!(中京テレビ制作・日本テレビ系、2001年〜2002年)
あんグラ☆NOW!(中京テレビ制作・日本テレビ系、2002年〜2004年)
いやはやなんとも金曜日(福井テレビ、1984年)・・・福井県ローカルのバラエティ番組で、高田のテレビ初レギュラー。
11PM(日本テレビ系)・・・月曜の司会担当、出演期間は1986年4月〜1990年3月。
噂のCMガール博覧会(TBS系、1990年〜2002年放送の正月特番)
A side B(BS-i)
オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!(TBS系、1990年〜1993年放送の期首特番)
オレたちひょうきん族(フジテレビ系)
快快!高田病院へ行こう(日本テレビ系)
快傑熟女!心配ご無用(TBS系)
男3人ブラ珍クイズ旅(TBS系)
音楽派トゥギャザー(TBS系)
陰の季節シリーズ(TBS、2000年〜)
金子柱憲・高田純次ゴルフの王道(テレビ東京系、1998年10月〜2006年9月)
ギャルサー(日本テレビ系)
銀河テレビ小説・まんが道(NHK、1987年)・・・佐藤記者役。
クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ系)
新装開店!SHOW by ショーバイ!!
新装開店!SHOW by ショーバイ2
Junji&Chikaの花の新婚愛ランド(TBS系、1986年4月6日-9月28日)
象印クイズ ヒントでピント(テレビ朝日、?〜1994年9月25日)
高田純次のこれで来週も幸せです(TBS系)
積木くずし崩壊、そして(1994年)
テレビ近未来研究所(TBS系)
天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ系、1985年〜1996年)
パオパオチャンネル(テレビ朝日)・・・水曜の司会担当。
バリキン7 賢者の戦略(TBSテレビ系、1996年〜1997年)
マジカル頭脳パワー!!(日本テレビ系)・・・準レギュラー。
南くんの恋人(テレビ朝日系)
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ系)
世にも奇妙な物語「蟹缶」(フジテレビ系)
和田アキ子 特別企画ドラマ ザ・介護番長(TBS系)
笑ってる場合ですよ!(フジテレビ系)・・・劇団東京乾電池のメンバーとしての出演。
55BOYS(テレビ東京)・・・小倉智昭、水野裕子と趣味を楽しむバラエティー。
土曜ワイド劇場 棟居刑事の純白の証明(2007年2月、テレビ朝日系)塩山喜一役
R-1ぐらんぷり2007(関西テレビ・フジテレビ系)
テレビCM
現在放送中
キリンビール「麒麟淡麗シリーズ」
全日空
過去に放送
アサヒビール「名古屋麦酒」
花王「ソフトワンダフル」・・・このCMで妻・勢子、長女・祐子、次女・聡美と家族揃っての共演を果たした。
中外製薬「グロンサン強力内服液」「グロンサンDX」
中京テレビ「秋は快快! 中京テレビ」・・・放送局キャッチフレーズ宣伝CM。
日本道路公団
P&G「ジョイ」
マルヨ水産「かもめちくわ」・・・東北地方ローカル。
サッポロ一番「西洋亭」
エバラ食品「黄金の味」
ラジオ番組
現在の出演番組
高田純次・河合美智子の東京パラダイス(文化放送)
映画
「アイスエイジ2」ものしりトニー(吹き替え)
「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」・・・キャスティング決定、2006年10月28日公開。
「パビリオン山椒魚」・・・2006年9月16日公開。
コンピュータゲーム
ユーラシアエクスプレス殺人事件(エニックス、1998年プレイステーション)
レコード・CD
おふろのうた・・・長女・祐子とのデュエットソング。
どうせ世の中不公平・・・TBS系ドラマ「高田純次の無責任社員物語」テーマソング。
白いブランコでおやすみ・・・近藤房之助との共演。
東京パラダイス・・・河合美智子とのデュエット、「高田純次・河合美智子の東京パラダイス」テーマソング。
P.S.愛してる! ・・・上沼恵美子とのデュエット、作曲:堀内孝雄。
Chance!心ときめいて・・・兵藤ゆきとのデュエット。
著書
多面人格のすすめ〜一恥二得で人生を拓く法(祥伝社、1992年8月) ISBN 4396500270
人生教典(河出書房新社、2002年2月) ISBN 4309014526
適当論(ソフトバンククリエイティブ、2006年3月) ISBN 4797333456
適当手帳(ソフトバンククリエイティブ、2006年11月12日) ISBN4797337648
いちおうは手帳の体裁を成しているものの、格言よろしく高田の適当な発言が欄外に記載されているほか、高田本人が書いた(もちろんいい加減な)地図や、ほとんど意味を成さない曲がった罫線などが見る者にインパクトを与える。これを使えば高田のような適当さが身につくとの触れ込み。
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元々はコンビ「大花火」を組んでいたが解散、その前にコンビ「チェコ」を組んでいたが、解散。相方は「マッスルブラザース」というコンビで活動。現在はピン芸人として活動している。
2005年4月から数ヶ月間にわたり、芸を磨くための一人旅として、東京〜鹿児島間を徒歩で旅をする。
8月5日に鹿児島の佐多岬に到着し、旅は終わった。
8月28日に欽こん館にて『田代32単独ライブ!!〜一人ぼっち〜 東京〜鹿児島1600KM 歩き旅の話』を開催。
同じ事務所のくりぃむしちゅーの紹介・遊び仲間として伊集院光と交流を持ち、伊集院のラジオ番組のアルバイト(アシスタントにあらず)を担当。伊集院周りの若手芸人。というが、実は伊集院とは2歳違い。ちなみに、くりぃむの二人とは同い年である。
出演番組
月刊イジューイン
伊集院光 深夜の馬鹿力
1年8ヶ月にわたりアルバイトとして参加、アルバイト最終回には「田代32一人旅応援&ドッキリ企画」として15分間生放送を担当した
同番組内にて「田代ファンド」というコーナーがあった
伊集院光 日曜日の秘密基地
笑いの金メダルのワンミニッツショーに出演、トークには不参加。
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1989年8月コンビ結成、また2005年のM-1グランプリには音楽グループの「珍獣王国」のメンバー・山下純一と3人で「だだぐるま」として出場した。
メンバー
春名和昭(はるな かずあき、1971年4月29日 - )兵庫県たつの市出身、血液型AB型、趣味は水撒き、ボケを担当。
植村茂浩(うえむら しげひろ、1971年9月19日 - )兵庫県たつの市出身、血液型O型、趣味はバスケットボール、ツッコミを担当。
出演番組
爆笑オンエアバトル(オンエア率1/7 最高KBは421KB(しかしこの回は敗退、このKBは当番組の当時の敗退最高KBでもあった)。)
ますだおかだの角パァ!
上方演芸ホール
くるくるドカン〜新しい波を探して〜
カツ玉ドン!
わらいのちから(CATV系)
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メンバー
川元文太(かわもとぶんた 1974年12月24日- )
鹿児島県枕崎市出身。血液型O型。
黒田俊幸(くろだとしゆき 1975年9月14日- )
茨城県久慈郡大子町出身。血液型A型。
主なライブ
2004年 初単独ライブ「ソプラノ」
2007年1月21日 単独ライブ「ダブルブッキングのキャラメルマキアート」
主な出演番組
進ぬ!電波少年
虎の門
新すぃ日本語
超仮説Xリーグ
笑いの金メダル
イエヤス
爆笑オンエアバトル 戦績6戦1勝 最高 409KB
テレビ東京「マニアの叫び」
WANTED!火曜日バナナマン※不定期
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二葉の「金もいらなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し背が欲しい」のギャグがお馴染み。
来歴
二代目・玉川勝太郎門下の玉川ゆたかが1960年代の初頭に夫人とともに「玉川兄弟」を結成。1962年に伊丹明が加入して「玉川トリオ」となる。その後、浪曲師の天津羽衣の弟子、松木ぽん太が加入し入れ替わるように伊丹が脱退。1965年に二葉百合子の弟子である二葉しげるが加入し「玉川カルテット」となる。同年「あきれたトリオ」から松浦武夫が加入し、入れ替わりでゆたか夫人が脱退。1996年、リーダーの玉川ゆたかが死去。グループ解散の危機に見まわれたが、同年6月に運転手、兼マネージャーであった玉川平助を新リーダーに迎える。2005年、松浦が病に倒れ脱退。仲俊二が加入した。
メンバー
現メンバー
玉川平助(たまがわ へいすけ):リーダー。1941年生まれ。愛知県出身。1971年、玉川カルテットに師事。
松木ぽん太(まつき ぽんた):三味線担当。1937年生まれ。福岡県出身。天津羽衣に師事。
二葉しげる(ふたば しげる):ギター担当。1939年生まれ。東京都出身。二葉ゆり子に師事。
仲俊二(なか しゅんじ):ギター担当。1947年生まれ。北海道出身。現役のギターの流し。
旧メンバー
玉川ゆたか(たまがわ ゆたか):前リーダー。本名、茶間豊。1941年生まれ。神奈川県横浜市出身。二代目玉川勝太郎に師事。1996年肝臓ガンのため死去。
松浦武夫(まつうら たけお):前ギター担当。1938年生まれ。長崎県出身。
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メンバー
松雪オラキオ(まつゆき おらきお)(1977年9月5日-)佐賀県出身。立ち位置は向かって左。元体操選手で、高校時代はインターハイの九州チャンピオン。166cm/60kg 足のサイズ26.0cm O型。趣味は料理。
武田テキサス(たけだ てきさす)(1977年3月22日-)愛媛県出身。立ち位置は向かって右。元自衛隊員。166cm/56kg 足のサイズ25.5cm A型。趣味は釣り。
概要
弾丸ジャッキーのジャッキーの部分は、武田の好きなジャッキー・チェンからとった。
自慢は体力。コンビで逆立ち・バック転・バック宙をこなすことができる。
松雪は元板前でもあり、調理師免許を持っている。
和食屋に住み込みで2年間修行をしていた。
かつらむきを紙のように薄く切れることが自慢。
ただし家で料理はしない。理由は道具がプロ使用じゃないから。本人曰く「小さなキッチンとか使えない」
最近では「松会」という若手芸人の集まりを主宰し、鍋やお好み焼きを振舞う程度。
武田は元自衛隊員だが、その中でもエリート集団であるレンジャー部隊に所属していた。
レンジャー部隊は駐屯地にいる約1000人の自衛隊員の中で20人程度しか入れないというほどのエリート部署であるが、武田の運動成績はその中のトップだったらしい。
武田は元々スタントマンになるべく上京してきたが、「裏方よりも表に」と思い芸人になった。
武田にはアクションの才能もあり、内村光良主演映画『恋人はスナイパー』で水野美紀に殺陣を教えた経歴もある。
歴史
2003年12月:弾丸ジャッキーに改名(前の名前はSQ)
2004年05月:爆笑問題のバク天!でテレビ初出演
2004年07月:松雪オラキオに改名
2004年11月:月刊少年マガジンのCMに出演
2004年12月:武田テキサスに改名
ネタ
元体操選手、自衛隊員の運動神経を活かした、肉体派のネタが得意。ただし激しい動きの反復などは松雪だけが担当していることが多い。
ボケやツッコミといった明確な役割はなく、そのコントのメインを張る方がボケるスタイル。
体操選手のショートコント、自衛隊のショートコントなど、経歴を活かしたネタが主。
パチンコ台、自衛隊のフラワーロックなどのネタでは、武田の非情さが垣間見られる。
例)
「体操選手のパチンコ台」松雪への連続バック転の強要(自分はやらない)
「自衛隊のフラワーロック」松雪の首を紐で絞める
過去の出演番組
爆笑オンエアバトル
笑いの金メダル
虎の門
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メンバー
市川 太一(いちかわ たいち 1981年8月26日 - )
福島県福島市出身、身長:169cm 体重:50kg 血液型:O型
北村 洋平(きたむら ようへい 1981年5月15日 - )
東京都足立区出身、身長:169cm 体重:54kg 血液型:O型
テレビ
カワズ君の検索生活(フジテレビ、1月27日放送分)市川のみ
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人物
様々な色のタキシードを常に着用し(ネタ以外では黄色のタキシードが多い)、粋なジョークで世の人を笑わせる。1996年に大川興業の舞台「すっとこどっこい」でデビュー、テレビ埼玉の番組「パンドラ御殿」内、寺田体育の日のコーナー「探偵物集(ものたかり)」で松田優作に扮する寺田とギャグ対決をし、テレビに初出演した。でんでんの芸風を受け継いだため、「第二でんでん(KDDIの旧母体である第二電電とかけている)」が彼のキャッチフレーズであった。
アメリカンジョークを言った後に苦し紛れでいう決め台詞「Get's!!(ゲッツ)」は若者の間で流行した。しかし、アメリカンジョークを言った後に板を割るコンタキンテの「千葉ちゃんのペルシャンジョーク」との類似性も指摘されている。
2002年以降のお笑いブームの火付け役となった番組「爆笑オンエアバトル」の第1回出演者である(ネタはオンエアされた)。出場回数こそ多いが、オンエア率は約3割とかなり低く、連勝が2回、3連勝は一度も無い。(ただし、オフエアネタも極端にKBが低い訳ではないのが事実である。)オンエア率の低さとは裏腹に人気を博し、番組の枠を超えてブレイクした芸人(初期メンバーでブレイクしたのは他にテツandトモ、はなわなどがいる)であり、爆笑オンエアバトルの功労者であり、その後の民放のピン芸人・ネタ芸人番組が相次いで放映されるきっかけともなった。ちなみに最高KBは453KB.
基本的にネタ芸人であり、お人好しな性格が災いし、フリートークが得意でないため、2003年をピークに人気が下降。唯一のレギュラー番組であった「3つのとびら」も2006年3月をもって終了以降、テレビ出演の回数はめっきり減ってしまった。現在では月に数本の深夜番組や地方局でのゲスト出演、及びライブを活動の拠点としている。だが年末の番組には「一発屋芸人」として番組出演する事が多く、完全にテレビから消えたわけではない。
逸話
1997年ごろ、マイナーなタレント・芸人を紹介する日本テレビ系の深夜番組「新橋ミュージックホール」(よみうりテレビ制作)に出演、ビートたけしと共演する。ブレイクの数年前であったが、当時から「ゲッツ!」等のギャグや芸風は確立されており、たけしから好評を得ていた。
東京ヤクルトスワローズのアレックス・ラミレスがホームランを打った際のポーズに、「ゲッツ!」のポーズが使われている。また、ドランクドラゴンの塚地武雅がやる一発ギャグに「100%の力でゲッツをする」というネタがある。
2003年9月にウルフルズの曲「ガッツだぜ!!」をパロディ化した「ゲッツだぜ!!」をリリースしたが、ウルフルズのファンなどからの抗議もあり、その年にブレークしたはなわやテツandトモとそろっての紅白歌合戦の出場はならなかった。しかし綾小路きみまろと共に「応援」としての出場を果たした。
ブレークするまで年齢を4歳若く発表していた(テツandトモにネタにされたことがある)。年下の若手芸人と共演する時に気を遣わせないためだったと理由をつけているが、某芸能事務所のタレント養成コースに数十万の授業料を支払ったあげくにカリキュラムを1年延長されて延長料金をとられるなど、ブレイク前には涙ぐましい努力を続けていた。
「金沢美術工芸大学彫刻科を卒業して上京」というガセネタが流れているが、実際は高校卒業後にフリーターとなって金を貯めて上京。上京してからも10年ほどはマクドナルドでアルバイトをしていた。ブレイクするまでは、食費さえ出せば手軽に呼べるタレントだった。また、ピーク後の2005年、韓国にある韓流スター御用達の店を紹介する番組の司会を務め、同行したいとうまい子らに「ひょっとしたら韓流スターに会うために司会が自分になった」との発言をし手軽に呼べるタレントに戻ったと言うことを実感していると思われる(実際には、当時来日や徴兵などスケジュールの都合で韓流スターは出演しなかった)。
同じ事務所に所属するカンニング竹山はテレビ番組で最近のダンディ坂野について聞かれた時、「ダンディが『もっと遅くにデビューすればよかった』と嘆いていた」と語った。これは自身がブレークしたことがきっかけになって若手お笑いタレントブームが到来してしまったことを指している。
「内村プロデュース」では、ネタ帳がプールに水没するという不運に見舞われた。
最近では、野球の送りバントの構えで叫ぶ「二岡!」「江藤!」などの新ギャグの開発にも余念がない。しかし持ちネタのひとつ「ライドオン!」がレイザーラモンHGに流用され、苦汁を味わっている。「サンキュー・ノーベンバー」などのレアなギャグは、着ボイスとして聴くことができる。
2006年6月、笑っていいともで久々に全国放送の番組に出演したが、私服姿を披露し暫定チャンピオンの南海キャンディーズの山里亮太とどちらがセンスがないか対決するコーナーでかっこ悪い、似合ってないと言われるも、結局判定で敗れ一度のみの出演となる。また、EXILEの新ボーカルオーディションに応募し一次予選で落選している。この事を後輩の飛石連休と共に出演したイベントで明かした(ちなみに主催した情報誌のサイトの告知では「ダンディー坂野」と間違って記載されていた)。
また、2006年12月のお笑い芸人大忘年会では師事する(事務所の先輩でもある)ブッチャーブラザーズの2人からの手紙が読み上げられ、ブレイク前の苦労話や励ましの言葉が記されていた。
特捜戦隊デカレンジャーに悪役として出演した際、役作りのためにヒーロー側のメインキャストとは極力話さないようにしていた。当時ブレイク中の彼に会えることを楽しみにしていたメインキャスト陣はそのことを残念がっていたという。
ブレイク前、劇団ひとりが「もしよかったら、俺の愚痴聞いてくれないかな」と言った際「いいよ」と笑顔で即答したことがある。(この模様はDVD「完売地下劇場REVENGE BASEMENT3 我流 BASEMENT4 天命」の天命のほうで見ることが出来る。)
テレビ
現在の出演番組
お笑い芸人大忘年会(日本テレビ)年末特番
過去の出演番組
パンドラ御殿(テレビ埼玉)—寺田体育の日のコーナー「探偵物集(ものたかり)」にゲスト出演
爆笑オンエアバトル OA率7/22 最高453KB
おはスタ(テレビ東京)
最高!ブギウギナイト(テレビ東京)
めちゃ²イケてるッ!(フジテレビ系列) - 笑わず嫌い王決定戦、岡村女子高等学校期末テスト、めちゃ日本女子プロレスなど
天才てれびくんMAX『少年刑事スイリくん』(NHK教育テレビジョン) - 江戸川先生役
内村プロデュース(テレビ朝日)
24時間テレビ28・山梨スペシャル
ぐっどもーにんぐゲッツ(テレビ東京)
FNS25時間テレビ(FNSフジネットワーク、2005年) - スペシャルドラマ「THE WAVE!」
ゲームwave(テレビ東京)
3つのとびら(NHK教育テレビジョン)
イマだ!タレント再生工場 「ノムさん」(フジテレビ系列)
くりぃむナントカ
完売劇場 -初期レギュラー
CM
マツモトキヨシ
パチンコ土崎文化センター(2004年11月-2005年3月) - バーテンダー役
アオキーズ・ピザ(2004年)
お宝百貨店万代(2006年)
映画
劇場版とっとこハム太郎「ハムハムグランプリン オーロラ谷の奇跡 リボンちゃん危機一髪!」 -ゲッツハム役
世界の中心で、愛をさけぶ(2004年5月) - 英語教師役
釣りバカ日誌17 - 運転手役
その他
特捜戦隊デカレンジャー - 第17話ゲスト出演、オズチュウ星人イーアルの人間態及びその声
「ハロ☆プロ オンステージ!2006 日本青年館公演 友情と魔法のトランプ〜スター楽屋裏物語」-ストーリーテラー、歌謡ショー司会役
CD(シングル)
OH! NICE GET's!!(2003年5月28日) - インディーズ
ゲッツだぜ!!(2003年9月24日) - ユニバーサル・シグマ
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経歴・人物
高校卒業後にバイクで日本一周の旅に出たり、自主制作レコードを録音する等、時代遅れのヒッピーに倣った生活をしていた。20歳を過ぎて思い立ち立川流へ入門。元々は落語立川流の落語家(Aコース落語家コース)で立川談かん。立川志の輔の兄弟子にあたる。その後落語立川流を談志に『これからは落語ではなくてTVですよ』と相談して呆れられたもの、師匠から口利きをしてもらいビートたけし(立川錦之助という名前を談志からもらっている)の預かりになった。まだたけし軍団の概念がない頃でもあり、名前はそのまま立川談かんを名乗って活動。1984年にビートたけしの思いつきで軍団全員の名前が刷新された際に、談かんは風呂にも行かず不潔なので汚い“ふんころがし”と顔とキャラが激似の水木しげるゲゲゲの鬼太郎の“ねずみ男”を提示されて、本人が前者を選んだ。その後横山やすしに挨拶した際「何やその芸名は!」と怒鳴られ現在のダンカンに改名した。
大の阪神タイガースファンとしても知られている。自らも甲子園を目指していたと語る事があるが、実際は軟式野球部の所属であった。軍団チームでは阪神の田淵に憧れキャッチャーをやっていたが、井手らっきょがキャッチャーを希望すると技術の雲泥の差にレギュラーの座を奪われた。ちなみにたけし軍団メンバーに対しては熱血的に指導しているつもりらしいが、傍から見ればただのイジメではないかという非難の声もある。息子に「甲子園」(飯塚甲子園)と名付け、野球留学をさせている。
落語家としては下手で、落語家時代、当時の師匠でもある立川談志からは『古典落語を破壊する男』と言われた。
放送作家としての活動も長く、スポーツ紙などへの執筆活動も長年続けている。また、その類稀なキャラクターによりオフィス北野作品をはじめ俳優として重用され、様々な役でその存在感が光る。さらに、映画監督も務めるなどあらゆる方面で精力的に活動している。
ダンカンが引き起こした大きなイタズラ
浅草キッドがアメトーークに出演した際の発言によると
水道橋博士が自宅を建設しようと購入した杉並区の土地に、”オウム真理教杉並道場建設予定地”と書いた看板をダンカンが立てた。
バター犬たろう・その他芸人にオウム真理教の宗教服を着せ、座り込みをさせ、終日瞑想とオウムの呪文であるマントラを唱えさせた。冗談ではすまされず、すぐに周辺住民による本格的なオウム真理教進出反対運動に発展した。(放送では団体名等はピー音で隠された)
浅草キッドは地域の抗議集会に出席し、釈明を行った。また、外形的な事実を信じ、通常の土地取引であるとの認識の上で土地を売った不動産屋や、オウム進出を本当に信じた周囲の住人から家の建築を反対され、水道橋博士は、慰謝料・立ち退き料等で二重の住宅ローンを課されることとなった。
玉袋筋太郎は家に、火のついた新聞紙をダンカンに投げ込まれ小火になったと証言。
飲み会で若手芸人がトイレに立った隙に、その芸人のビールの中に精子を入れたことがある。
本人が2006年に発売されたビートたけしのお笑いウルトラクイズのDVD2巻の特典映像に収録された優勝者座談会で語ったところによれば収録が終わった日の夜に若手芸人に番組とは関係なくMYドッキリを仕掛け、信じ込ませるためにターゲットの芸人の前で玉袋筋太郎と絡まったという。
TV出演
1997年 『毛利元就』(NHK):吉川元経
1997年 『いとしの未来ちゃん』
1999年 『元禄繚乱』(NHK):豊松
2001年 『北条時宗』(NHK):日田永基
2001年~2006年3月 『サンデージャポン』
2003年~ 『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』
2004年~ 『ダンカンの一発やっちまえ』
2005年 『柳生十兵衛七番勝負』第3話(NHK):山田五郎兵衛
現在(不定期)~ 『のりゆきのトークDE北海道』(北海道文化放送)
ラジオ出演
2000年~2004年 『ガンバ・LA・ねっと』(山梨放送)
映画出演
1990年『3-4X10月』
1991年『MISTY』
1994年『みんな〜やってるか!』
1995年『BeRLiN』
1996年『男たちのかいた絵』
1996年『チンピラ』
1998年『蜘蛛の瞳』
1998年『生きない』
2000年『呪怨2』
2002年『ドッペルゲンガー』
監督作品
2005年『七人の弔』
その他
街 〜運命の交差点〜(1997~1998・テレビゲーム)チュンソフト
ぼくのなつやすみ(2000・テレビゲーム)ナレーション役ソニー・コンピュータエンタテインメント
ぼくのなつやすみ2 海の冒険篇(2002・テレビゲーム)ナレーション役ソニー・コンピュータエンタテインメント
お笑いの神様(2005~2006・コミック)小学館 週刊ヤングサンデー
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メンバー
丸山 裕樹(まるやま ゆうき、1974年9月30日)香川県高松市国分寺町出身
武政 賢祐(たけまさ けんすけ、1975年3月7日)高知県南国市出身
来歴
大学時代の同級生同士で結成。 いくつかの芸能事務所を経て現在ワタナベエンターテインメントに所属。
丸山本人は玉木宏にぎりぎり勝っていると言い放つ イケメンお笑いコンビ。
四番 なかやま(TBSラジオ)では笑い屋としてスタジオ内に常駐。
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来歴
同期にはココリコ、陣内智則、ケンドーコバヤシ、中川家、ハリガネロック、烏川耕一などがいる。
既婚。1998年生まれの長男と2002年生まれの長女がいる。
高校時代の同級生(大北貴洋)とLaLaLa(ラララ)というコンビを組んでいたが、1999年8月に解散。以降はピン芸人として活動している。劇場アンケートネタなどが代表作。
以前は心斎橋筋2丁目劇場やbaseよしもとの中心人物で、同期や後輩を集めたライブをプロデュースするような立場であったが、2001年頃よりヘタレキャラに転身。
2001年9月にbaseよしもとを卒業、東京に進出。主にルミネtheよしもとの舞台でピン芸をやったり、新喜劇に参加していた。また、『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系列)の人気企画「1ヶ月1万円節約生活」や、同番組の「夫婦で節約生活」に妻とともに挑戦した。2003年大阪に本拠を戻し、以降はうめだ花月を拠点に活動中。
2002〜2004年放送の「オールザッツ漫才」での、獅子舞を片手にふんどし姿で他の芸人を罵倒するネタで注目を浴びる。特に同期の中でも売れっ子である陣内智則を標的とし、「陣内死ね!」を連発(見ていた陣内は大爆笑)。2005年放送の「オールザッツ漫才」ではキョンシーの格好をしてネタを披露した(内容は過去の年とほぼ同じ)。ある意味究極の「スベリ芸」である。また、2006年のオールザッツ漫才では陣内と藤原紀香との結婚について毎度ながら激しくツッコんでいた。
また「めちゃ×2イケてるッ!」の笑わず嫌い王決定戦に出演。「東京で売れてる芸人、全員死ね!」というオールザッツとほとんど変わらないネタを披露した(ただしこの回の大阪吉本芸人のネタは、たむらと同じくほぼ前年のオールザッツのコピーであった)。同番組内では紹介時、堂本剛に『かわいそうさん』と言われた。「笑わず嫌い王決定戦」に出場した若手芸人はその後ブレイクすることが多いが、たむらは出演後半年以上経ってもなぜか全くブレイクの兆しがなかった。
その後、同番組の「めちゃイケファンド」(めちゃイケ参照)で「投資対象芸人」となり、雛形あきこにネタをコピーされた挙句、本人よりも笑いを取った。
「笑いの金メダル」のワンミニッツショーなどで徐々に東京での露出も増え、全国区の階段を昇りつつある。ただ、地元関西の番組では特にキャラクターを作らず素顔で出演するのに対し、東京の番組では「獅子舞」「ふんどし」「サングラス」の色物キャラが定着してしまったため、この扮装で出演することが圧倒的に多い。関西と関東でキャラクターを巧みに使い分けている。そのため「関西では手ぇ抜いてんねやろ」と陣内に言われる(なるトモ!より)。本人曰く、関ヶ原を境に関東モードに切り替わるという。
ギャグは「○○ちゃ〜。」が一般的。
最近ではヘタレキャラに加え、嫌われキャラも。また、白いふんどしにサングラスがいわば彼の芸人としての「正装」であり、リアクション芸人顔負けのスタンスでテレビ番組への露出も多くなってきている。
視力が悪い。コンタクトレンズを装用した上にサングラスをかけている。まれにめがねをかけてTV番組に出演することもある。
2007年年明けにテレビ東京系で放送された「2007年最も売れる吉本NO.1伝説」にて、占い芸人小笠原まさやによる占いで「2007年最も売れる芸人1位」に選ばれた。(ちなみに最下位は山下しげのり)
2006年末に発売されたPS2ソフト「桃太郎電鉄16 北海道大移動の巻!」では、たむけんのパロディ「たむらぎんじ」(スリの銀次の変装パターン)が登場した。
大阪の城東区(蒲生四丁目)に焼肉の店『炭火焼肉たむら』をオープン(元々は妻の親が焼き肉屋をやっており、田村名義に変更)。なお、開業資金の一部を妻の親に援助してもらった。
自宅は大阪市東成区深江南。愛車はメルセデスベンツ(7年ローンのML350)の白。
2006年末に放送されたガキの使いの罰ゲームでは変質者として出演した。建物の屋上に上がり、しゃくれ署の警官達から「早く降りて来い!」と促されるものの、たむらは「お前らが俺のことおもんない言うからこんなことしとるんやないか〜!分かった、じゃあこうしよう。俺がおもんなかったら降りたる」。とネタをいくつか披露した。
ジャイケルマクソンの「芸人だらけの水泳大会」において、楽屋での休憩中、たむらは一輪車の練習中に、食事中だったブラックマヨネーズ小杉竜一に激突してしまい、「ごめん、ごめん」と謝った。小杉はたむらに「たむらさん、みんな何て言ってるか知ったはりますか?高島屋の前にいる若者と、い、一緒やって言ってますよ。」と突っ込んだものの肝心な箇所をかんでしまい、たむらは「かむなよ、大事なとこ」と逆に突っ込んだ。
2007年2月17日の陣内智則と藤原紀香の結婚式に、吉本の芸人仲間として出席(他にはなるみ、海原やすよ・ともこ、ケンドーコバヤシ、シャンプーハット小出水)。結婚式会場でのカメラ撮影は禁じられていたにも関わらず、陣内の親戚達がカメラで写真を撮り始めたので、たむらも写真を撮った。
藤原紀香の弟に電話番号を一方的に渡したらしい。また結婚式終了後に藤原紀香がたむらのネタ「ちゃ〜。」を演じてくれるハプニング?があった。
陣内家から「うちに野菜を採りにこーへんか?」と招待され、楽しみにしている子供たちを連れて出かけていくと、案内されたのは果樹園ではなく何と裏庭の家庭菜園だった(NGKでの末成由美還暦記念イベント中での発言)。
人物
「陣内死ね!」というたむらお得意のネタについて、ケンドーコバヤシに「お前も俺のこと見捨てた。東京行く前は一緒に陣内いじっとったのに、帰ってきたらやっとらんし」と言ったところ、コバヤシに「あれは俺がやってウケてるの見て、あんたが乗ってきたんですやん。だから俺やらなくなったんですよ」とバラされた。
プライベートではたむけんファミリー・通称TKFの主宰者。TKFのTシャツを貰った人は自動的にファミリー加入となり、加入した芸人らはTKFのイベントに強制参加となっている。
間寛平・$10・サバンナと共にユニットコントライブ『宇宙ターザン』を不定期に開催している。DVDも発売された。
『M-1グランプリ2005』予選のために結成された山崎邦正とカンニング・竹山隆範の「竹山崎」に、2006年度は新たにたむらが加入、「たむらけんじと竹山崎」として参戦した。結果は予選三回戦敗退。
身体能力はそれなりにあり、中学・高校とソフトテニス部に在籍。中学時代には大阪のインドア大会で1位になった。またTKFでスポーツ大会を頻繁に開催している。
笑福亭鶴瓶と初対面した時、いきなり本人が大便するところを見せられた。
ケンドーコバヤシ曰く、雨上がり決死隊・宮迫博之、宮川大輔に並ぶドSキャラである。若い時、後輩芸人を道頓堀に投げ落としたことがあるらしい。しかし、後輩に対してしているSな行動は、「俺等のパクリや!」と宮迫に言われる(芸人が集まる居酒屋 たこしげより)。
ヨシモトファンダンゴTVのM-1優勝特番で、優勝者のチュートリアルの福田の声を聞いたとたんに、感極まって泣いてしまう気の優しい一面も垣間見せた。
クイズ!ヘキサゴンIIの予選ペーパーテストでは、初登場で3位と意外と好成績を残している。しかし、他のゲストから「納得がいかない」「バカのイメージが強いくせに」と批判されてしまった。その後の2007年2月21日の放送分では35点で1位を記録したため、その時もカンニングしたのではないかと評判は散々なものであった。
妻との仲は一時期相当ギクシャクしていたらしいが、現在は修復しているとのこと。
バッファロー吾郎主催のダイナマイト関西2003で、スペシャルマッチに登場。次長課長の河本準一としょっきり形式で大喜利を行なう。スベりに行ったときと、本気で笑いを取りにいったときの客の反応が両方とも同じだった。
プライベートでは破天荒なところは一切なく、礼儀正しくコツコツとした性格である。家での姿はスウェットに眼鏡で、テンションはかなり低い。
炭火焼肉たむらのオーナーとして、平均年齢20歳の店長・店員をまとめている。店の清潔に常に気を配っており、店の掃除が行き届いていないことを楽屋から店長に電話で注意するほど。店員のたむらへの評価は「真面目」「厳しい」「テンションが低い」。店に来た客へサービスで「ちゃ〜」を披露することも。店で使う野菜は、後輩の土肥ポン太が経営する八百屋から仕入れている。2007年1月の売り上げはM-1グランプリの優勝賞金額1千万円を超えた。
2007年3月に行なわれた末成由美還暦記念イベントの休憩中、炭火焼肉たむらの従業員を電話で説教した。
長男に、「パパ〜、今日学校で『お前ん家のお父さんおもんない』って言われた〜。」と後輩もいる席で突然言われ、「そいつに『お父さんと大喜利で勝負させ!』って言うとけ!」と返したらしい。
かなりの綺麗好きで、洋式トイレでは男でも必ず便座に座って小用を足すよう勧めている。立って小用を足すと、尿が飛び散って掃除しなければならないから。
たむけん語録
「東京で売れてる芸人全員死ね!」
「放り込め!放り込め!かーねーもとっ!」(←金本知憲)
「放り込め!放り込め!はーまーちゃん!」
「放り込め!放り込め!なかむらゆたかっ!」
「何やー!?家で飼うてるウーパールーパー死んだんか?」
「アホか東京!」
「東京で売れてる芸人の妹、売れてないバンドのドラマーと付き合え!」
「東京で売れてる芸人の肌荒れろ!ブツブツになれ!」
「東京で売れてる芸人の近所のコンビニ潰れろ!」
「東京で売れてる芸人の親の浮気ばれろ!些細なことでばれろ!」
「東京で売れてる芸人のおかんパーマ失敗しろ!」
「東京で売れてる芸人の飼うてる犬死ね! 知らんトリマーの腕の中で死ね!」
「東京で売れてる芸人のマネージャー風邪ひけ!そして長引け!」
「東京で売れてる芸人 この時期 鍋食うな!」(冬季限定ネタ)
「東京で売れてる芸人死ぬ前にこれだけは食うとくんやて決めとる大好物食えられへんで死ね!」
「東京で売れてる芸人 犬に噛まれろ!ホステスが寂しさを紛らわすために飼うてる犬に噛まれろ!」
「東京で売れてる芸人が乗ったタクシーの運転手 芸人にめっちゃ話し掛けろ!」
「東京で売れてる芸人 漆でかぶれろ!」
「東京で売れてる芸人 刀狩りされろ!」
「東京で売れてる芸人 今どきセガサターン貰え!」
「東京で売れてる芸人 逆剥けヒジまで行け!」
「陣内のことおもろいと思てるプロデューサー浮気ばれろ!」
「最後ネタしまーす」
「ダメ押しでネタしまーす」
「もう疲れたんでネタしまーす」
「よし売れた!!」
「あんなもんおかしいやろ」
「あんなもんいらん、いらん」
「あそこのひな壇、ボカーンなれ!」
「しいたけは洗うな」
などがある。
ネタ
「同期の嫁は金持ちや〜」(同期であるココリコの遠藤章造の妻、千秋の事を言っている)
「嫁の実家が金持ちや〜」
「同期が紀香と結婚や〜」(同期である陣内智則のこと)
「いきますかー!? イーチ、ニー、サーよいしょ、チャ〜」
「ごめんチャ〜」
「アドベンチャ〜」(アニメ「ドラゴンボール」の主題歌をフルコーラスで歌い、最後に言うパターンもある)
「ピッチャ〜」
「うわっ 俺って器小っチャ〜」
「ビッグモッコリ」(稀)
「誰が王JAPANや!!」(笑いの金メダルでスピードワゴンとコラボを組んだ際、井戸田潤の「世界一絡みづらいですね」という言葉に対し)
「誰がボブ・デービッドソンや!!」(上記の行動でミスったとき)
「誰がジーコJAPANや!!」(笑いの金メダルでスピードワゴンと組めなくて、井戸田潤からの言葉に対し)
「イナバウチャ〜」
「母チャ〜」
「かぼチャ〜」
「また俺のギャグ取られチャ〜」
「緑チャ〜」
デッカチャン口調になり「たむらけんじだよ」
「今からここで、面白いネタしま〜す」
ネタが無くなったときはパソコンを取り出し「大抵の人にウケる事」などと検索するギャグもある。
なお、「チャ〜」という一発芸はたむらけんじの息子が考案したものである。実際にたむらけんじの息子が、テレビで「チャー」をしたことがある。
基本的に自虐的なネタが多いと言われている。
出で立ち
獅子舞・サングラス・ふんどし姿(なおかつ髪がカールしている)で登場し、上半身に旬な文字を書いている。東京のUHF放送局のTOKYO MXでやっている「水野キングダム」ではスーツ姿で、獅子舞・サングラス・ふんどし姿は一切していない。(サングラスも外している為、デッカちゃんに似ている。)
下記は上半身に書いている旬な文字集
「話芸の神」
「楽屋でおもろい!」
「愉快な人」
「ネッシーは いてる」
「ブリには大根」
「マムシに注意」
「海からの恵み」
「よそはよそ うちはうち」
「かな縛りは夢なのか」
「やっぱり家が一番」
「子どもは国の宝」
「夢は(サッカーボールのマーク)四年後に」
「ちかん あかん」
「ツンドラ気候」
「今日はざっくばらんに」
「風力発電が一番」
「美空の前に美空なし 美空の後に美空なし」
「海の幸VS山の幸」
「M-1獲るぞ」
「年賀状はお早めに」
「炭火焼肉 たむら」
「おもち何個入れる?」
「笑いのシンデレラボーイ」
「金魚は意外とデカくなる」
「おもち食べすぎた」
「軽い気持ちでチョモランマ」
「寝起きの口は誰でも臭い」
「自費で春季キャンプ」
「犬やったら六才」
「リズムアンドブルース」
「ボールはともだち」
「薬局界のスギ様」 (スギ薬局プレゼンツ、「元気∞!よしもと笑いスギLIVE」のみ)
「しいたけは洗うな」
「百円玉で買えるぬくもり」
「シンクロ王国ロシア」
「メガネのマーチ」
などと書いている。ちなみにこれ等はたむらが「お前字が上手いか?」と聞き、上手いと言った芸人に書かせている。(ミサイルマンのウラモン!より)
登場時に出てくる獅子舞は自前だったが、2006年に吉本興業から50万円の獅子舞を買ってもらった。
芸を見せるときの風貌については「髪型で笑いを取るな」と若手芸人たちに言われたことがある。笑いの金メダルでスタッフが家を訪れたときはカメラが回っているのを見て、10分ほど家にこもり髪をセットして褌姿で玄関に出てきた。
その他の事柄
HGと同様、サングラスを掛けているため、『HGの様にサングラスを外す事を事務所から禁止されている』等と思っている人も多いと思われるが、実際にはその様な事は無く、サングラスは外しても良いということになっている。そのため、東京の番組「笑金」等ではサングラスを掛け、ふんどし姿で出ているが、関西圏ローカル局の番組では、サングラスを取り、素顔で出演している場合が非常に多い。関西でサングラスにふんどし姿のたむらを見ることは稀である。
ネタでキツイ事をかなり言うため、子供にも容赦無いと思われがちだが、なるトモ!の企画で幼稚園に行った時、幼稚園児に優しく振舞っていた。(しかし、子供を使い、陣内の悪口をネタで言っていたが)。
最近の若手芸人の中では珍しく、エンタ派生からの芸人(エンタ芸人)ではなく、笑金の活躍で一気にテレビへの露出がアップした芸人である。(その為最近の芸人としては珍しくエンタには一回も出た事が無い)。
最初笑金の「ワンミニッツショー」に出演した際、ちょうどその頃HGが旬の頃であった為、奇声で喋るネタやサングラス姿であることから、「HGのパクリ」等と批判されたが、実際には彼の方が芸歴は上であるため、ファンからは「それはおかしい」等と逆に批判されることもある。
たいがー:りーやですよ。等が大手の芸能人に「体を張らない」、「何も面白くない」などとマスメディアやネット上で酷評されバッシングされる中、彼は笑いの面では批判されたことは少ないが、それでもやはりおかしな姿で番組に出演している為か女性ファンは少ないようである。
移動には必ず獅子舞を持参するため空港では搭乗前の手荷物検査を受けると言う。
タムケンという放送作家がいるが、全くの別人である。
出演番組
めちゃ×2イケてるッ!(フジテレビ)-不定期
なるトモ!(よみうりテレビ)-隔週金曜
せやねん!(MBSテレビ)-隔週
ちちんぷいぷい(MBSテレビ)-隔週月曜
おはよう朝日です(朝日放送)-隔週
ナイトinナイト木曜「ビーバップ!ハイヒール」(朝日放送)
笑いの金メダル(朝日放送)※2006年4月からレギュラーに
みみヨリぃ!?(テレビ大阪)
よしもとサンサンTV(サンテレビ)-隔週
明石家さんちゃんねる(TBSテレビ)
水野キングダム(TOKYO MX)-毎週火曜11時-たむらけんじ議員での単発出演(サングラスを外し獅子舞はもっておらず、スーツ姿)
爆笑レッドカーペット(フジテレビ)
著書
吉本(よしぼん)(ワニマガジン社 ISBN 4898299970)帯には先輩の今田耕司がコメントを書いている。
マンスリーよしもと「楽屋ネタ 「楽屋家政婦たむけんは見た…」」
グッズ
「たむけんステッカー」
「たむけんラバーストラップ」
「たむけんのミニタオル」
「たむけん携帯ストラップ」
「たむけんのマスコット」
DVD
宇宙ターザン
ダイナマイト関西 ~全日本大喜利王決定トーナメント大会~
バトルオワライヤル
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概要
1980年代後半以降、ビートたけし、明石家さんまと共に、日本のお笑い芸人BIG3の一人として数えられている。特に『笑っていいとも!』の司会者として知られ、同じ司会者による最長寿テレビ番組としてギネスブックに登録されており、2007年現在においても記録を更新している。多芸、多趣味であるが、特定の師匠や修行経歴を持たず、素人芸を極めて一家を成した。作家の小林信彦は、この点でトニー谷に近いと評したことがある。弟子希望者が来ても「自分の芸は誰かに教えてもらったものではないので、人に教えようが無い」と断った。
芸名である「タモリ」は、本名の「森田」の前後を入れ替えたもので、元々は学生時代の愛称である。通常「タモリさん」「タモさん」と言われ、和田アキ子、愛川欽也、おすぎとピーコといった親しい芸能人からは「タモちゃん」と呼ばれている。また、トリビアの泉で品評会会長に就任以降、高橋克実、八嶋智人、ビビる大木の3人からは会長と呼ばれている。
趣味
タモリの趣味は多岐にわたる。ジャズをはじめとした音楽以外にも、鉄道、料理、坂道、BCL、アマチュア無線、武道、オーディオ、ダム、船舶などに造詣が深い。「日本坂道学会」副会長、「日本変態協会(略してNHK)」会長、「オッパイ星人」などの肩書きも自称している。
音楽は主にジャズを好む。後述の早稲田大学在学中における実績があるほか、植草甚一の死後、膨大なレコードコレクションの散逸を防ぐために、その全てを一括して引き取っている(約5000枚)。自身も森田一義名義で早稲田大学応援歌「ザ・チャンス」の作詞を担当したり、トム・O・リーの名でトランペット演奏のレコードを出すなどの音楽活動も行っている。フュージョンバンド「ザ・スクェア(現Tスクェア)」の初期アルバムにはトランペットやヴォーカルでゲスト参加している。
鉄道ファンとしての分野は、線路そのものが連なるさまや分岐器の複雑な造形、またそれらを列車が通過する際の音を好む「線路マニア」であると称している(一部では『鉄道の事情通』とも言われる)。自身が司会を行う『森田一義アワー笑っていいとも!』の楽屋にも、いつも時刻表と地図が置かれているという。自身が司会を担当する『タモリ倶楽部』でしばしば鉄道関係の企画を行っている。 ゲームソフト『電車でGO!』の腕前は、自他共に認めるハイレベルである。また船舶にも造詣が深く、一級小型船舶操縦士免許を所有するほか、船舶が映る画面を凝視するシーンがしばしば目撃されている。
料理はプロ級の腕前であると評される。共演したタレントを自宅に誘って食事会を開くことも多いが、タモリ自身はキッチンにこもって料理に没頭するため、番組と違ってトークで盛り上がることは稀であるらしい。 なお、当人は和食以外一切食べない和食党である。
坂道については、2000年には山野勝と「日本坂道学会」を結成し副会長を自称する。同会副会長として、休日には、好みの坂をまわり、坂道の写真を撮る。過去には「TOKYO1週間」誌上に『TOKYO坂道美学デートNAVI入門』を連載し、2004年にはその活動が『タモリのTOKYO坂道美学入門』としてまとめられた。
「日本変態協会」(NHK)会長を名乗り、「創作は全て変態である」という『創作変態論』を唱えている。また、バストが大きい女性が好きであると公言し、「俺はオッパイ星人」と発言している。
アマチュア無線では、コールサイン「JA6CSH」を取得していた(現在は失効)、当時、通話表での言い替えの代わりに「JA6・Cyah・Sukebe・Hentai」(キャースケベヘンタイ)と言っていたと言う。また、過去にラジオたんぱでBCL番組を担当していた実績も持つ。
武道にも造詣が深く、高校時代に柳生新陰流居合二段を取得している[1]。
また、芸能人仲間らの証言によれば、自宅では緑色のビキニブリーフ1枚になりイグアナの生態のまねをし、週末は沼津のマンションに泊まり、釣りを楽しんでいるという。
経歴
1945年8月22日、福岡県福岡市南区に生まれる。福岡市立高宮中学校、福岡県立筑紫丘高等学校を卒業後、九州英数学舘にて1年間の浪人生活を送る。1965年に早稲田大学第一文学部西洋哲学科へ入学[1]。その後学費未納のため抹籍処分となる[2]。1968年に帰郷後、保険外交員・喫茶店従業員・ボウリング場支配人等の職を経て、ジャズピアニストの山下洋輔や赤塚不二夫らと出会い、再度上京。30歳で芸能界入りする。テレビ・ラジオで「ハナモゲラ語」や「イグアナ」のモノマネといった独自の芸を披露する。ラジオにおける発言等から各方面からの反発も受けたが、1982年から『笑っていいとも!』の司会に起用され、2007年現在に至るまで番組司会の長寿記録を更新しており、ラジオ・CM等においても芸能活動を続けている。
福岡市立高宮中学校出身の芸能人としては他に高橋真梨子、森口博子、氷川きよし、博多華丸がいる。
デビュー以前
森田家は黒田藩の家老の家系で立派な塀に囲まれた屋敷を持ち、代々の当主は「森田のお殿様」と呼ばれている。 本名は「一義」だが生まれる前までは「義一」と名付けられる予定だった。これは祖父が尊敬している田中義一(陸軍軍人、昭和初期に立憲政友会総裁として首相をつとめる)にあやかって名付けようとしたが、「畏れ多い」と名を逆にしたもの。後年タモリは「俺は姓名ともに逆さにされたからひねくれてんだよな」と語っている。
幼少時代はおゆうぎが嫌だったために幼稚園入園を拒否し、小学校入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って人間観察を行っていた[3]。このため坂道好きとなり、後に「日本坂道学会」を設立する遠因となっている。大学浪人中はしばしば押入に潜り込み、韓国や中国からのラジオ放送を長時間聴いていた。これが藤村有弘以来と言われた「インチキ外国語芸」へとつながった。
早稲田大学在学中はモダン・ジャズ研究会に在籍し、トランペットを演奏。同期に増尾好秋、鈴木良雄らがいる。「マイルス・デイヴィスのラッパは泣いているが、タモリのラッパは笑っている」などの批評を受け、主にマネージャー・MCを担当することになった。このことは、後の話芸の基礎ともなった。早稲田大学を去った理由は、2年次の5月の連休、友人2人と旅行を計画し、学費用に仕送りされた資金を旅行用に一旦充てたが返済されず、自分の授業料が払えなくなったためである。学費未納のため抹籍という処分となった。ただし、モダン・ジャズ研究会のマネージャー役は続行し、かなりの収入を得ていた[1]。
早稲田大学では吉永小百合と在学時期が重なっており、学生食堂で吉永と遭遇した際、彼女が食事を済ませ立ち去った後に食べ残した食パンの端を見つけ、食べたい衝動に駆られ理性と欲望の狭間で暫し様子を窺ったが、勇気が無くて結局諦めたという。現在に至るまでサユリストを貫いている。
福岡県に帰郷した後は、保険外交員・喫茶店従業員等の職を転々とする。保険外交員(朝日生命)時代は営業成績がトップクラスであり、表彰されたこともある。この時期に同僚の女性と結婚した。また、喫茶店の雇われマスターだった頃は、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。
山下洋輔との出会いは、1972年、タモリが大分県日田市のボウリング場支配人だったときに始まる。当時の山下はライブ後ホテルで乱痴気騒ぎをすることを常としており、渡辺貞夫のツアーメンバーの1人として福岡を訪れた際も同様であった。サックス奏者(資料によってはドラムス奏者とする場合もある[1]がこれは間違い)の中村誠一が部屋にあったゴミ箱を頭にかぶり、メンバーで虚無僧ごっこをして遊んでいた。タモリは渡辺貞夫のマネージャーと学生時代の友人同士であったために同じホテルで飲んでいたところ、廊下まで響くその騒ぎを聞きつけ、部屋へと乱入し、ゴミ箱を取り上げて自ら踊り始めた。中村はその非礼をインチキ朝鮮語でなじったところ、タモリがそれより上手なインチキ中国語で返答したために双方が意気投合したという。「この男はジャズファンに違いない」と確信した山下らジャズメンは、博多のジャズバーに片っ端から問い合わせた結果、とあるジャズバーで発見された。その後、新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」の常連で結成された「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパによって、1975年6月に上京を果たす[1]。開かれた独演会では「四ケ国語麻雀」や、「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」などのリクエストを含めた即興芸を披露し、筒井康隆、山下洋輔ら臨席した全員を感動させる。臨席したうちのひとりである漫画家の赤塚不二夫は、「この男を博多に帰してはいけない」と引き留め、自らの家に居候させた。
バーでの一件の直後、赤塚不二夫自身が出演する生放送にそのまま連れて行って同様のパフォーマンスを演じさせたところ、黒柳徹子からその夜のうちに照会があったそうで、彼女の感性の鋭さに感心したと赤塚不二夫がコメントしている。タモリの居候生活は、住居は家賃17万円で4LDKのマンションであり、車はベンツが乗り放題、赤塚からは月に20万円の小遣いが渡されるというものだった[1]。赤塚本人は下落合の仕事場のロッカーを倒し、布団を敷いて寝ていた。赤塚以外ではこんな関係は成り立たなかっただろうとタモリも認め、大恩人だと語っている。ちなみに赤塚は自書の漫画で、「これだけ一緒に暮らしているんだから愛し合うことも出来るんじゃないか」と、2人で同性愛に挑戦して抱き合ったが、全く興奮せず、何もなかったと描いており、タモリも同様の趣旨の発言をしている。
芸能界入り
30才で芸能界入りする。東京12チャンネル(現:テレビ東京)の深夜番組『空飛ぶモンティ・パイソン』でデビュー。その後、日本テレビの棚次隆プロデューサーの目に留まり、『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系列)でレギュラーの座を獲得し、『オールナイトニッポン』で人気を不動のものとする。
「戦後最大の素人芸人」を自称していたデビュー当時は常にアイパッチ(眼帯)を使用していた。お笑いタレントでありながら愛想笑いやヨイショ芸をせず、どこかインテリ風で何を考えているか分からないという革命的な芸風だった。サブカルチャー好きの若年層には好評を博すが、中高年層には強い印象を与えつつも「薄気味が悪い」と不評だった。「密室芸人」という評も与えられていた。
当時の芸は「中洲産業大学芸術学部西洋音楽理論教授」や「タモリ教授」、「森田一義助教授」といった架空の肩書きをしばしば名乗り、「ハナモゲラ語」、「イグアナのモノマネ」、「4カ国親善麻雀」などを披露するというものだった。当時はあまりモノマネの対象とされていなかった朝鮮語やベトナム語も取り上げている。特に評価の高いモノマネに「寺山修司」がある。これはしゃべり方や身振りの模写のみならず、話す内容自体はタモリ自身が考えたものでありながら「いかにも寺山修司が語りそうな物言い」をするという点で画期的であり、それ以前の政治家のモノマネや歌手の歌真似を中心とする「声帯模写」芸とは題材やアイデアの面で一線を画し、後の「モノマネ」に多大な影響を与えた。
1976年10月から1983年9月まで水曜1部に出演したラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』では、当時人気だったオフコースや、フォーク歌手のさだまさし、名古屋及び名古屋人などに対しての批評を行い、ファンとの対立を起こした。オフコースについては「軟弱なフォーク、根暗なヤツが聞く音楽」、さだまさしは「女々しい、わざとらしい、歌よりトークが長い」、そして名古屋と名古屋人は「東京と大阪に挟まれ独特のコンプレックスがある、田舎なのに都会ぶる、人間がずうずうしい、エビフライをごちそうだと思っている、名古屋弁は響きが汚い」等とそれぞれに対して評した。名古屋出身者からも猛反発を受けたが、逆に名古屋の認知度上昇に貢献したとの意見もあり、肯定的に見る向きもある。その他、特産物や観光地が少ない埼玉県をダ埼玉と発言している。
ラジオ番組以外においても、『ザ・ベストテン』に臨時司会者として出演したことがあり、この際に当時アイドルであった田原俊彦をネタにしたことでファンからの抗議が殺到した。ただし『ザ・ベストテン』の司会者の1人であった黒柳徹子とは親交が深く、長寿トーク番組『徹子の部屋』では、年末のタモリ出演とその際黒柳に新作モノマネを披露するのが恒例になっている。
こうした活動のほか、1977年には赤塚不二夫、滝大作、高平哲郎らと「面白グループ」を結成する。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体である。団しん也や小松政夫も参加し、一時はビートたけしも参加していた。また、山本晋也監督の映画『下落合焼とりムービー』に所ジョージや大ブレイク前のアルフィーらと共に出演している。
『笑っていいとも!』以降
1982年からフジテレビ系列の平日お昼の生放送バラエティ番組『森田一義アワー笑っていいとも!』(以後『いいとも』と略)の総合司会者に就任。この番組で人あしらいのうまさと知性を買われるようになる。関口宏、大橋巨泉らと並ぶ1980年代の名司会者と評する向きもある。以降は各種バラエティー番組の司会者としての活動が主となる。1980年代初頭までの個人芸をテレビ番組で見る機会は少なくなるが、『タモリ倶楽部』でその点を補っているとする向きもあるが過激さを失った、という批判も根強く出ているのも事実である。しかし、「くだらなさ」についてはますます磨きがかかっているとの評価も多い。
『いいとも』におけるタモリの起用理由については、プロデューサーの横澤彪が「夜の顔だったタモリをあえて昼にもってきて意表をついた」と語っている。そのため当初は視聴者にとって違和感のある人選だったが、番組はヒット。1986年に4周年を迎え放送1000回を、1990年に8周年を迎え放送2000回を、1994年に12周年を迎え放送3000回を、1998年に16周年を迎え放送4000回を、2002年に20周年を迎え放送5000回を、2006年には24周年を迎え放送6000回を達成した。
『いいとも』出演以降は、眼帯の着用をやめ、主にレイバンサングラスを使用している。これが2007年現在に至るまでタモリのトレードマークになっている。『いいとも』以前は片眼に眼帯をしていることが多かったが、昼の帯番組ではイメージが良くないという配慮から変更されたらしい。このサングラスは、昼番組と夜番組を併せて1983年、1990年、1991年、1996年、2001年、2002年の6回変わっている。『いいとも』開始当初から1996年までは「昼の番組で真っ黒なサングラスはどうか?」ということもあって、目元がほぼ見える薄茶色のサングラスを着用していた。いいとも以外の番組では黒色のサングラスを着用しており、1996年から2007年現在の『いいとも』を含む全番組出演時は黒色に統一されているが、同型でレンズカラーの違うスペアサングラスを所持しているようだ。また現在着用しているサングラスは俳優の内藤剛志からのプレゼントである。
ラジオにおける活動は、『いいとも』出演以降も行われている。『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めた過去から、ナイターオフシーズンにはニッポン放送にレギュラー番組を持つ。2005年に起きたライブドアによる一連のニッポン放送に関する騒動に対し、「仮にニッポン放送がライブドアに買収された場合は、ニッポン放送への出演を取りやめる」と所属事務所を通じて公言していたが、この事件が解決したことで、同年秋からはブリタモリ大百科事典に出演した。
その他、1983年12月31日にはデビュー8年目にして『第34回NHK紅白歌合戦』の紅白総合司会を務める。2006年現在に至るまで、現役・元アナウンサー以外の紅白総合司会者はタモリのみである。1986年には、タモリの半生を描いた『歌と笑いの41年 戦後タモリ史』という番組が放送された。また、『いいとも』のフリートークで「疲れてるときにユンケル(栄養ドリンク)はいいよね」と発言したところ、ユンケルを発売している佐藤製薬からユンケルを大量に贈られ、これをきっかけにユンケルのテレビCMにも出演するようになった。
いいともではよく、ゲストと話す際、「んなーこたーない」と言うことがあるため、コージー冨田などによくネタにされる。これは現在、アスキーアートにもなっている。
事件・事故
1985年5月14日、筒井康隆全集全24巻の完結を記念したパーティーにおいて、「君が代」が演奏されるたびにタモリが昭和天皇の声帯模写をし、パーティーの最後にはそのままになり、二次会、三次会、朝5時までそれを続けた。 このパーティーの様子は翌週の「週刊読書人」にバッチリと掲載されることになり、それ以降タモリは右翼から脅迫を受け続け、最終的にはタモリの所属事務所、田辺エージェンシーの社長田邊昭知が監禁される事態にまで至った(筒井康隆もエッセイ「笑犬樓よりの眺望」にこのパーティーの様子を書いているが、一部の固有名詞が『伏字』になっている)。
1990年某日、ヨットの柱に額をぶつけた。この事故でタモリは髪型を7:3分けから、現在のオールバックへ変えた。
2000年5月6日、東京・目黒区で人身事故を起こした。タモリの車が左折した際、右から直進してきたオートバイと接触、オートバイは弾みで別の車にも接触した。運転していた男性と同乗女性が足に軽い打撲。タモリに怪我は無かった。
2001年11月4日関東近郊のゴルフ場でプレイ中、ボールがサングラスのつるに当たり、左こめかみ付近を負傷。都内の病院に検査入院。1995年の小型船舶免許取得時以来、6年ぶりの番組欠勤となった。『いいとも』は当時の各曜日レギュラー陣が代役を務め、「ミュージックステーション」では、タモリとともに司会を務めているテレビ朝日アナウンサー武内絵美(2000年4月 - 2004年3月まで担当)とこの日出演したアーティストが交代で特別司会を務めた。
このほか、バイクでの事故経験もある。乗っていたバイクが竿立ち状態になりコントロールできず、無関係の家の垣根を通り抜けて庭に突っ込み、食事中の一家から「どなたですか?」と言われた、とトークで語っている。
『いいとも』におけるタモリ
『いいとも』開始後間もなく、「たけし(ビートたけし)は大包茎。オシッコが真っ直ぐ飛ばない」と発言した。そのすぐ後の放送日に、「タモリさんさぁ、俺のこと包茎とか言ってたって?そりゃマズいだろ!」と、ビートたけしが番組に乱入した。当時レギュラーだった田中康夫に対しては「お前のことは前から気にいらねえんだよ!」と首を絞めて押し倒すなど、番組内で暴れた後に退散した。この件は、それまでタモリとビートたけしの共演がほとんどなかったこともあり、『いいとも』に興味を示さなかった視聴者層や芸能マスコミにも広く話題を呼んだ。この件について、ビートたけしは後に「あれはプロデューサーの横澤さんに頼まれたこと」と、ヤラセであることを暴露した。元来ビートたけしはタモリより先に『いいとも』の司会を頼まれたが辞退した経緯があり、開始当初人気が安定しなかった『いいとも』へのテコ入れとして、タモリと不仲説のあったたけしを番組に乱入させたらしい。ちなみにビートたけしは自分が包茎であることを『オールナイトニッポン』などでは何度もネタにしていたが、タモリの『オールナイトニッポン』に自分の歌を宣伝するために出演した折、番組に参加していた女性達に自分の局部を露出し、それを見た女性達に笑われた挙げ句タモリにも見せると「すごい包茎」と散々に突っ込まれていた。
出演者等の条件によって、タモリが必ず行う恒例の行事がいくつかある。間寛平が出演すると、お互いに猿の真似をしながらスタジオ中を駆け回る(それだけでテレホンショッキングの時間のほとんどを使ったことがある)。テレホンショッキングでユースケサンタマリアから花が届くと「カタカナの人」と言う。また、毎年フジテレビ系列で放送しているFNSの日の「笑っていいとも!増刊号生スペシャル」では、(自身が昨夜から総合司会を続けてきたかのごとく)「まあ、毎年この時間が一番、眠いんですよね」とタモリが発言し、他の出演者にツッコまれることも恒例となっている。
2003年6月27日のミュージックステーション(テレビ朝日系)で、t.A.T.u が番組を途中放棄するという事件が起きる。その後約1年間にわたり、「いいとも!」出演者からt.A.T.uの話が出るたびに「タトゥーの話はするな!」と怒っていた。
2004年7月25日にフジテレビの27時間テレビの中で行われた『笑っていいとも!増刊号生スペシャル』のテレフォンショッキングのコーナーでは自分の番組にゲスト・森田一義として登場した。この時、司会は27時間テレビの総合司会を務めていたナインティナインの岡村隆史が行った。同じく総合司会だった矢部浩之と中居正広は観客席にいた。
2007年1月24日、アンジャッシュがゲスト出演し、流れの中で自然に「あるある」と言った際、「あんまり今、「あるある」って言うと…」と、渦中の納豆ダイエット問題の不祥事で放送自粛となり打ち切りとなった(2007年1月24日時点では打ち切りではなかった)「発掘!あるある大辞典II」を匂わす失言をし(増刊号では未放送)、後番組の「スタ☆メン」にレギュラー出演している爆笑問題の田中裕二が、「そういうことを言うことによって、またいろいろあるでしょ!」と、それ以上コメントをさせない様にした。失言に気付いたタモリはその後、お得意のデタラメ語を連発し、事態を揉み消した。
モーニング娘。に対しては5期加入してから「名前覚えるのもうやめる」「憶えるのやめた」とコメントしていた。以後、出演ゲストにはタモリの前ではモーニング娘。の話は禁止となっている。
その他
座右の銘は「適当」「現状維持」「やる気のある者は去れ」など
公式サイト・田辺エージェンシーの所属タレントでは、タモリのみ写真が掲載されていない。
当初自分の独特の芸風が壊されるという理由で師匠につかず事務所に入らずの方針で活動していたが、田邊昭知が芸風は自由にやらせるという条件付で自ら直々に口説き落としたという。
タモリ最初の所属事務所は、非公式ではあるが山下洋輔と「ジャックの豆の木」のA子女史が設立した「オフィス・ゴスミダ」。テレビと文化祭の二度の仕事だけで解散。このへんのタモリデビューのいきさつは『ピアノ弾き翔んだ』(山下洋輔、徳間書店、1978年)に詳しい。
1980年代初頭においては、タモリとビートたけしの間に不仲説が存在した。タモリは「俺とたけしは仲が悪いと思っている人もいるみたいだけど、実は仲がいいんだよ」、たけしも「タモリさんの奥さんと俺の女房は仲がいい」などと発言したことがある。ただし、たけしは「タモリさんの奥さんが物凄く大きなダイヤの指輪をしていて、俺の女房の目に刺さりそうだった」と続けて笑いを取る場合が多かった。
音楽番組の司会を長く勤めているため、玉置宏、芳村真理、黒柳徹子と並び、日本の歌謡曲歌手の事をよく知る芸能人、とする意見がある。
よく言う冗談は「俺はジャニーズシニア」「俺は『ZOO』にKAZU(カズ)の名前で所属していた」など。特に後者に関しては、ZOO解散前の最後のテレビ出演がMステとなったため、タモリも曲中のダンスに参加しスタジオを沸かせたという逸話を持つ。また、EXILE新メンバー募集の際には『MUSIC STATION』にて自らKAZUの加入を推奨していた。
横澤彪によればタモリは30歳を超えて芸人に転向したこともあり驕り高ぶった所も見せず、「俺たち芸人なんか世間でまじめで働いてる人から見れば詐欺師稼業みたいなもんだ」というのが持論だという。
普段は温厚であるが、かつて森脇健児が焼肉の網に肉を隙間なく並べたことに激怒した、と数回発言したことがある。しかしいずれも、本当に心から激怒していたとは思えない口調であり、とかく温厚なのだろうという見方もある。
今の携帯はナインティナインの岡村隆史にプレゼントされたものであり、それまでタモリは携帯電話を持っていなかった。
雑誌などの取材やインタビューはあまり受けないが、過去に「週刊朝日」の取材に答えた事がある。そのとき「いいとも」の長寿の秘訣について、「番組についての反省を一切しないこと」と答えている。実際に、「いいとも」では反省会を行っていない。
俳優業にも一時期チャレンジしたが、今はやっていない。ナインティナインの岡村隆史が、ジャングルTVでタモリ主演のビデオカセットを見せたとき、「止めてくれ」と言った。どうやら、俳優業は自分に不向きだと思っているようである。最近ドラマに出たのは1991年の『世にも奇妙な物語』のエキストラ出演以来だか、他には2004年の『X'smap〜虎とライオンと五人の男〜』にデビュー当時のサングラスを外し、眼帯をつけた姿で一瞬だけ出演し、さらに2007年の『和田アキ子殺人事件』に本人役で出演した(ちなみにTBSのテレビは久々の出演である)。
佐藤製薬のユンケル黄帝液シリーズに新発売当時からCMキャラクターとして起用されていたが降板後は同社の歯槽膿漏治療薬のアセスのCMキャラクターとして起用されている。同社にとって手放すには惜しみある存在。(注:タモリ降板後はイチローがユンケル黄帝液のCMキャラクターに起用されている。)
ダウンタウンがいいともに初出演した際、ダウンタウンがいいとものコーナーにケチをつけまくったため、「うるさいなぁ…」とタモリが小声で言うと、浜田が「司会者が「うるさい」って!かなわんなぁ」と言い返したため、「本当にうるさいなあ!!」と怒鳴った。
若いころは度のきつい丸型のメガネをかけていて、容姿は将棋の大山康晴名人に似ているとタモリ本人が認めている。
小学校時代のあだ名は、なで肩だったことから「矢印」。(「いいとも!」にて自ら発言)
「いいとも!」に要潤がゲスト出演した際、タモリは「俺は要潤に似ている」と自信に満ちて言って憚らなかった。
新宿厚生年金会館横にあるJAZZ SPOT J(1978年開業)の設立メンバーで、80年代はよく顔を見せていた。オーナーと間違えられることが多かったが、タモリは取締役宣伝部長である。
テレビ番組
レギュラー
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)
笑っていいとも!増刊号(フジテレビ)
タモリのジャポニカロゴス(フジテレビ)
MUSIC STATION(テレビ朝日)
タモリ倶楽部(テレビ朝日)
単発
笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル(フジテレビ)
笑っていいとも!特大号(フジテレビ)
※上記番組では本名の森田一義名義。
MUSIC STATION SUPERLIVE(テレビ朝日、ミュージックステーションの年末特番)
世にも奇妙な物語(フジテレビ、ストーリーテラー)- 毎年、春<春の特別編>と秋<秋の特別編>に放送。
徹子の部屋(テレビ朝日、毎年の年末最後のゲストとして必ず登場する)
タモリのヒストリーX
過去
NHK
テレビファソラシド
驚異の小宇宙・人体
ドラマ人間模様「詐欺師」
ウォッチング
日本テレビ系
金曜10時!うわさのチャンネル!!
スター誕生!
今夜は最高!
月曜スター劇場『なぜか、ドラキュラ』
ドラマ『今夜は営業中』(劇中劇ならぬ劇中バラエティのゾーンがある)
24時間テレビ 「愛は地球を救う」(1978年 - 1984年)
ピンクレディー 汗と涙の大晦日150分!! 紅白歌合戦をぶっとばせ! ビキニでフィーバー(1978年12月31日)
木曜スペシャル・タモリのいたずら大全集
タモリ&さんまの爆笑タッグマッチ(1987年 - 1992年頃)
木曜スペシャル・タモリのNG大全集
木曜スペシャル・タモリの世界そっくり決定戦
講演大王!(第1回ゲスト出演)
投稿!特ホウ王国スペシャル(1994年秋のスペシャルに審査委員長として出演)
TBS系
サンデーお笑い生中継(制作:毎日放送)
ジャングルTV〜タモリの法則〜(制作:毎日放送)
タモリのグッジョブ!胸張ってこの仕事(制作:毎日放送)
ドラマ『水曜劇場・家路〜ママ・ドント・クライ』
ドラマ『水曜劇場・家路〜パート2』
ドラマ『代議士秘書の犯罪』
ドラマ『不連続爆破事件』
月曜ドラマスペシャル『自主退学』
Ryu's Bar 気ままにいい夜(ゲスト出演)
アッコにおまかせ!(ゲスト出演)
スペシャルドラマ『和田アキ子殺人事件』(本人役で出演)
フジテレビ系
トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜(隔月特番;フジテレビ)
笑っていいとも!新春祭
タモリのボキャブラ天国→タモリのsuperボキャブラ天国→タモリの超ボキャブラ天国
祝!タモリのボキャブラ天国・新春復活スペシャル
ドラマ『if もしも』
スペシャルドラマ『X'smap〜虎とライオンと五人の男〜』
タモリの未来予測TV
新・哲学大王→タモリのネタでNIGHTフィーバー!
FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(1987年 - 1990年)→1億2000万人のテレビ夢列島91'→FNSの日(1992年 - 1996年)→27時間テレビ(1998年 - 2001年、2004年)
スーパータイムスペシャル(安藤優子とともに司会)
タモリ&安藤優子のSuperスーパーニュースSpecial
タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ(1988年、1989年、1991年 - 1994年、1996年 - 1999年)
さんまのまんま(制作:関西テレビ・2001年新年スペシャル・ゲスト出演)
SMAP×SMAP(2006・ビストロSMAPゲスト出演)
FNS26時間テレビ 国民的なおもしろさ!史上最大!!真夏のクイズ祭り 26時間ぶっ通しスペシャル(2006年)
テレビ朝日系
夕刊タモリ!こちらデス
タモリスペシャル(1982年1月21日)
夢のビッグスタジオ(1982年4月8日 - 5月13日)
※初のテレ朝音楽番組レギュラー司会。 わずか6回で降板。 5月20日から南美希子が司会。
テレビ東京系
チャンネル泥棒! 快感ギャグ番組! 空飛ぶモンティ・パイソン(東京12チャンネル・1976年4月9日 - 9月24日)
タモリの突撃ナマ放送(東京12チャンネル・1980年10月5日 - 1981年6月28日)
※日曜正午・スタジオアルタからの生放送
タモリの音楽は世界だ!(テレビ東京)
タモリのギャップ丼(テレビ東京・1994年 - 1995年)
映画
喜劇役者たち 九八とゲイブル(1978年)
博多っ子純情(1978年)
下落合焼とりムービー(1979年)
はだしのゲン PART3 ヒロシマのたたかい(1980年)
'80年アニメーション ザ・ベストテン(1980年、声の出演)
水のないプール(1982年)
キッドナップ・ブルース(1982年、主演)
だいじょうぶマイ・フレンド(1983年)
刑事物語2 りんごの詩(1983年)
愛染恭子の未亡人下宿(1984年)
星くず兄弟の伝説(1985年) - 『笑っていいとも!』司会者役
スタア(1986年)
ジャズ大名(1986年、特別出演)
片翼だけの天使(1986年)
丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!(1990年)
世にも奇妙な物語 映画の特別編(2000年)
ラジオ
過去
ブリタモリ大百科事典(ニッポン放送)
タモリの週刊ダイナマイク(ニッポン放送)
タモリのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
ダントツタモリのおもしろ大放送(ニッポン放送)
タモリの世界最大ポップス電話リクエスト(ニッポン放送)
拝啓!青春諸君(ニッポン放送)
サバチーチカレッジ タモロス博士のサンデーゼミナール(セントギガ・サテラビュー)
タモリで失敬!(TBSラジオ)
タモリのヨッ!お疲れさん(ニッポン放送)
BCLワールドタムタム(ラジオたんぱ)
タモリの美女対談(ニッポン放送・NRN)
CM
キヤノン デートマチック
国鉄
富士通 パソコンFM-7シリーズ(1980年代前半)
東洋水産 一醤麺(1980年代前半)
朝日新聞 筑紫哲也との共演(1981年頃)
本田技研工業 スカッシュ(1981年)
SONY ビデオテープ・ダイナミクロン(1981年)
ジーシー株式会社 GCカード(現・GEコンシューマー・ファイナンスのGEカード)(1982年)
片岡物産 アストリアコーヒー(1982年)
コーセー化粧品 ダモン(男性化粧品、日野皓正との共演)(1982年)
パイオニア レーザーディスク(1983年)
理想科学工業 リソグラフ(1986年ごろ)
佐藤製薬 ユンケル皇帝液(1984年 - 2002年)、アセス(2003年)
東京ニュース通信社 TVガイド(2001年 - 2002年)
日本テレコム おとくライン(2004年)
サントリー BOSSレインボーマウンテン(石原さとみとの共演)ほか。
タモリの関連アルバム
タモリ(レコード:1977年、東芝EMI株式会社、ETP-72227 / CD:1995年、アルファレコード、ALCA-9159)
毛沢東風中国人・マッカーサー風アメリカ人・ヒトラー風ドイツ人・寺山修司風日本人のモノマネによる「四カ国親善麻雀」が収録されているが、元々は寺山修司ではなく昭和天皇のモノマネだった。発売になったのは修正版。
タモリ2(レコード:1977年、東芝EMI株式会社、ETP-80060 / CD:1995年、アルファレコード、ALCA-9160)
『タモリ3戦後日本歌謡史』(レコード:1981年、アルファレコード、限定発売のためか品番がなくTAMORI-3と替わりに入っている)
実際には『タモリ2』以前に録音されており、当初はこの内容が『タモリ2』になるはずだった。戦後の名曲をパロディーにしているため著作権上の疑義が指摘され、初回プレス分の3万5000枚だけを新星堂で限定発売し直ちに絶版という運命をたどる。
録音日が1978・4・7〜1981・1・14となっているため、発売に際して録音し直したと思われる。元バージョンテープの存在は『タモリだよ!』(平岡正明、CBS・ソニー出版、1981年)にチラッと書かれている。
『TAMORI’S DREAM』(CD:1993年、アルファレコード、ALCA-552)
『タモリ』および『タモリ2』からサンプリングした音源をタックヘッド(Tackhead)がリミックスした企画盤。On-Uサウンドのエイドリアン・シャーウッドがダブ・ミックスを行っている。
『ラジカル・ヒステリー・ツアー』
『HOW ABOUT THIS』(大マジなジャズ・アルバム)
『永遠の絆』・なぎら健壱コンサート(MC・Mr.タモリとして参加。)
ほかに、大瀧詠一がプロデューサーとして招かれたものの、タモリがヴォーカル録りをしないまま終わった幻のアルバムの企画があったと言われている。
THE SQUAREのアルバム『MAGIC』内の2曲にトランペットおよびバックボーカルで参加している。
パイパー(PIPER:山本圭右がリーダーを務めた1980年代のJ-POPグループ)のサードアルバム『GENTLE BREEZE』のジャケット写真(古風な赤い消防車に雪が降り積もっている)の撮影を担当。
決定盤「NHKみんなのうた」より大全集8 タモリが唄う「ミスターシンセサイザー」を収録。
1976年発売の筒井康隆と山下洋輔のアルバム『家』に、タモリも参加している。
書籍
タモリ『21世紀ブックス タモリのカセット面白術 : もてる!ウケル!きわめつけ実例94』、主婦と生活社、1977年。
タモリ『タモリのケンカに強くなる本』、ベストセラーズ、1978年。
タモリ『タモリのちょっとアレですが』、エイプリル・ミュージック、1978年。
タモリ『行ってから読むか読んでから行くか : タモリのNew York旅行術』、講談社、1980年。
タモリ『今夜は最高!』、日本テレビ放送網、1982年。
タモリ『今夜は最高!. part 2』、日本テレビ放送網、1982年。
タモリ『今夜は最高!. part 3』、日本テレビ放送網、1982年。
タモリ『新・今夜は最高!』、日本テレビ放送網、1983年。
タモリ『新・今夜は最高!. part 2』、日本テレビ放送網、1983年。
タモリ『タレント狂殺人事件』、作品社、1983年。(ISBN 4878938013)
タモリ『タモリのおじさんは怒ってるんだぞ!』、徳間書店、1984年。(ISBN 4-19-502931-7)
タモリ『タモリのTOKYO坂道美学入門』 、講談社、2004年。(ISBN 4063527239)
過去に交友社より鉄道ファンの出演依頼があったが、スケジュールの関係で実現できなかった。
共著
タモリ、松岡正剛『プラネタリー・ブックス16 愛の傾向と対策』、工作舎、1980年。
タモリ、松岡正剛『コトバ・インターフェース』、ダイワアート、1985年。
タモリ、笑福亭鶴瓶『タモリ鶴瓶のおぼえてるでェ!』、フジテレビ出版、1987年。(ISBN 4-594-00180-7)
タモリ+イースト・クイズ班編『クイズ!タモリの音楽は世界だ』、マガジンハウス、1993年。(ISBN 4-8387-0313-9)
赤塚不二夫、タモリ『赤塚不二夫とタモリの西サモアに行ってこれでいいのだ』、コミックス、1994年。(ISBN 4-06-313704-X)
タモリ、筒井康隆、山下洋輔、赤塚不二夫、赤瀬川原平、奥成達 『定本ハナモゲラの研究』(1979年、講談社)
関連書籍
平岡正明『タモリだよ!』CBS・ソニー出版、1981年。
家庭画報編『タモリと賢女・美女・烈女』、世界文化社、1982年。
武市好古編『ぴーぷる最前線 タモリ』、福武書店、1983年。(ISBN 4-8288-0314-9)
フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 1』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02256-1)
フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 3』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02287-1)
フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 4』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02311-8)
フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 5』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02320-7)
フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 6』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02332-0)
窪田ひろ子『「タモリ倶楽部」夜の英会話 : 夜だけでなく、昼間も役に立つ!』、全国朝日放送、1988年。(ISBN 4-88131-086-0)
笑っていいとも!編『タモリの世紀末伝説 : 関根くん家とマチャミん家のおかしな人々』、フジテレビ出版、1993年。(ISBN 4-594-01321-X)
フジテレビ「タモリのボキャブラ天国」編『タモリのボキャブラ天国 : フジテレビオフィシャル』、フジテレビ出版、1993年。(ISBN 4-594-01186-1)
フジテレビ「タモリのスーパーボキャブラ天国」編『タモリのスーパーボキャブラ天国 : フジテレビオフィシャル』、フジテレビ出版、1994年。(ISBN 4-594-01494-1)
フジテレビ「タモリのスーパーボキャブラ天国」編『タモリのスーパーボキャブラ天国 : お・と・なスペシャル版』、フジテレビ出版、1995年。(ISBN 4-594-01638-3)
タモリのジャポニカロゴス国語辞典編集部編『タモリのジャポニカロゴス国語辞典』、フジテレビ出版、2006年。(ISBN 4-594-05174-X)
ビートたけしや明石家さんまなどとは異なりタモリファミリーというものは存在しない。が、交友歴は広いようで文化人や俳優などと関わりもある。 ちなみにタモリの自宅に招かれた人物は、必ずといっていいほど共演の際に自宅へ招かれた話をする。
関係人物
デビュー直前・直後
大橋巨泉(早稲田の先輩でもあり早くからタモリを重用)
赤塚不二夫(タモリの恩人)
浅井慎平
山下洋輔
坂田明(初期、宴会での坂田とのやりとりで発展した芸は多い)
筒井康隆
高島忠夫
吉永小百合(早稲田大学に入学するきっかけ。タモリはサユリストを自称)
和田アキ子
黒柳徹子
全盛時代
ビートたけし(疎遠と言われた時期もある)
明石家さんま
逸見政孝
所ジョージ(タモリが仲人を務めた)
景山民夫(「タモリ倶楽部」のメイン作家だった)
片岡鶴太郎
小松政夫
とんねるず(とんねるずが素人時代「お笑いスター誕生」出演時にタモリだけ唯一褒めた)
現在
関根勤
安斎肇
近田春夫
萩原健太
マーティ・フリードマン
その他
中洲産業大学
イグアナ
オールナイトニッポン
ハナモゲラ語
コージー冨田(タモリのモノマネをする)
福岡県出身の有名人一覧
その他に仲のいい芸能人
井上陽水
笑福亭鶴瓶
関根勤
ダウンタウン
浜田雅功
松本人志
ウッチャンナンチャン
内村光良
南原清隆
ナインティナイン
岡村隆史
矢部浩之
SMAP
ビビる大木
八嶋智人
高橋克実
奥田民生
原田芳雄
岸田繁(くるり)…鉄道マニア(特に京急)つながり
など
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概要
基本的には芸人たけしの弟子という位置付けだが、一説にはたけしの用心棒という意味合いもあると言われる。芸人として修行しようという者が大半なはずだが、そういった目的がはっきりしないままメンバーになった者も存在するという見方もある。
1980年代、たけしが司会を務めていたテレビ番組「スーパージョッキー」の企画「ガンバルマンズ」に出演。苦痛を伴うさまざまなゲーム等に身体を張って挑戦し、無様な姿をさらして笑いを呼び人気を得た。必死の体技で笑いを取る路線は、後の「お笑いウルトラクイズ」で頂点に達したと見る向きもある。また今では信じられない事だが彼らのルックスはさほど悪くないので、「スーパージョッキー」では当時の若い女性から「タカくーん!」「松尾くーん!」などと黄色い声援がよく飛んでいた。
かつてのたけしは萩本欽一を評し「萩本さんは素人いじりで笑いをとるが、俺はそういうことはしない」と述べていた。しかし、たけし軍団(当初は素人あがりの芸の未熟な者が多かった)を得たことによって、たけしも萩本と同じく素人いじりで笑いをとるパターンにはまった、と厳しい目で見る向きも多かった。たけしファンとして知られた作家の小林信彦は、エッセーの中で「あのどうしようもない弟子たちとは決別すべき」と苦言を呈したこともある。同様の例はダウンタウンの松本人志にも見られる(かつての松本はたけしを「素人いじり」と批判していたが、近年の松本も後輩芸人などをいじることで笑いを取っているという指摘がある)。一方漫画家の高信太郎は著書の中でたけし軍団を『ビートきよしの代わり』と書いている。(ツービート時代のきよしは便宜上役割はツッコミということになっていたが、ほとんど合いの手を入れる程度だった。)
彼ら軍団員は、たけしのことを「殿」と呼んでいる。これは「風雲たけし城」にてたけしが城主の役をしていたことに由来するが、このこと自体も萩本欽一が「大将」と呼ばれていたのに影響されている可能性が高いと見られる。
上下関係が厳しく、結束力が強く、たけしとともにフライデー襲撃事件にも参加した(井手らっきょ、ラッシャー板前、つまみ枝豆を除く)。また、一時期メンバーの総収入がたけしの収入を越え、たけしは「軍団の軍団」と言われていたこともあったと言われている。
一時期、主要メンバーと若手を区別するために、一世風靡セピアにならって、若手の一団を「たけし軍団セピア」、三軍に当たるものを「浅草キッドブラザース」と呼んでいたこともある。
そのまんま東(現・宮崎県知事の東国原英夫)、大森うたえもん、つまみ枝豆、ガダルカナル・タカの4人で「たけし軍団COUNTDOWN」というグループ内ユニットを組みレコードを出していたこともある。
軍団員で構成する草野球チーム(チーム名も「たけし軍団」)は、アマチュア最強とも噂される強豪で、千葉ロッテマリーンズ、阪神タイガースとの試合に勝利したこともあるが、この時は元プロなどの助っ人でチームが構成され軍団員はほとんどが応援に回っていた。
2004年10月にテレビ朝日系で放送された特番『朝までたけし軍団』にて解散を発表。同時に「たけし後援会」にそのまま移行した。2005年1月には同局系列で『朝まで元たけし軍団』が放送された。2006年1月に放送された「朝まで元たけし軍団ファイナル」においてたけし軍団2代目をガダルカナル・タカが襲名(2006年5月19日のたけしの誰でもピカソでは、たけし自ら「総裁になった」と話した)。
しかし、解散・移行・リーダー変更などが真実なのか番組上の「演出」なのかは定かでない。
タレントなど(特にお笑い系)による不祥事が起きると「"たけし軍団”入りで再出発か」というネタのような話がよく出てくるのも特徴である。こういった話が出るようになったきっかけは、素人時代のなべやかんが明治大学替え玉受験事件で騒がれた後、たけしが半ば引き取る形で軍団に加えたことだと見られる(一説には、やかんの父・なべおさみの依頼と言われる)。前述の体育会系的な上下関係の厳しさなどから、不祥事を起こした者の根性を叩き直すのにもってこい、というイメージも存在すると見られる。田代まさしが不祥事を起こした際も「軍団入り」の噂が出たが「あんな野郎に関わりたくは無い」とたけしが批判し実現してはいない。山本圭一の場合は、東スポにて「みそぎを済ませたらウチへ来い」とたけしが発言。芸名まで提案をしていたが、東スポ誌上でもありリップサービスと見ていい。最近では議員との不倫で騒がれた山本モナが、たけしの事務所であるオフィス北野に所属をしている縁でビートたけしのお笑いウルトラクイズで復帰した例があり、これも「山本モナ、たけし軍団入りか?」などと言われた。
それ以前には水島新太郎(漫画家・水島新司の息子)の軍団入りでも同様の流れが見られた。一説に、学業等を苦手としている息子の将来を心配した水島新司が、知人であるたけしに「息子を弟子入りさせて欲しい」と願い出たと言われる。
スクウェア製作の「日米間プロ野球」では、たけしが監督として登場し、軍団員(井手らっきょ・つまみ枝豆など)も選手として登場する。
メンバー
井手らっきょ
ガダルカナル・タカ
グレート義太夫
ダンカン
つまみ枝豆
松尾伴内
ラッシャー板前
浅草キッド(水道橋博士・玉袋筋太郎)
〆さばアタル
なべやかん
ほたるゲンジ(無法松・桐畑トール)
お宮の松
ジョーダンズ(山崎まさや・三又忠久)
赤P-MAN
ルビー浅丘モレロ
アル北郷
ガンビーノ小林
マキタスポーツ
サミーモアモアJr.
早川伸吾
元メンバー
すがぬま伸
秋山見学者
浅草キッドブラザース
亀頭白乃介
かに道楽落ち太
佐竹チョイナチョイナ
熱海マッサージ
亜仁丸レスリー
雨ガッパ - もとニセ大周
一文字隼人(ペカソチャルマンチャイ)
大森うたえもん
九州男児
ショー小菅
シロマティ
新大久保清
芹沢名人
そのまんま東(本名:東国原英夫)※現宮崎県知事
たけし軍団セピア
キドカラー大道
水島新太郎
サード長嶋
誰なんだ吉武
大阪百万円
クロマニヨン吉川
谷体調
トカレフ林
ノーカット星
バター犬太郎
北海ジャンジャン
こてっちゃん馬場
負古太郎
元日本兵
古田古
柳ユーレイ(お笑いから俳優へシフトチェンジにともなう離脱で所属事務所は引き続きオフィス北野)
〆さばヒカル
たけしに関する団体にいた人
松田秀士 - ビートたけしの義弟−たけしプロジェクト主宰−プロレーサー
ポップコーン正一
ポップコーン正二
横山ひとし
松田秀士に関する組織にいた人
だいもん孝之−たけしプロジェクトにいた−放送作家
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高校時代は空手でインターハイに出場した。兄が二人いるが、ニートらしい。カラササイズでしている帯を見ると、所属流派は林派糸東流のようである。
テレビ
わらいのちから(ケーブルウェスト)
爆笑オンエアバトル(NHK)OA率 0/2
笑いの金メダル(テレビ朝日系)
CM
ヘリオス大阪 (代走みつくに・みょーちゃんと共にユニット「ピントコンナ」として出演。)
オーダースーツ専門店ツキムラ(ラジオCM)
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メンバー
古坂和仁(こさか かずひと 1973年7月17日 - )
ボケ担当、青森県青森市出身、血液型A型
現在、NO BOTTOM!として歌手で活躍中。1年先輩のくりぃむしちゅー・上田晋也と仲がいい。愛称:「古坂大魔王」。そのことから上田とは2005年に番組のパーソナリティを担当。
小島 忍(こじま しのぶ 1973年5月29日 - )ツッコミ担当、愛知県江南市出身
血液型A型。特技は器械体操。古坂ともに、NO BOTTOM!を結成。2005年脱退。
元メンバー
村島リョウ(むらしま りょう 1973年8月9日 - )ボケ担当、熊本県出身
結成当時のメンバー、1997年5月頃脱退。脱退してもしばらくの間、「ボキャブラ」のネタを送り続けていた。現在は俳優として活動中。
来歴
1991年結成。スピード感溢れるショートコント、初めにやった芝居が後に流れる音楽の歌詞と同じ動きをするという「あてぶり」というコントを得意としており、音楽(テクノ)を駆使したコントも披露している。
ボキャブラ天国には「タモリのsuperボキャブラ天国」内の若手芸人がボキャブラネタを披露する「ヒットパレード」の頃から参加していた。元器械体操部である小島の特性を活かし大きなアクションを伴うネタをやっていた。その後、「家族そろってボキャブラ天国」まで参加した。キング(優勝)経験は無く、最高位は3位。キャッチフレーズは「きりもみ空中3回転」。村島の脱退後は「2回転」に変更された。
爆笑オンエアバトルの第1回チャンピオン大会では「テクノ体操」というネタを披露したが結果は「165キロバトル」という散々な結果で出場10組の中で9位だった。ところが特別審査員として参加していた立川談志が「元気があって面白かったよ。」と底ぬけを評価し、「審査員特別賞」を与えた。その収録後、古坂と小島は談志から食事に誘われた。
2003年9月からお笑い活動を休止し、テクノグループ「ノーボトム」の活動に専念した。
ノーボトムとして音楽性を追求するため2005年10月11日にM2カンパニー(現ホリプロコム)を離れ、事実上の解散になった。
出演していた番組
金曜ワラッター! Mote2大放送(青森放送)
ワラッター!SUPER(青森放送)
爆笑オンエアバトル 16戦11勝 最高501KB
タモリのボキャブラ天国・・・出演当初のキャッチフレーズは「きりもみ空中3回転」だったが村島の脱退に伴い、「きりもみ空中2回転」に変更された。
底ぬけ体験
64マリオスタジアム
出演している番組
オールナイトニッポンR スペシャルナイト・上田晋也と古坂和仁のオールナイトニッポンR(古坂のみ、不定期 ニッポン放送)
Paradise Garage(古坂のみ、水曜・木曜16:00〜18:55 RADIO80)
上田ちゃんネル(古坂のみ テレ朝チャンネル)
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元お笑いタレント、 ビートたけし率いる芸人集団たけし軍団の一員でビートたけしの最初の弟子。俳優、作家。最終学歴は早稲田大学政治経済学部中退。タレント時代の芸名は「そのまんま東(そのまんま ひがし)」「東英夫(ひがし ひでお)」。
略歴
1957年(昭和32年)
9月16日:宮崎県都城市にて出生。
1976年(昭和51年)
3月:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。
1980年(昭和55年)
3月:専修大学経済学部卒業。
1980年(昭和55年)
12月:フジテレビ のお昼のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」のコーナーで漫才コンビ「オスカル・メスカル」で出場し、チャンピオンになる。
1982年(昭和57年)
3月:ビートたけし(ツービート)の最初のボーヤ(付き人)となる。
1983年 (昭和58年)
9月:『お笑いスター誕生!!』で「ツーツーレロレロ」として出場し、金賞を授賞。
1985年(昭和60年)
:フリーアナウンサー片平きみよ(現・片平夏貴)と結婚。
1986年(昭和61年)
12月9日:フライデー襲撃事件。
1989年(平成元年)
片平きみよと離婚。
1990年(平成2年)
3月:女優のかとうかずこ(現・かとうかず子)と再婚。
2000年(平成12年)
4月:早稲田大学第二文学部入学。
2004年(平成16年)
3月:早稲田大学第二文学部卒業。
4月:社会人AO入試で早稲田大学政治経済学部入学。
2006年(平成18年)
2月3日:かとうかずこと離婚。
3月:早稲田大学政治経済学部中退。
12月13日:オフィス北野(所属事務所)との契約を解消(事実上の芸能界引退)。
2007年(平成19年)
1月21日:第17回宮崎県知事選挙(無所属)当選。366,807票。
タレント「そのまんま東」として
1980年、フジテレビの『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」というオーディションに、「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て、1982年3月に付き人となる。デビュー当初の芸名は「東英夫」であった。
その直後、コンビの相棒が芸能界入りする目的であった当時の人気アイドル歌手河合奈保子を生で見たことで満足し、芸能界を辞めるということでコンビは解散、やむなく京都産業大学の学生だった丸山昭範と3か月だけという約束で、コンビを結成。師匠たけしのコンビ名「ツービート」の「ツー」をもらって「ツーツーレロレロ」と名乗った。3か月後、芸能界を辞める丸山に、たけしに黙って失踪したという事にしてもらい、東国原は当時テレビ局でADをしていた大森うたえもん(当時の芸名は大森クンタ)とコンビを組んで「ツーツーレロレロ」を続ける。[1]人気漫才師ビートたけしの弟子と言うことで注目され、関東の有名大学をコキおろすネタを主にやっていた。1983年にたけし軍団の一員となり、「ツーツーレロレロ」のコンビを解消した。
「そのまんま東」の名前の由来は、たけし軍団メンバー全員の芸名を変えるという宴席で、自分だけ新しい芸名が与えられなかった東国原が「師匠。私は名前はどうなるのでしょうか?」と聞くと、芸名を思いつかなかったビートたけしが「お前はそのまんま、“東”だよ」と最初は答えていたが、途中でいたずらっ気を起こし、「だから“そのまんま東”だよ」と言い切り、これがそのまま芸名となったという。
テレビ番組で細木数子に「テレビに向いてない」と言われたことがある。
日本テレビのお笑いバラエティ番組『ビートたけしの全日本お笑い研究所』(1988年4月〜1988年9月)で ニュースキャスター 「東国原英夫」として出演していた(出演者クレジットは「そのまんま東」)。
作家活動
不祥事で芸能活動を自粛していた1987年に書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がベストセラーになり、翌1988年にはTBSでドラマ化され、東国原自身もたけし軍団の面々と共に出演。後に結婚することになる、“かとうかずこ”もヒロイン役で出演した。
不祥事
1986年12月9日、ビートたけしに率いられ、たけし軍団と共に講談社を襲撃し、暴行罪で現行犯逮捕される(ビートたけしも東国原も最初は襲撃する気持ちは無かったと後に語っている)。→詳細はフライデー襲撃事件を参照。
1998年10月13日、東京都内のイメージクラブ店が未成年の従業員を使っていたことで、児童福祉法違反並びに東京都の青少年健全育成条例 違反の容疑で経営者が逮捕された。その当時16歳であった少女が、性的なサービスをした客として東国原の名前を供述したことで、警察から任意の事情聴取を数回受けたが、「18歳未満とは知らなかった」と話した。 東国原本人と当時の妻のかとうもそれぞれマスコミを通じ、謝罪の文書を発表した。以後芸能活動を5か月間自粛した。東国原自身は法的に罪に問われることはなかったが、倫理的な性質の問題からマスコミでは「淫行事件」として大々的に報道され、社会の激しい批判を浴びることとなった。
1999年11月22日、オフィス北野の忘年会でたけし軍団の後輩タレントの北海ジャンジャン の側頭部を蹴り、頭部打撲等のけがを負わせたとして、傷害容疑で書類送検された。東国原は暴行の事実を認め、略式起訴で罰金を払い、そのことで一時芸能活動を再度自粛した。東国原の公式ウェブサイトでの説明によると、その後輩は普段からその言動が大変問題視されていたため、先輩として規律を正す意味で蹴ったが、暴行を加えたことを正当化するつもりはないとしている。北海ジャンジャンは週刊誌でサイトでの説明にたいして反論しているが、返答はないという。
政治の世界へ
かとうとの離婚後に「前々から政治家になりたいと思っていた」と言っていたことが明かされ、本人の発言やブログの記事からも政治への強い関心を見せるなど、タレント時代から政界への進出を考えていたという。謹慎中に入学した早稲田大学第二文学部では、卒業論文のテーマとして選挙活動を扱ったほか、卒業後も同学政治経済学部に再入学して政治学を学んでいる。
2006年には本人を代表とする「そのまんま会」を設立、同12月4日には故郷宮崎県の県選挙管理委員会に政治団体としての届け出を行った。地元での事務所開きで、支援者を前に自らの出馬にかける思いを語った際には過去の不祥事についても自ら切り出し語った。そして数日後には所属していたオフィス北野を退社。官製談合事件で現職知事安藤忠恕が逮捕されたことに伴う宮崎県知事選挙へ無所属で立候補。当初は過去の問題行動や言動などのイメージもあって出馬を疑問視する声も多かった。
東国原は、選挙活動において、タレント候補にありがちなタレントの選挙応援を一切受けないことで、「脱タレント」を印象付ける選挙活動を展開した。遊説や立会演説では宮崎弁を使い、早稲田大学出身をアピールし、選挙活動最終日にはマラソンをしながら活動した。宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出したそのまんまマニフェストや無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などは、政治に無関心な無党派層の関心を呼び起こしただけではなく、現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大していくこととなった。
こうして、「しがらみのなさ」や「宮崎を変える」という期待感が県民に好印象を与えたことに加え、保守陣営の分裂という追い風も幸いして、県民の圧倒的な票を得て当選した。各マスコミによる出口調査では無党派層だけでなく各政党支持層からも一定の票を獲得したことが伺える。小学校の卒業文集に「夢は政治家とお笑い芸人」と書いていたが、はからずもその夢を2つとも叶えることとなった。
知事「東国原英夫」として
この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。
選挙活動は芸名の「そのまんま東」で行なったが、県知事に就任してからは本名の東国原英夫で活動している。
知事に就任するなり、いきなり話し方が変わり、「わざとらしい」などと言われている。
作業服で初登庁したり、「椅子をパイプ椅子に変える」「こんな立派な机もいらない」「退職金は出来高払い。議会がいらないと言えばいらない」などの言動が地元では好意的に受け止められている。知事専用の公用車について、当初は「廃止する」と述べていたが、燃費や他の手段を使った場合のコストなどの問題を考え、車種をトヨタ自動車の「トヨタ・センチュリー」から、ハイブリッドカーである「トヨタ・クラウンセダン」へ乗り換え、これにより年60万円の公費削減となった。似たような理由で知事公舎にも住んでいない。(置き換えられたセンチュリーは競売にかけられ、255万円で譲渡された。)
報道番組やワイドショーが連日報道し、自身がマスメディアに出演する際には必ず宮崎県の宣伝を行うことを欠かさず「宮崎県のセールスマン」と自らをそう呼び、その結果宮崎県の注目度が上がった。
2007年1月23日の知事就任直前に清武町で、そして直後には日向市、新富町で鳥インフルエンザが発生した。1月29日には中央省庁を訪れ、国からの財政支援などを要請した。また、県内の民放局で流す、県産の鶏肉、鶏卵の安全性を訴えるCMに自ら出演したり、宮崎県の巨人軍キャンプとソフトバンクの練習場を訪れ、宮崎県産地鶏などを贈呈するなど、風評被害対策のため、鶏肉の安全性を盛んにアピールしている。
広島東洋カープの紅白戦の始球式を行った。この際、一投目が投手と捕手のほぼ中間地点でワンバウンドするという投球を行い、見かねた主審の判断でもう1球投げることになったが、二投目もほぼ同じ内容だった。
2003年に4億9,600万円の公費を費やして建設された知事公舎を批判し、選挙前から住んでいるマンションに知事に当選後も住んでいるが当選後は自宅マンションや近隣住民へのいたずらが多く迷惑を掛けているとの理由で、勤務先の県庁に歩いて行ける近場のマンションを購入し住む予定。
知事選で争った、自民党推薦の持永哲志を副知事に迎えるという人事構想を抱くが、「脱・官僚」を期待して東国原に投票した県民の反発を招き、起用を断念した。だが、2007年2月15日の、自身として初の議会において、やはり官僚の河野俊嗣(総務省から宮崎県に出向中)の起用を正式に表明した。
2007年3月14日に外国特派員協会で記者会見した。
人物評
東国原姓は宮崎県都城地域や鹿児島県曽於地域において、少なからず見られる姓である。
中学生の頃にお笑い芸人を目指して大阪への家出を試みたが、小倉駅で日豊本線から夜行列車に乗り換えようとした所で警察官に補導された。このため、北九州市の小倉北署で一夜を過ごす羽目になってしまった。
宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校時代はハンドボール部に所属。高校総体にも2年連続で出場した(ただし宮崎県高体連の公式記録では彼の在学中に都城泉ヶ丘高校は1年生時に出場したのみである。)。
特技はマラソンで、オールスター感謝祭の赤坂5丁目ミニマラソンではプロアスリートなみのハンデを課せられるほどの実力。走ることを日課としているが、「知事になって以来多忙のため走れなくなった」と公式サイトの日記で語っている。
不祥事による謹慎中に、早稲田大学第二文学部(文学部の2部)の社会人入試に挑戦し合格。
どの授業でも教授に小さなことまで聞きに行き、教授に対するアピールを積極的に行った。 その甲斐あって、卒業成績は146単位(卒業要件は124単位)、37科目中「優」が31科目、「良」が5科目、「可」が1科目と優秀な成績を修める。
1990年に著書『ビートたけし殺人事件』がドラマ化された際に共演して知り合った、女優のかとうかず子(当時はかとうかずこ)と再婚。一男一女を設けるが、16年目にして、かとうが夫の宮崎県知事選出馬という夢についていけないということで、2006年2月3日に離婚。かとうは「友達として応援はできても、手伝えない」、「九州に行くことは選べませんでした」などと語ったが、東国原の夢に向う姿勢にはエールを送った。離婚時、子供2人(15歳長男と12歳長女)がいたが、親権を持つかとうは慰謝料、養育費はもらわないことを明らかにした。[2]
知事就任の翌日のテレビ番組で、かとうからメールの返事が来ないと打ち明けた際に、「(復縁に)協力してください」と笑顔を見せたりもしたが、2月3日、かとうは出演したテレビ番組で、東国原との復縁を尋ねられた際、「ないです」ときっぱり復縁の可能性を否定した。
ドラマ
『ビートたけし殺人事件 失われた魔人の伝説』(1989年10月7 TBS系)
世にも奇妙な物語 『死後の苦労』(1990年、フジテレビ系)
世にも奇妙な物語 『死神』(1991年、フジテレビ系)
金田一少年の事件簿(2001年、日本テレビ系)
バラエティ
風雲!たけし城(TBS系)2代目家老 東国原英夫守三太夫Jr.(ひがしこくばる ひでおのかみ さんだゆう じゅにあ)
号外版 風雲!たけし城(TBS系)
そのまんま東のバーチャル情報局
オールスター感謝祭-3回総合優勝した。
カジノザウルス-数回、島田紳助の代行司会を担当した。
ラジオ
ビートたけしのオールナイトニッポン(1990年ごろ、たけしの代打 ニッポン放送系)
〜日本をどげんかせんといかん!〜東国原英夫のオールナイトニッポン(2007年3月9日 ニッポン放送系)
情報
2時ワクッ! 火曜(関西テレビ)※終了
アサデス。KBC 金曜、月一回(九州朝日放送)
CM
丸大食品(適塩食生活)
霧島酒造(宮崎県都城市にある焼酎などの醸造メーカー)
中部ハウス工業
PV
FUNKY MONKEY BABYS 「そのまんま東へ」 (CDジャケットにもそのまんま東のアップ写真が起用されている。)
著書
『ビートたけし殺人事件』(太田出版、1988年2月) ISBN 4900416371
『明石家さんま殺人事件』(太田出版、1989年4月) ISBN 4900416592
『伝言ダイヤル殺人事件』(太田出版、1990年12月) ISBN 4872330102
『そのまんま東のそんなバカな!?』(海越出版社、1993年5月) ISBN 4876971552
『東国原家の夏休みinダーウィン』(碧宙出版、1999年5月) ISBN 4921104026
『どん底』(音羽出版、2000年5月) ISBN 4901007106
『ゆっくり歩け、空を見ろ』(新潮社、2001年2月) ISBN 4104439010
『芸人学生:僕が学びつづける理由』(実業之日本社、2004年11月) ISBN 4408106143
『60歳を人生ピークにもっていく法:今日からできる、誰にでもできる!』(KKロングセラーズ、2005年12月) ISBN 4845420910
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メンバー
本坊元児(ほんぼう がんじ、1978年8月7日 - )ボケ担当。立ち位置は向かって左。
愛媛県松山市出身。大阪NSC20期生。
長身で、動きを交えたボケが特徴。baseよしもと屈指の不思議キャラ。
麒麟の川島と仲が良いため、よく川島の出演している番組に出演する。
水口靖一郎(みずぐち せいいちろう、1976年4月7日 - )ツッコミ担当。立ち位置は向かって右。
大阪府河内長野市生まれ。同県高槻市育ち。大阪NSC20期生。
ガラガラ声が特徴。猫好きでbaseよしもとではそのキャラを活かしたボケもする。
雨上がり決死隊の蛍原徹とよく間違われる。
趣味や特技として日本舞踊を挙げている。
概要
彼らの単独ライブのタイトルにクラシックの作曲家の名が使われているのも特徴的(サティやバッハなど)。
コンビ名を考えたのは水口。本坊いわく「風呂の中で『ソラシドがいい』とひらめいた」のが由来だそうだ。
コンビ結成のきっかけは、麒麟の川島明である。当時、バイト仲間であった川島が水口を家に招いた際、日頃から川島の家に入り浸っていた本坊と出会って知り合いになった。
最近ではエアドラムを披露している。踊る大捜査線のテーマ曲に合わせて激しくスティックと頭をを振る。そのため、「これ用に髪長めにしてんねんで」と言われる。千鳥のぼっけぇTV!やbase COUNT DOWN IN KOBEのCMの間に会場にいるお客さんだけが見ることのできるコーナーで披露した。base COUNT DOWN IN KOBEでは本番中もスティックを持って万全の態勢で待っていたが、結局披露させてはもらえなかった。
出囃子:Lucille / トータス松本
過去の番組
グーグーモンキーズ
ゴーゴーモンキーズ木曜
単独ライブ
2004年
02月08日 - 「〜第3章〜バッハ〜」(baseよしもと/大阪)
04月02日 - 「〜第4章〜ビゼー〜」(baseよしもと/大阪)
06月04日 - 「〜第5章〜チャイコフスキー〜」(baseよしもと/大阪)
08月08日 - 「〜第6章〜ショパン〜」(baseよしもと/大阪)
09月10日 - クラシック(baseよしもと/大阪)
2005年
09月26日 - 「〜第7章〜サティ〜」(baseよしもと/大阪)
2006年
06月11日 - 「〜第8章〜シューベルト〜」(baseよしもと/大阪)
10月18日 - 「〜第9章〜べートーヴェン〜」(baseよしもと/大阪)
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TBSナショナル劇場『浅草ふくまる旅館』でデビューした俳優の雄太は息子(長男)。声優の千田光男は別人。
人物
芸名の由来は慣用句の「せんみつ」(千に三つしか本当のことを言わないさま)。過去の他に変えた芸名に千田光雄やせんだ光雄、ムッシュ中野と変えたときもあり、2000年(1年間限定)はミレニアムにちなんで二千田光雄に改名したこともあった。法政大学第一高等学校卒業、駒澤大学経済学部中退。中退後服部栄養専門学校に入学、調理師の免許を取得。
幼少の頃より子役として活躍していた。世志凡太の元で修業を積むなどし、ビリーバンバンのオリジナルメンバーでもあった。1970年代には『ぎんざNOW!』(TBS)、『うわさのチャンネル』(日本テレビ)の司会を務め、人気が爆発した。しかし多忙なスケジュールで体調を壊し半年休業後、レギュラー番組が総てなくなる。1980年代以降も芸能活動をし、テレビ出演などもこなしているものの、数々の不祥事(詐欺事件など)で全盛期を過ぎた感は否めない。 また、湯原昌幸と長年に渡り、番組で共演し、絶妙なコンビで人気を博した。
ビートたけしが素行の悪い芸人として例える際によくせんだみつおが語られる。 靴を盗もうとする、勝手にプロデューサーにビートたけしが役を降りると告げ、自分を代役にしろとせがんだなどのエピソードがある。
せんだと言えば両手を顔の横に上げ、それを前後に動かしながら「ナハッナハッ」と言うギャグや「せんだ偉い!せんだ偉い!」などと自分で自分を持ち上げるギャグ(?)がおなじみ。人名や地名を連呼するギャグを得意とする。ただそのインパクトは強力であり、今でも宴会ゲームの一つ「せんだみつおゲーム」として残っているほどである。
ビートたけしの「ナハッナハッ」「コマネチッ」(ナハネチッ)は元々はせんだのギャグである。 (ビートたけしによるとひとつ五千円で購入したそうだ)
近年は「ウケない金ない仕事がない」の「三ない」をネタにしており、全国メディアでは和田アキ子らの番組に少しだけ出演する程度に留まっているが、全国規模で見れば、巡業などでそれなりに仕事はあるようだ。自虐ネタの集大成として、2001年には当時リバイバルヒットしていた「明日があるさ」に対抗して「明日がないさ」という楽曲を発表している。歌詞も、そっくりそのままネガティブにしており、「明日がない 明日がない 明日がないさ」と歌われている。
また、これに留まらず、1991年に放送された「EXテレビ」の「抱かれてみたいのはどっち!?」(東京・大阪の街頭で10人ずつの若い女性に、どっちの有名人に抱かれてみたいか、というアンケートを取る企画)において、西川のりおに1対19、サダム・フセインに7対13、桂歌丸に6対14、挙句の果てには女性である和田アキ子に対しても4対16と、あまりモテそうではない著名人相手に対してもことごとく大敗を喫し、徹底的に女性にモテないキャラであることまでもが暴露された。
有名な話として、若かりし頃のせんだが風呂で立ちながら、自分のモノを慰めていた時、不意に父親が風呂のドアを開けた瞬間にせんだはその行為のフィニッシュを迎え、発射したものを手のひらで受けた所を見られ、思わず「リンスです」とその白濁液を頭に塗ってしまった。というのがある。
現在広く使われるようになった「あけおめ」という言葉を初めに使ったのはせんだみつおである。しかしその当時(1980年代)にははやらなかった。
バラエティ番組
ぎんざNOW(TBSテレビ)
せんみつ・湯原のドット30!(TBSテレビ)
金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ)
せんみつのラスカットボール(東京12チャンネル(現・テレビ東京))
歌謡ドッキリ大放送(テレビ朝日)
アイアイゲーム(フジテレビ)
ひょうきん予備校(フジテレビ)
爆笑ドットスタジオ(テレビ朝日)
ドラマ
おんな太閤記(NHKテレビ)大河ドラマ
新・夢千代日記(NHKテレビ)
心はいつもラムネ色(NHKテレビ)連続テレビ小説
三国志(NHKテレビ)人形劇
オレの息子は元気印(日本テレビ)
水戸黄門(TBSテレビ)
社長になった若大将(TBSテレビ)
のんき君(フジテレビ)
破れ新九郎(テレビ朝日)
ラジオ
ワゴンでデート(ニッポン放送)
ミッドナイトムーブメント(ラジオ関東(現・ラジオ日本))
足かけ二日大進撃!(ニッポン放送)
セイ!ヤング(文化放送)
オールジャパンポップ20(文化放送)
映画
トラック野郎 シリーズ7〜9作目(東映)
こちら葛飾区亀有公園前派出所(両津勘吉役・唯一の主演作。東映)
レコード・CD
「ダメな男のロック」(作詞・作曲 麻田浩)1973年
「高原の二人」 - 友人でもある湯原昌幸の作詞・作曲の楽曲。加山雄三の「君といつまでも」を下敷きにしたことでも知られる。(せんだ、湯原共にそのことを認めている発言もある)リリース当時、せんだが担当するラジオ番組で自主的ヘビーローテーションを実施した。EP盤のみの発売で現在では入手困難。1977年
「こんな会社やめちゃおう!!」 - サラリーマンの日常的な怒りをコミカルに歌った物。宴会ソングとして評判に。1992年
CM
ちび六ラーメン(明星食品)普通の2分の1サイズの即席ラーメンが6ピースあり、食べる量に合わせて何ピースか調整出来るといったラーメン。(1975年頃)
ギャロップレーサー2000 (テクモ)ギャロップレーサーシリーズ第4作。「せんだが二人で、にせんだ!」 (2000年2月)
「二千田光雄」の由来となっている。CF演出は遅塚勝一。
ゲーム
beatmania APPEND GOTTAMIX
パチンコ
CRせんだみつおの本日ナハナハ大開店!!
せんだみつおゲーム
合コンなどいわゆる宴会の余興で行われるゲームの一つ。参加者は車座となり、最初にある人間が「せんだ」といいながら誰か他の参加者を指差す。するとその指を指された人間は「みつお」と言いながら、また参加者の誰かを指差す。その後指をさされた人間の両隣の人間が「ナハッナハッ」のギャグを行うと1ターンが終了する。その後は「みつお」を言われた人間が最初の人間となり、以降だれかがミスをするまで繰り返す。
かつて放送されていたアコムの自動契約機「むじんくん」のCMで、「チャント星人」という宇宙人(セイン・カミュなどが演じていた)たちも合コン編でやっていた。
備考
自称「大スター」や自虐ギャグ「ウケない金ない仕事が無い」など現在ではネタとなっている全盛期であるが、実際は当時のテレビ界を席巻した時代の寵児であった。島田紳助は彼に憧れて芸能界入りしたと以前自ら出演するテレビ番組内で公言。また小堺一機も素人時代「ビリーバンバンの司会の人が面白い」と聞きつけ、まだアマチュア時代のせんだを見るために駒澤大学の学祭へ行ったことがあるという。村上世彰の少年期にも多大な影響を与えたとされている。
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2人ともに、高知市出身。
3人で活動していたが2005年12月6日、吉本英和の脱退によりコンビになる。
芸人を目指していた能勢が、お笑いに全く興味のなかった加藤と吉本を誘って結成。名前の由来は「芸能界の激しい逆風に吹き飛ばされないように」という意味が込められている。
能勢が島から大阪へ上京するとき、能勢の乗る船が出航する寸前に、見送りに来ていた吉本がその身一つで飛び乗りそのまま大阪へ行ったらしい。
能勢は共に上京しようと加藤を誘ったが、『その日はバイトがあるから』と断られた。
ちなみに吉本は現在関西のとある雀荘で働いているらしい。
入社入門:1997年
2001年「NHK新人演芸大賞」大賞
2002年「第23回ABCお笑い新人グランプリ」新人賞
2002年「第31回上方お笑い大賞」新人賞
2003年「第24回ABCお笑い新人グランプリ」優秀新人賞
2004年「第39回上方漫才大賞」優秀新人賞
メンバー
能勢 浩(のせひろし/1973年8月9日生/O型) ツッコミ担当
加藤 統士(かとうもとし/1973年8月27日生/B型) ボケ担当
吉本 英和(よしもとひでかず/1974年1月26日生/O型) ボケ担当(2005年12月脱退)
レギュラー番組
なにわ最強パチラジオ!!(ラジオ大阪)
わらいのちから(CATV系)
わがまち探偵団(高槻ケーブルテレビ)【能勢浩のみ】
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人物・略歴
大阪府立春日丘高等学校を卒業後、ゼンジー中村に弟子入り。1963年、角座初舞台。
「タネモシカケモチョトアルヨ」などの怪しげな語り口は、たまたま事務所の隣が中国料理店で、そこの店員の喋り方を真似たもの。元々人前に立つと緊張のあまり声が出なくなる程の極度のあがり症で、新人時代はまともに舞台をこなせず苦労していたが、この会話手法を取り入れて別の人格で舞台で演じていると意識することにより、あがり症を克服したというエピソードがある。
ついでにコスチュームも中国風に変え「ハイ!ワタシ中国ハ広島のウマレアルヨ!」と云う口上と共に舞台に立ち、これが大いに受けテレビに乗って、たちまち有名になった。当時、喋りながらマジックをする人は、ほとんどいなかった。近年はこうしたスタイルが主流となっているので、この点でも先駆者といえる。
その後は、この独特の語りでのコミックマジックで、客を舞台に上げたり、明らかに種の分かるマジックを行ったり、楽しい舞台で人気を博す。また、ショーの終盤では必ず高度なマジックを披露して締めるのが定番となっている。
1984年には芸名縁の地である中国・北京にて公演した。同年、第13回上方お笑い大賞受賞。翌年1985年には大阪サンケイホールに於いて芸能生活25周年の記念公演。この模様はテレビの特別番組(読売テレビ)として放送された。
他にテレビは『花王名人劇場』、『お笑いネットワーク』、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、『徹子の部屋』他多数出演。近年は、子どもに見せるための手品集を出版する他、多方面で活躍する。
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来歴
親元から離れたいが為の口実で、高校3年の時に大阪芸術大学の入学試験を受験。実技試験の内容は花瓶を描くというものだった。これに対しぜんじろうは花瓶のみならず教室全体までも絵にした。面接試験時に面接官の教授から「なぜ周りの風景も書いた?」と聞かれ、「見る物全てが芸術ですから」と答えた。驚く教授が尋ねた「いつから絵を?」という問いに対しては「中2の時スペインに行ってからです。」と答えると、教授から「私もだよ!」と賛同された。そして倍率30倍という難関のデザイン学科入学試験に易々と合格してしまった。嘘をついて合格を勝ち取ったぜんじろうは「自分は口で仕事が出来るんだ」と思い込み、同校デザイン学科を入学後わずか2日で退学した。
本当は浜村淳の弟子になりたかったが、友人と遊んでいた時、上岡龍太郎に偶然出会いウケ狙いで「弟子にしてください」と言ったところ、「ええよ」と返されてそのまま弟子になってしまう(ぜんじろうは断ると思っていた)。 月亭かなめと漫才コンビを結成、各局の新人賞を総ナメにするが、相方の情緒不安定が原因で解散(相方は解散後廃業)、心斎橋筋2丁目劇場でしねしね団(のちの吉本印天然素材)を結成するも、会社の意向で脱退させられ、HIP HOPアーティストとして、月亭可朝の嘆きのボインをカバーする。
ピンでの活動当初は、顔が似ているという理由で“平成の明石家さんま”という触れ込みで吉本興業から売り出された。その後、関西ローカルの深夜番組「テレビのツボ」でメイン司会に抜擢されたことにより関西での知名度が向上し、一躍売れっ子となった。
ナインティナインが大阪時代、ぜんじろうにひどいイジメを受けたということを木曜深夜のオールナイトニッポンで告白したこともある。
これを機に後に全国区への進出も図り、東京でも全国ネットのレギュラー番組を数本を持った。 その後大阪へ戻りローカル番組のレギュラーの仕事を抱えるものの、かつての溌剌さは全くと言っていいほど鳴りを潜め、完全にやる気を無くしていた。そんな状態を打破するため、国内での活動もそこそこに1997年からは活動の場を海外へと移した。修行と称し向かった先は、頼る者も全くいないアメリカ合衆国シカゴ。留学の傍ら、世界各地で行った英語漫談等が好評を博す。
映画「PP兄弟」にてスティーヴン・セガールの実子剣太郎セガールと共演。海外の映画祭を中心に回っている。そして日本国内では、古くから親交のあるミュージシャン種浦マサオとともに芸人の枠を超えた様々な活動を展開したり、R-1ぐらんぷりにも出場。また、最近はNEC製ロボットと組んでの漫才芸によってニュースに取り上げられた。現在、ぜんじろうはNHKの人気語学番組「えいごリアン」に出演中のコメディアン、マイケル・ネイシュタットと「スシブラザーズ」なる異色コンビを組み活動中。月一回の定期公演を開催したり、自身のブログを開設して日々の活動内容を一般に向けて公開するなど、今回はどうやら少しは本気で活動するつもりらしい。
受賞歴
第10回ABC新人漫才落語コンクール(1989年に月亭かなめ&ぜんじろうで出場、最優秀新人賞)
テレビ番組
テレビのツボ(毎日放送、1992年10月〜1995年9月)
週刊テレビのツボ(毎日放送、1995年10月〜1996年3月)
プーミン(毎日放送、1996年4月〜1996年6月)
ぜろ(毎日放送、1996年7月〜1996年9月)
屋台の目ぇ(毎日放送、1993年10月〜1994年8月)
ぜんぜんこども(毎日放送、1994年〜1995年)
クイズGoGoZ(毎日放送)
天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ)
探偵!ナイトスクープ(ABCテレビ)
クイズ関西人の脳みそ(関西テレビ)
東京Jr.ジャンク(日本テレビ)
ぜぜぜのぜんじろう(日本テレビ)
あっぱれ!KANAGAWA大行進(テレビ神奈川、2002年4月7日〜2004年4月25日)
紳助の人間マンダラ(関西テレビ)
ぜんタネ(スカイパーフェクTV!275ch:EXエンタテイメント)
踊る!さんま御殿!!(日本テレビ、2005年3月8日OA分)
Pinkの遺伝子(テレビ東京系列)
恋する!?キャバ嬢(テレビ東京)
あっぱれ!年越大行進 (テレビ神奈川、2002年12月31日) ※Saku sakuとあっぱれ!KANAGAWA大行進のコラボ
土曜マガジンパロパロ(テレビ静岡、2001年〜2003年)
アニメ
こどものおもちゃ(テレビ東京系列、1996年4月〜1998年3月) - ※登場人物の一人「ぜんじろう」役の声優として
ラジオ番組
MBSヤングタウン(MBSラジオ)
夜のおもちゃ・ぜんじろげ!(ニッポン放送)
ぜんじろうのオールナイトニッポン(ニッポン放送) - ※木曜第2部
ぜんじろうの真夜なかん!かん!(ラジオ関西)
映画
SUN,RUN,GUN 脳みそぶっぱなしツアー1泊2日(1997年) - ※監督、脚本、主演
PP兄弟(2002年/日仏合作)
Vシネマ
怒りのZEN(1995年)※脚本、出演
CM
アレス「トーザ外語学院」
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プロフィール
長嶋 智彦(ながしま ともひこ)---1977年10月23日神奈川県川崎市多摩区生まれ。メガネ。
吉川 正洋(よしかわ まさひろ)---1977年12月23日東京都目黒区柿の木坂生まれ。メガネ。
概要
1994年に和光高等学校の学園祭で組んだコンビを元に、2000年に正式結成。両人とも卓越した演技力を誇るが、妙に現実感のある気持ち悪い印象を観る者に与える、一般ウケしにくいマニアックな存在である。
また吉川(背の低い方)は、元お笑い芸人の福田哲平とどきどきキャンプの佐藤満春とともに「赤いきつね」というバンドを組み、音楽活動もおこなっている。
吉川は「タモリ電車倶楽部」の会員(No.009)でもあるほどの鉄道マニアである。また、長嶋は新撰組のファンである。
ネタ
主にコントを行う。外国人女性や鉄道マニアなどの吉川扮するキャラが一般人役の長嶋を引っ掻き回すネタが多い。また、鉄道マニアのネタでは鉄道模型を改造した携帯電話「モケータイ」を始めさまざまな鉄道関係の小道具を使用する。
これ以外に、デモ行進風に横断幕を持って行う「とりあえず反対!」等あるあるネタを披露する事もある。
現在
タモリ倶楽部(テレビ朝日)
完売劇場(テレビ朝日)
元祖!でぶや(テレビ東京)
過去
爆笑オンエアバトル(NHK) 戦績 8戦1勝
エンタの神様(日本テレビ) キャッチコピー「笑いの無法地帯」
東京金歯(BSフジ)
SATURDAY GLASS SHOW(FM-FUJI)
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来歴・人物
漫才コンビを組むがうまく行かず、ピン芸人に転向。その後、吉本新喜劇に入団する。新喜劇では間の抜けた警察官やヤクザ、アホな御曹司といった役が多い。セリフ覚えが悪く、舞台上でトチることが多々ある。セリフを忘れたりするため、共演者はたいぞうが出てくると異様な緊張感に襲われ、内場勝則には「手強いのが来たで」と言われる。このようなハプニングで笑いが起こる場合が多いため、チャーリー浜に「笑われてどうするんや!笑わせ!」とこっぴどく叱られたというエピソードもある。ただ最近では、ネタとしてわざとやっている感もある(実際、つっかえずに普通に喋ることはできる)。新喜劇向きの芸人ではないとも言えるが、大阪では人気がある。
ギャグ
辻本茂雄が出演する際にたいぞうが舞台に登場すると、数分間は二人の掛け合いに費やされる。辻本にビンタを食らって突っ込まれる。内場が座長のときは「ペロぺ〜ロ、ペロペ〜ロ」と日本語が話せないフリをして近づく。その後内場(又は共演者)から「日本語しゃべれんのか?」ときかれ、「しゃべれません!」と答え、「しゃべれてるやん!」と突っ込まれる(内場が「ペロぺ〜ロ?」で返し、意気投合したかのように見えた時点で、内場に「全然わからんかった」とボケられるパターンも有る)。ちなみにこのしゃべれませんネタは「なんじゃそら三人組」での池乃めだかがケンケン役として、しゃべれませんと言ってでてきたもののまねごとである。
『バウッ・バフバフ』
(主に内場)「なんやこいつ」
『ペロぺ〜ロ、ペロペ〜ロ、ペペーロ』 (たいぞうが一番気に入っているギャグ。心斎橋筋2丁目劇場時代からやっている。)
『アホじゃな〜い、バカじゃな〜い、かしこくな〜い』
『そうそう〜〜♪』、その後『なんでやねん』(ヘタなノリツッコミ)
『かんきせん/げつません、しゃみせん/かーません、あっ、すいません』(登場時)
行進しながら『いっちにー、いっちにー、いっちにー…ぜんたーい、止まりません!』とそのまま通り過ぎていく。その後戻って『止めてくださいよ』
『いちめんください!にめんください!さんめんください!よんめんください!ろくめんください!』(まれに登場時に言う。わざと『ごめん下さい』を言わないギャグ)
茂造が激怒して説明し終えると、『ハイハイ』と言い、茂造に叩かれる。
警官役のときには、事件があった時刻を言うとき、「今日午前午後2時」といい、「午前か午後かどっち?」と聞かれる。犯人の特徴を言うとき、『○○の方は、身長175メートル』と言い、茂造が『デカッ!!』といい、犯人が175メートルの時の行動を演じる。たまに『身長175ミリ』と言うと茂造が『ちっちゃっ!!』と言う。他にも髪型を言うときに、「髪型は、ショートロング」と言い、「ショートかロングかどっち?」と聞かれる。また、他にも『女の女性で』『男の男性で』『年老いた老人で』など、どっちも一緒やっと突っ込まれる。とにかく突っ込まれる役である。
「必殺仕事人」シリーズのテーマ曲を口ずさみながら、勇次や組紐屋の竜のように、糸を悪人の首筋目掛けて投げ、首に巻き付け締め上げるふりをする。そして糸をはじいて窒息死させる、と思いきや、糸をはじいた瞬間自分が倒れてしまう。
自己紹介で「私、横山泰三と思います」(安尾信乃助の「安尾といいますか?」に似たギャグ)。紹介されてもいないのに「ただいまご紹介に預かりました・・・」と言って突っ込まれる事もある。
一通り説明した後「宴たけなわではございますが・・・」っと言って突っ込まれる。
エピソード
行列のできる法律相談所(日本テレビ系列)出演時、磯野貴理子に「誰?」と言われた。しかし高橋英樹には「私ファンなんですよ」とフォローされた。
実家は讃岐うどん屋で、現在そのうどん屋は漫才コンビ時代の相方、島田半平太が継いでいる。
覚えづらいセリフは台本にアンダーラインを引くが、結局ほぼ全部に引いている。
空手の有段者でもあり、その実力を警官役で披露する事がたまに有る。「意外と強いやん」と言われる事も。
前述の通り、絵の才能もかなりの物。2006年9月に個展を開いた。
2006年3月3日に公務員の女性と結婚。「クイズ!紳助くん」で結婚を公表した。
「クイズ!紳助くん」の韓国ロケで古武術道場に合宿入門するも、喫煙がばれて門下生共々連帯責任を取らされる。
レギュラー出演番組
「クイズ!紳助くん」(朝日放送)
「よしもと新喜劇」(毎日放送、不定期出演)
「クイズ赤恥青恥」(テレビ東京、放送終了)
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