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ヒモだけで月収115万ブッチュくん驚愕のヒモ生活術を大暴露!
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※日米の学者さんたちが共同開発
これ一つで明日から風俗嬢とのヒモ生活をスタートできる
【完全ヒモ生活マニュアル】の技法!
▼対決&罰ゲーム
∵NYの坂本龍一宅までシャープペンを取りに行く
∵松本のおかんとタイタニック
∵今世紀最大夢のゴルフ対決2+24時間浜田雅功営業中
∵100m走対決+24時間耐久鬼ごっこ
∵競泳50mリベンジ対決+一人ぼっちの廃旅館一泊二日
∵世紀の走り幅跳び対決+早朝松本レンジャイショー
∵ノーリアクションパイ地獄
∵4対1変則ボウリング対決
+絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅
∵ウラジオストクのウラジオストク中学の
体育館裏で裏番長に裏拳で殴られてくる
∵わさび寿司ロシアンルーレット対決
+絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅in湯河原
∵ビリビリコンセント・ロシアンルーレット対決
+絶対に笑ってはいけないハイスクール
∵タライアンルーレット対決+絶対に笑ってはいけない警察24時
∵第ニ回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵年末恒例・紅白ハイテンション合戦
∵お笑いドラフトハイテンションバトル
∵第五回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第六回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第七回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第八回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第九回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵ハイテンションスペシャル
∵板尾創路勝手に七変化
∵ヘイポーホラー七変化
∵次長課長河本七変化
∵ボブ・サップ七変化
∵構成作家堀部圭亮七変化
∵千原兄弟千原靖史七変化
∵ココリコ田中直樹七変化
∵くりぃむしちゅー有田哲平七変化
∵フットボールアワー後藤輝基七変化
∵腰フリおばちゃん七変化
∵FUJIWARA藤本敏史七変化
∵フットボールアワー岩尾望七変化
∵ふかわりょう七変化
∵大友有一ディレクター七変化
∵木村祐一七変化
∵雨上がり決死隊宮迫博之七変化
∵千原兄弟千原ジュニア七変化
∵磯俣拓生マネージャー七変化
∵雨上がり決死隊蛍原徹七変化
∵ココリコ遠藤章造七変化
∵菅賢治プロデューサー七変化
∵品川庄司品川祐七変化
∵ジャリズム山下しげのり七変化
∵山崎邦正七変化
∵つっつん八変化
∵中村喜伸プロデューサー七変化
∵構成作家高須光聖七変化
■ダウンタウンのごっつええ感じ
来歴
学生時代
塗装業の父・北野菊次郎(1897年-1977年)と母・北野さき(1904年-1999年)の四男(次男が夭折し、実質は三男として育つ)として生まれる。東京都立足立高等学校を卒業し、明治大学工学部(現在の理工学部)機械工学科に入学するも中退。その後、2004年に、特別卒業認定者に選ばれる。そのため、学歴は明治大学工学部卒となっている。学生時代はジャズに傾倒し、新宿の“LeftyCandy”を初めとしたジャズ喫茶や新宿アシベ、当時の文化人の交流の場所、風月堂にも入り浸っており、たまに来る依頼でジャズ喫茶のボーイもしていたがジャズの見識は一部で有名であった。この頃は青春の葛藤期でもあり、プロボクサーを目指しジムに通い、また2種免許を取得してタクシーの運転手をしたりアルバイト三昧の青春時代をすごした。
前座時代
その後、映画を観る為に浅草へ頻繁に通ううちに東京都台東区浅草にあったストリップ劇場・浅草フランス座のエレベーターボーイのアルバイトしていたが、同劇場を取り仕切る「浅草の首領」こと深見千三郎に師事し、前座芸人・北千太(北野姓と師匠の名前から。尚名前は頻繁に変わった)としてコント(軽演劇)を学ぶ。幕間コントに出演して腕を磨き、芸人としてタップダンスの修業にも励む。前座仲間とのコントコンビでのデビューを目指すが、仲間の病気により頓挫。尚当時の同僚として作家の井上雅義がいる。
ツービート結成
舞台中心の昔の浅草と違いTVが台頭して来た浅草は隆盛時代と比べ物にならぬ程さびれて、観光地として以外の存在もなくなり実質ショウビジネスのメッカとしての終焉を迎えようとしていた。 当時浅草・ロック座に在籍していた兼子二郎(ビートきよし。現・ビートキヨシ)に誘われて漫才を組むも全く芽が出ない為、兼子の発案で『有名な師匠の弟子になった方がいい』と戦略的に松鶴家千代若千代菊門下に入る。“わっかるかなあ わかんねえだろうなあ”のギャグで一世を風靡した松鶴家千とせは兄弟子にあたる。元々はエノケンや古川緑波のように、ボードビリアンから銀幕デビュー迄を視野に入れて志も高く軽演劇を教えていた師匠の深見は『色物をやる為に芸事を教えたんじゃねえ』とたけしを破門同然に突き放す。一方。たけしはコンビ・松鶴家二郎次郎の二代目松鶴家次郎となり漫才師。後にコンビ名を空たかしきよし(たかしが北野。きよしが兼子。)にするが、この頃は兼子主導で漫才を進行させていた。さらにツービートと改名してからは、旧来のツッコミとボケのスタイルから脱却して、たけしがネタを一人で喋り続け、きよしが時折たしなめるというスタイルにチェンジするも売れる所までは行かず行き詰まる。
そんな折に大阪で新進漫才師として頭角を現して来たB&Bのスタイルに触発され、スピードを早めて喋りまくるスタイルへ変貌した。この頃から漫画家の高信太郎や業界人から注目される中、太田プロ所属へ。時はマンザイブーム(旧来の“漫才”と区別される為にカタカナ表記)のムーブメントが起こり、「赤信号みんなで渡れば恐くない」などの毒舌漫才と毒舌ネタを売り物とした芸風に完全にシフトした。しかし当時はアイドル性と女性ファンが取り囲むブームにより、B&B、ザ・ぼんち、紳助竜助、のりお・よしお等の後塵を浴びる3、4番目の人気順位であった。しかしファンは圧倒的に男性が多かった特異のコンビであった。あくまで漫才でトップを狙うたけしを裏切るように、きよしから『漫才はきついからもうやめよう』とフジテレビTHE MANZAI-5 を最後にツービートは解散。漫才時代は「ツービートの わっ毒ガスだ」等の著作も手がける。望まずしてピン芸人になったたけしはオールナイトニッポンやTHE MANZAIからの発展番組オレたちひょうきん族出演で“ピン芸人のビートたけし”として世間に知られるようになる。
オールナイトニッポン
ニッポン放送系の深夜放送ラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」でビートたけしの評価は一気に高まる。本人が当時を述懐するに『とにかく一人で喋ると間が空く事がものすごく恐かった』と言う通り、トークの速度はものすごく密度が濃い。当時のファンの中心層であった大学生は必ずテープに録音してから何度も聞き直さないと全内容が捕捉出来なかった程であった。ただ横で笑っているだけのように見られていた放送作家の高田文夫は、実はたけしのハイテンションを絶妙な間合いの合いの手で支えていた。当時は同じ事務所の(たけしが紹介した)片岡鶴太郎も共に参加していた。この番組から出た本は今で言う“語り起こし”で構成は主に高田によるものであった。また、ハガキ職人と呼ばれた熱心な投稿者の存在も大きく、このスタイルは後の「とんねるずのオールナイトニッポン」「ナインティナインのオールナイトニッポン」「伊集院光 深夜の馬鹿力」等、お笑い系パーソナリティの放送構成モデルとなった。次第にそのまんま東をはじめとした弟子志願者が現れはじめ、日本一周をラジオで中継させたりする『弟子やめさせコーナー』もあり、鶴太郎と交代するようにたけし軍団も放送に加わる様になった。放送の構成は週の出来事をおもしろおかしく話す内容が大半だが、時に三島由紀夫に傾倒するや、2時間三島を語る等の“講義モード”になったときもあった。また、中国で日本人修学旅行生が鉄道の大事故で亡くなる等の社会的な問題が起こった際には放送をボイコットしたり、風邪による体調不良で休んだこともあった(このときは急遽軍団が番組を引き受けていた)。
オレたちひょうきん族
明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎たちと出演した『オレたちひょうきん族』(フジテレビ、メインはたけし)は、当時のお化け番組『8時だョ!全員集合』 (TBS) を放送終了に追い込み、80年代のバラエティ番組の金字塔となった。
『オレたちひょうきん族』の人気コーナーで、たけしが主役のヒーローコント『THE タケちゃんMAN』は当時一世を風靡し、これにあやかって学校給食に「タケちゃんマンライス」なる料理が登場するようになった。
逸見政孝と組んで
逸見政孝と組んで、1991年10月『たけし・逸見の平成教育委員会』(フジテレビ系)をスタートし、裏番組の『クイズダービー』(TBSテレビ)、『おぼっちゃまくん』(テレビ朝日)を終了へ追い込んだ。
バラエティの黄金期
1982-1984あたりからTX気分はパラダイス等に出演している最中たけし軍団という弟子志願者(正式な門下は取らない主義の為“ボーヤ”と呼ばれる)の人数が集まって来た事から、集団で行うバラエティの展開を模索しNTV系スーパージョッキー、TBS系笑ってポン、お笑いサドンデス等と相まって各種のスペシャル番組にも取り組むも、まだファン層は新しいものを求める男性の大学生や若年層社会人に限られたコアな認知度だった。また博識が評価されTBS世界まるごとHOWマッチ等で文化人的な出演要請も増えて来た。
1985年から過去の経験や蓄積したアイディアからバラエティの黄金期を迎える。
NTV=スーパーJOCKEY
NTV=天才!たけしの元気が出るテレビ
ANB=ビートたけしのスポーツ大将
TBS=風雲!たけし城
TBS=OH!たけし
TBS=世界まるごとHOWマッチ
CX=おれたちひょうきん族
LF=オールナイトニッポン
当時のレギュラー番組全てであるが、このうちNTV ANB TBS CX全ての20時台を最高視聴率をマークした。尚、たけし城、元気、スポーツ大将は企画構成は全て 実質ビートたけし本人である。その他放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、“たけしの挑戦状”等のゲーム制作も行って おり、フライデー襲撃事件が起こる迄の期間はバラエティ時代の黄金期と言える
映画監督
映画監督としてのキャリアは1989年に監督第一作の『その男、凶暴につき』が深作欣二の降板に伴う代役として依頼が舞い込み実現する事となった。
元々漫才等でも、客観的な事象への醒めた視点を持ち、国際俳優としてのキャリアもあり、漫才や番組構成を経験し、何よりも浅草へ通うきっかけになったのも「映画をたくさん観たかった」と自ら語るほどの映画好きでもあったために、初めから監督指向であったのかも知れない。以前から日本の映画産業が産み出す作品のあり方や表現に強い違和感や不満を抱いており、また当時は週刊誌上で激辛タッチで映画評論を連載していた。
処女作のその男、凶暴につきは既存の刑事ドラマへの痛烈な挑発とも言えるほどリアリティを追求した意欲作となった。警察の実態はフライデー襲撃事件での逮捕時に直接観てきた事実を存分に盛り込んでいる。マル暴担当刑事はヤクザ顔負けのスタイルで、たけし演じる刑事も決して格好の良い物でもなく警視庁支給のジャンパーを着ている。窓から逃走した犯人が裸足でペタペタ逃げ、刑事も裸足で追うなど、リアリティを追求した描写が評価された。
演出では激しい暴力表現が話題になり、行き過ぎと思える平手打ちのシーンや犯人の犯行シーンをはじめどれも凶悪で新鮮な表現であった。犯人役の白竜の設定も甘党、落語好きの同性愛者で趣味的な殺人者という設定である。特筆される場面(犯人と道路反対でお互い気づかずにすれ違う場面)では路面が雨上がりで濡れ、テラテラと光る事で胸騒ぎを演出するシーンがあり、この辺りは黒沢作品からのインスパイアを感じさせる。
週刊誌の映画評論連載では現代の日本映画と評論家のあり方も斬っていた為に当然のようにたけしの処女監督作品は批判の矢面に立った。そこでたけしは批判をする評論家をまとめてTV番組に呼び、公開討論形式にして本人の眼前でたけし本人の映画を語らせた。しかし彼らは評論は得意でもTV慣れはしていなかった為に逆にTV慣れしているたけしにメッタ斬りにされてこき下ろされてしまう。この番組以来たけしの映画を迂闊に批判する人物は激減した。
1990年の2作目 3-4×10月ではあたかも前作で批判に晒された事で懲りたかのような評論を許さない程、謎めいたストーリーとなっている。タイトルも今以て意味が不明である。前作も不条理なエンドであったが、本作も引き続き生々しい暴力表現は盛り込まれているが、迂闊な評論をさせない問題作であった。
次作はそれまでの暴力的なイメージを一新し、聾唖者の可憐な恋愛悲(喜)劇と理不尽の存在を描いた『あの夏、いちばん静かな海。』ではそれまで北野作品=暴力という先入観から彼の作品を疎んじていた淀川長治が、この作品により彼に対する評価を180度変えて熱烈支持に至ったことを一つのきっかけとして、「映画も作るビートたけし」ではなく「映像作家・北野武」のイメージと評価が固まり始める。しかしやはりこの作品でも「リアリティの追求」と言ったテーマはやはり貫かれており、通常はハンディキャップを持った人間は他の事ではその分環境や境遇では恵まれて居ることもあるのではないか、という無根拠で甘い期待を主人公の理不尽な事故死で鮮やかに裏切り「現実は“死”は誰にでも平等に訪れるもの」と再確認させられる。この結果、ここでの暴力表現は表面上姿を出していないだけで本質的な形として直接生命に振り下ろされる「潜在化した暴力」として描かれていた事に気付かされる。
次作の『ソナチネ』はシネフィルや多くの批評家達から熱狂的な支持を得て、日本を代表する映画作家の一人としての地位を固めた。ここでもラストの印象的な不条理なエンドが印象的だ。
1994年のバイク事故(後述)で死に直面したことが作品の世界観に大きな影響を与えたと言われる。事故から生還し、『あの夏、いちばん静かな海』に続いて「ビートたけし」つまり「北野武」本人が出演しない作品である『キッズ・リターン』を発表(なお、ビートたけし自身が出演していない作品はこの二つと『Dolls』を合わせた三作品のみ)。人生に挫折した青年二人が高校生時代と同じように授業を無視して自転車で二人乗りして校庭を輪廻し、「オレ達もう終わっちゃったのかなぁ・・・」「バカ野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」と呟く日本青春映画史に残る名ラストシーンを撮影する。
この映画は3部構成で 1.漫才を志す高校生 2.さえない青年が無理目な女性に声を掛けるも意外な事に成就する。しかしその後にタクシー運転手となり、安泰と思いきや突如理不尽な結末を迎える。3.ボクシングを目指した二人の内、一人がヤクザの表面上の魅力に惑わされ道を踏み外す、しかし気が進まないで始めたもう一人がむしろ才能を評価されるもやはり悪い先輩の軟風によって道を踏み外す。この全てはビートたけしの人生の経験とイコールで本人の過去そのものである。現実では世間的に成功した自分を改めて20歳の頃に舞い戻らせ、当時関わった道をそれぞれ再度なぞり起こす作業がこの映画でもある。そしてなぞった後に現実の病室の自分に戻ると言う極めて内省的で私小説的な作品という解釈ができる。ここでのボクシングジムのシーンは現役ボクサーが観ても耐えうる作り込みで関係者を唸らせた。
その後『HANA-BI』がヴェネチア国際映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞したのを筆頭に国内のみならず世界各地において数々の賞を受賞しており、日本に留まらず世界レベルでも最も重要な作家の一人として認められている。フランスの権威ある映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』誌で北野武自身が表紙を飾った特集が組まれたことや、ヨーロッパでは大学の卒業論文に北野映画の研究を取り上げる学生もいるなど『キタニスト』と呼ばれる熱烈なファンも登場した。
本質的には一貫した作品を制作してきた北野武監督も、海外評価が高まるとこぞって賛辞を送り出す傾向の日本評論家がやはりここから評価を変えた。しかしその余録として松竹時代から独立系制作へ移行し、必ずしも商業的には成功していなかった厳しい状況がこの映画と評価から好転する事になった。その意味ではエポックで重要な作品である。
1999年作品菊次郎の夏では今は亡き父、北野菊次郎へのオマージュとして、またHANA-BIで成功した自分へ重要な区切りとして、マーケットを全く意識せずに、母さきが入院も存命中のタイミングで「今どうしても撮りたいシャシン」として、作品内ではあくまで映画作品としてシチュエーションをアレンジする中で幼年期の自身と、亡くなった父と同じ年齢を迎えた自分を重ね合わせ、亡き菊次郎と武少年を何でも叶える事の出来る映画と言う世界で引き合わせ、丹念に個人的な会話を編んでいる。
2001年作品BROTHERは初の海外ロケ監督作品である。HANA-BIでは欧州での人気を確実なものとしたが未だ北米大陸では評価されていなかったた為に、敢えて北米市場にチャレンジしたとも言える作品である。ここでは様々な定義のBROTHER=兄弟が交錯する秀逸なストーリーテリングであったにも関わらず、商業的には完全な成功を収めるには至らなかった。
2002年作品Dollsは「文楽が操る人間の道行き物語」と、実験的と言っても良いシチュエーションの作品でキッズ・リターン以来の複数の人間ドラマを同時進行させる構成である。インスピレーションは浅草修業時代に当時実在した、二人が紐で繋がっている乞食夫婦「つながり乞食」である。ここでは 1.振られたショックで自殺未遂のあげく精神に異常を来した女性と逃避行に走る青年 2.約束の場所で幾年も待ち続ける女と男の再会 3.最愛のアイドルが視力を失うと自分も後を追うファン 以上のストーリーが美しい日本の四季を通じながら描かれている。ただしメインは1. であり、文楽の操る世界であるかを象徴するように山本耀司の衣装が二人を現実離れさせている。ただし話題性が高かったにもかかわらず、ディテールにばかり注目される点と、とにかく冒頭の文楽が素晴らしすぎて全体のバランスを崩した不安定な作品の側面もあるものの北野監督作品の大きなターニング・ポイントであった。
2003年作品座頭市は前作より短期間で撮られた作品で、昔世話になった浅草六区の大勝館でたけしが「おかあさん」と呼ぶ、会長、斎藤智恵子(80)の誕生パーティー上で『頼み事があるけど、断っちゃだめ』と料亭に呼ばれ、頼み込まれた作品。勝新太郎の印象を避ける為に金髪で赤の仕込み杖、全体に貫かれる「青」のイメージとリズム感。エンディングのタップと全てに型破りの座頭市に皆度肝を抜かれた。浅草が全てを呼び覚ましたかのように、師匠深見千三郎仕込みの殺陣技術がここで存分に活躍する事になる。頼み込まれた企画で奇しくもこの結果、アメリカ人にも分かりやすい時代物であり、欧州はもちろん念願の北米市場での評価も相まって世界的な評価を獲得した。
2005年『TAKESHIS'』が詳細不明が話題なまま公開。
その他プロフィール
明治大学特別卒業認定者(2004年)。血液型O型。趣味は野球、音楽、映画、ゴルフ、数学の勉強。好きな食べ物はおにぎり、九州ラーメン、から揚げ、コロッケパンなど。星座は山羊座。
家族・縁戚
父の叔母で実質の祖母である北野うし(1877年生)は明治時代に娘義太夫の花形であった。長兄が宇野製作所取締役営業本部長の北野重一、姉を挟んで、次兄がタレントで明治大学教授、工学博士の北野大。妻は元漫才師の北野幹子(旧姓・松田)、娘は北野井子(しょうこ)。レーシングドライバーの松田秀士は義弟である。
事件
1986年12月9日にたけし軍団とともにフライデー襲撃事件を起こし逮捕(懲役6ヶ月、執行猶予2年判決(東京地裁、確定))。たけしのレギュラー番組で人気だった天才・たけしの元気が出るテレビ!!や痛快なりゆき番組 風雲!たけし城、スーパーJOCKEYの出演も謹慎のため半年間欠席した。襲撃した理由は当時たけしが交際していた女子大生にフライデー記者が校門で急襲取材をしたための報復と言われている。また、たけしを弟子の様に可愛がっていた横山やすしは「悪いのは、たけしやない!悪いのは雑誌『フライデー』や!」とフライデーの取材方法に対して痛烈に批判をした。
1994年8月2日午前1時40分。東京都新宿区の都道で飲酒運転での原付バイク事故を起こし、入院生活などで半年間ブラウン管から姿を消していた(反則点数7点、免許停止30日)。酒気帯び運転にて書類送検されるも起訴猶予。退院時、顔面は半分麻痺した状態だったが、リハビリにより回復し、復帰当時は「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」と自らの怪我をネタにした。また、たけしが司会を行っている番組は他の出演者が司会代理を行っていたが、平成教育委員会はたけしと仲の良い明石家さんま、所ジョージ、大橋巨泉が代理講師をつとめた。バイクで向かっていたのは当時交際しているという噂があった細川ふみえ宅だと言われている。
上記事故で生死の境を彷徨っていた時、たけしの夢の中に故・逸見政孝が出てきたという。たけしは、「あれは、まだ俺が死んじゃいけない。って逸見さんが言いに来てくれたんだろうな。」と、退院後のインタビューで答えた。
人物
ドラマ、映画に出演し、コメディアンとしてだけではなく、俳優として深みのある演技を見せる。また、情報番組の司会を数多くこなす他、ピアノ、タップダンスも行う。また、立川談志の門下生でもあり、「立川錦之助」という高座名ももつ。
日本の映画監督故・黒澤明とも会った事があり、たけしは黒澤を敬愛している。たけしのベスト映画は『七人の侍』である。
スポーツは野球・サッカー(Jリーグより以前の国内・海外選手に詳しい。)を愛好している。特に草野球チームとしての「たけし軍団」ではピッチャーを務めマウンドに立つこともある。野球をする時の彼は真剣で、軍団に本気で恐れられた。ファン感謝デーの余興の試合(軟式)とはいえ阪神タイガースに勝ったこともあり(1991年)、「阪神13位」とスポーツ紙をにぎわせた。
2004年9月7日、明治大学は、100単位以上を取得しながら何らかの理由で大学に行くことが出来なくなった人物(母さきはたけしの中退後も明大に学費を納入していた)に与える「特別卒業認定証」の第1号認定者とし、ならびに明大の知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を贈ると発表した。
東京芸術大学に2005年4月に新設された大学院映像研究科の教授および映画専攻長に就任した。監督領域の教授は北野武と黒沢清の二名のみである。
また、次兄の北野大も淑徳大学の教授だったので兄弟で教授となる。
大学が理系であった事からも分かるように、数学に対する造詣が深く、「もし道を間違えなかったら、数学の研究者になりたかった」とも語っている。また、かつて「ここがヘンだよ日本人」に出演した少女の、「数学なんか学んで何になる」という言葉に対し、「世の中の全ての現象は数学に支配されており、数学で説明できる」と反論した。しかし「平成教育委員会」の算数の授業で、「数学は答えさえあってれば良い」との理系出身者とは思えない理由で、論拠が誤っている正解者を優等生に選出した事もある。
2004年10月に長女の北野井子が調理師と入籍し、2005年3月9日に女児を出産し、たけしは「おじいちゃん」となった。しかし同年6月、離婚調停中であることが発覚した。また長男の北野篤もオフィス北野所属のタレント・たかだゆうことできちゃった婚をした。
「オレたちひょうきん族」の収録をしょっちゅう休み、そのたびに明石家さんまや島田紳助にネタにされた。来なかった理由を「オバケが出たから」と言い訳したのは有名。
「タモリと俺って言ったら20年くらい前なら嫌いな芸人のベスト3に必ずいる芸人だった、さんまもかつてはそうだったね。けど、今はみんな好きな芸人ベスト10に入っている。世の中不思議なもんだね。」と以前番組中に述べたことがある。
長年、パンツはブリーフ派であったが、体型を気にしてか、近年トランクスを履くようになった。
映画作品
監督作品
基本的に出演しているが、していない作品もある。出演の際は、ビートたけし名義で出演。原則として映画監督としての活動は北野武名義となっている。
その男、凶暴につき(1989年)
3-4×10月(1990年)
あの夏、いちばん静かな海。(1991年)
ソナチネ(1993年)
みんな〜やってるか(1995年)(ビートたけし名義)
キッズ・リターン(1996年)
HANA-BI(1998年、前年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞)
菊次郎の夏(1999年)
BROTHER(2001年)
Dolls(2002年)
座頭市(2003年、同年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞)
TAKESHIS'(2005年)
監督・ばんざい!(2007年)
出演作
戦場のメリークリスマスで注目される。映画監督となってからは、Johnny Mnemonicでハリウッド・デビューも果たしているが、バトル・ロワイアルなど、監督作品同様、その評価は賛否が分かれる。自分以外の作品に出演する際は監督に意見しない様にしているという。
ゆけゆけ二度目の処女(1969年、エキストラ出演)
まことちゃん(1980年、アニメ映画に声優で本人役カメオ出演)
すっかり・・・その気で!(1981年、初主演作品)
マノン(1981年、主演:烏丸せつこ)
戦場のメリークリスマス(1983年、大島渚監督、坂本龍一と共演、友川かずきの代役に選ばれた。)
十階のモスキート(1983年、崔洋一監督、内田裕也と共演)
コミック雑誌なんかいらない(滝田洋二郎監督、内田裕也と共演)
悲しい気分でジョーク(1985年)
夜叉(1985年、高倉健と共演)
教祖誕生(1993年、たけし原作、萩原聖人と共演)
Johnny Mnemonic(1995年、キアヌ・リーブスと共演)
Tokyo Eyes(1998年、ジャン・ピエール・リモザン監督、武田真治と共演)
御法度(1999年、大島渚監督)
バトル・ロワイアル(2000年、深作欣二監督)
バトル・ロワイアル 【特別篇】(2001年、深作欣二監督)
バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】(2003年、深作欣二・深作健太監督)
血と骨(2004年、崔洋一監督)
TAKESHIS (2005年)
主なテレビ出演番組
現在出演中の番組
世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)
たけしのコマネチ大学数学科(フジテレビ)
奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ)
ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)
最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学(ABC)
たけしの誰でもピカソ(テレビ東京)
チャンネル北野eX(フジテレビ721)
平成教育委員会スペシャル(フジテレビ)
過去に出演した番組
NHK総合
北野武の宵越しスーパートーク(1998年元旦、井上ひさし・諏訪内晶子・市川猿之助との対談)
日テレ
テレビに出たいやつみんな来い!!
Oh!たけし
スーパージョッキー
天才・たけしの元気が出るテレビ!!
ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
新橋ミュージックホール
世界超偉人伝説
TBS
たけしのお笑いサドンデス(お笑いサドンデス)
笑ってポン!
世界まるごとHOWマッチ!!
ギミア・ぶれいく
ドラキュラがねらってる
二百三高地
風雲!たけし城
ここがヘンだよ日本人
蝶々・たけしの21世紀まで待てない!
総天然色バラエティー 北野テレビ
フジテレビ
たけし・逸見の平成教育委員会(※この番組では北野武名義。)
FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(1987、90)→FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島91’→平成教育テレビ→FNSの日
1992年〜1996年は総合司会として参加、1987年は深夜に飛び入り参加。これによりBIG3が誕生した。また1992年の平成教育テレビの前日、笑っていいとも!に登場し、当時は明石家さんまも金曜レギュラーだった為、タモリ、たけし、さんまが正月のスペシャル、FNSの日以外で珍しく3人が集まったこともあった。1997年以降はFNSの日に登場する事はなくなってしまった。
ビートたけしのつくり方
FNNデイトライン特別版
たけしのここだけの話
北野ファンクラブ
北野富士
足立区のたけし、世界の北野
たけしの斉藤寝具店
タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ
FNS超テレビの祭典
たかじん胸いっぱい(2003年大晦日スペシャルにゲスト出演)
たけしの日本教育白書
北野タレント名鑑
テレビ朝日
ビートたけしのアイドルパンチ
ビートたけしのスポーツ大将
スポーツシャワー~ヒーローに花束を~
神出鬼没!タケシムケン
たけしの万物創世紀
たけし・所のWA風が来た!
ビートたけしの!こんなはずでは!!
たけしのポリスアカデミー
テレビ東京
気分はパラダイス!
主なラジオ出演番組
ビートたけしのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
街でいちばんの男 ビートニクラジオ(TOKYO-FM)
主な主演ドラマ
刑事ヨロシク(TBS)
学問ノススメ(TBS)
浮浪雲(TBS)
昭和46年 大久保清の犯罪(TBS)
説得 エホバの証人と輸血拒否事件(TBS)
忠臣蔵(1990年、TBS)大石内蔵助役
兄弟(なかにし礼原作:テレビ朝日)
火曜サスペンス劇場・鬼畜(日本テレビ)
実録犯罪史シリーズ 金(キム)の戦争 ライフル魔殺人事件(フジテレビ)
出演ドラマ
和田アキ子殺人事件(TBS)ビートたけし役
主な著作物
ツービート名義
ツービートの わっ毒ガスだ(1980.6.5 KKベストセラーズ)
もはやこれまで(1980.10.5 KKベストセラーズ)
ツービートの逆襲(1981.4.5 KKベストセラーズ)
笑ってゴマかせ(1981.12.5 KKベストセラーズ)
ツービートとどめの一撃(1981.8.31 徳間書店)
北野武名義
余生(2001.2.25 ロッキングオン)
孤独(2002.7.26 ロッキングオン)
時効(2003.9 ロッキングオン)
異形(2004.12 ロッキングオン)
光(2005.11 ロッキングオン)
武がたけしを殺す理由 全映画インタヴュー集(2003.9 ロッキングオン)
イチロー北野武キャッチボール(2003.7 ぴあ)
ビートたけし名義
たけし! オレの毒ガス半生記(1981.11.20 講談社)
ビートたけしのごっくん日本史(S57.10.25 リヨン社)(ゴーストライター作と言われている)
ビートたけしの変態志願(1982.12.5 KKベストセラーズ)
恐怖びっくり毒本(1983.8.5 KKベストセラーズ)
ビートたけしの幸せ独り占め(1981.12.5 オールナイト・ニッポン サンケイ出版)
ビートたけしの幸せになってしまいました(1982.10.20 オールナイト・ニッポン サンケイ出版)
ビートたけしの三国一の幸せ者(1982.12.5 オールナイト・ニッポン サンケイ出版)
ビートたけしの無条件幸福(1983.12.20 オールナイト・ニッポン リビングマガジン)
ビートたけしのニッチもさっちも(1984.12.15 オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)
ビートたけしの幸か不幸か(1985.12.16 オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)
ビートたけしの不幸中の幸い(1986.12.16 オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)
ビートたけしの全面幸福(1988.5.9 オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)
ビートたけしのその男幸せにつき(1990.1.5 オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)
ビートたけしの幸せ丸十年(1990.11.22 オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)
ビートたけしのウソップ物語(1983.9.1 話の特集)
ビートたけしのしまいにゃ笑うぞ(S58.4.10 スコラ/講談社)高田文夫との共著
ビートたけしのみんなゴミだった(S58.11.27 飛鳥新社)
午前3時25分(1983.12.10 太田出版)
ギャグ狂殺人事件(1984.2.25 作品社)(ゴーストライター作と言われている)高田文夫との共著
たけしくん、ハイ!(1984.5.1 太田出版)
たけし吼える!(S59.9.23 飛鳥新社)
あのひと(S60.8.20 飛鳥新社)
午前3時25分増補改訂版(1986.6.13 太田出版)
新・坊ちゃん(1986.6.19 太田出版)
KID RETURN(1986.12.8 太田出版)
少年(1987.11.12 太田出版)
浅草キッド(1988.1.24 太田出版)
教祖誕生 第一部(1990.12.10 太田出版)
仁義なき映画論(1991.11.25 太田出版)
場外乱闘(1992.9.12 太田出版)
こんな時代に誰がした! 場外乱闘2(1993.10.17 太田出版)
漫才病棟(1993.5.30 文藝春秋)
落選確実選挙演説(H6.6.15 新潮社)
顔面麻痺(1994.12.9 太田出版)
女につける薬(H5.2.10 祥伝社)
女は死ななきゃ治らない(H6 祥伝社)
それでも女が好き(H7.8.5 祥伝社)
愛でもくらえ(H11.2.10 祥伝社)
毒針巷談 (北野武名義)(1984.8.10 太田出版)
続毒針巷談(1985.9.30 太田出版)
続々毒針巷談(1986.10.1 太田出版)
新毒針巷談(1988.7.31 太田出版)
ビートたけしの世紀末毒談(1991.11.10 小学館)
ビートたけしの世紀末毒談 目には目を毒には毒を(1992.5.20 小学館)
ビートたけしの世紀末毒談3 (1996.5.1 小学館)
だから私は嫌われる(H3.6.10 新潮社)
やっぱり私は嫌われる(H3.12.20 新潮社)
みんな自分がわからない(H5.5.25 新潮社)
たけしの死ぬための生き方(H7.3.25 新潮社)
みんな〜やってるか!(1995.1 扶桑社)
たけしの20世紀日本史(H8.2.29 新潮社)
草野球の神様(H8.10.20 新潮社)
ザ・知的漫才 ビートたけしの結局わかりませんでした(1996.9.25 集英社)
私は世界で嫌われる(H10.2.20 新潮社)
たけしの「号外」!!(1998.5.11 洋泉社)
コマネチ!ビートたけし全記録 (1999.6 新潮文庫)
菊次郎とさき(1999.12.5 新潮社)
偽善の爆発 時事問題講義(H12.10.30 新潮社)
頂上対談(2001.10.20 新潮文庫)
ビートたけしの黙示録(2001.11.30 徳間書店)
写真集・関連本
武風 たとえば風のように(写真集)(1986頃 O.P.F.C)
たけし軍団(写真集)(1987.11.18 太田出版)
総特集=北野武そして/あるいはビートたけし ユリイカ2月臨時増刊(H10.2.20 青土社)
はっきり言って暴言です(恋愛・結婚・SEX)ビートたけしのTVタックル(1994.6.21 テレビ朝日出版部)
天才・たけしの元気が出るテレビ!! (1996.10.18 日本テレビ放送網)
たけしメモ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」10周年記念企画(1995.4.8 日本テレビ放送網)
北野まんぐり講座 足立区のたけし世界の北野 番組制作スタッフ編(1998.9.10 ソニー・マガジンズ)
奇跡体験!アンビリバボー 番組制作スタッフ編(1998.9.10 ソニー・マガジンズ)
北野ファンクラブ 編著・高田文夫 北野武監修(H4.5.30 フジテレビ出版)
音楽制作
主な歌唱作品
俺は絶対テクニシャン(来生えつこ作詞・遠藤賢司作曲)
BIGな気分で歌わせろ(柳川英巳作詞・大沢誉志幸作曲)
OK!マリアンヌ(大津あきら作詞・鈴木キサブロー作曲)
抱いた腰がチャッチャッチャッ(大津あきら作詞・大沢誉志幸作曲)
TAKESHIの、たかをくくろうか(谷川俊太郎作詞・坂本龍一作曲)
I'll be back again...いつかは(TAKESHI&HIROKI名義、関口敏行・伊藤輝夫(テリー伊藤)作詞・BABA作曲)
浅草キッド(ビートたけし作詞・作曲)
GOD BLESS YOU〜神の御加護を〜(ビートたけし&ザ・常夏's名義、ダンカン作詞・奥野敬士作曲)
嘲笑(ビートたけし作詞・玉置浩二作曲)
友だちじゃないか(ぢ・大黒堂名義、トータス松本作詞・作曲)
主な作詞提供
チポップ(宮沢りえ)
参加したテレビゲーム
たけしの挑戦状(タイトー)
ビートたけしを演じた人
小磯勝弥 NHK『たけしくん、ハイ!』(1985年)『続・たけしくんハイ!』(1986年)
天宮良 テレビ朝日『ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編』(1988年)
松尾銀三 フジテレビ『ちびまる子ちゃん』「まる子サーカスに行く」の巻(1996年2月4日)
ダンカン テレビ朝日『菊次郎とさき』(2001年1月6日)
水道橋博士 SkyPerfecTV!『浅草キッドの「浅草キッド」』(2002年4月26日)
岡嶋秀昭 ABC『ナンバ壱番館』島田洋七の回(2002年11月4日)
塚本高史 テレビ朝日『菊次郎とさき』(2005年)
ビートたけし 『TAKESHIS'』(2005年)
その他
東京スポーツ新聞社客員編集長
1999年フランス政府より芸術文化シュバリエ勲章授与。
明治大学特別功労賞授与(2004年)
東京芸術大学大学院教授(2005年より)
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