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桂 歌丸(かつら うたまる、1936年8月14日 - )は、落語家。社団法人落語芸術協会会長。神奈川県横浜市南区真金町の出身で、現在も同地に在住。血液型はA型。出囃子は『大漁節』。本名は椎名巌(しいな いわお)。

長らく、人気演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバーとして人気を集め、現在でも同番組の司会者として活躍している。古典落語の殆どの演目に精通し、本業の落語での評価も非常に高い。


人物
生家は横浜市中区(現:南区)真金町の置屋であり間近で芸者達を見て育ったためか、女の化粧風景を描写した「化粧術」の珍芸を持つ。『笑点』でも女装を披露する事が多く、2006年1月の『大笑点』では城島茂に伝授している。2000年12月に座布団10枚獲得記念で出した写真集も女装だらけである。
出囃子の『大漁節』は趣味の釣りに由来する。また、近年問題になっているブラックバスなどの外来魚放流問題に対しては怒りを露わにしている。
落語家としては古典落語、人情噺の名手として真打昇進間もない頃から高い定評を一貫して得てきた人物である。また、怪談噺については当代きっての達人と呼ばれるほどで、「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」など、CDやDVDに収録されている作品も数多い。テレビで落語が流れる場面が減少している中、笑点の演芸コーナーをはじめ、NHKなどでも毎年数回は彼の落語が放映される。
『浜っ子』であることを誇りにしており、そのためか、古典落語独特の江戸ことばは多用せず、しかし、美しい日本語で語ることをモットーとしている。噺全体の品がよく、多くの人に受け入れられやすい。次の世代の担い手である若手の日本語への意識(落語において江戸時代には成立していないが現在は一般化してしまっている言葉の使用など)を危惧している面もある。
古今亭今輔門下より桂米丸門下へ移籍したのは、当時芸術協会で勃発した香盤(序列)問題に端を発している。この一件で歌丸は破門状態となり、一時ポーラ化粧品本舗のセールスマンへ転職するが、3代目橘ノ圓の肝煎りでなんとか落語界に復帰。しかし、今輔が付けた条件により兄弟子の米丸門下となった(余談だが、米丸もまた『浜っ子』である)。
米丸一門の筆頭弟子ではあるが、芸風の違い(歌丸は今輔調といわれる)や米丸が新作一筋だったことから、米丸からは一つも噺を教わることは無かった。ただし、米丸に師事して間もなくレギュラーを数本もっていた米丸に歌丸は鞄持ちとして付き、放送局に出入りするようになる。また、米丸から当時彼が担当していたラジオ番組の放送台本の一部を任され、小咄やラジオコントを書き下ろす。やがては師匠のネタのアドバイザリーも務めるようになる。これらの経験が後々大いに役立ったという。
米丸に師事して米坊に改名したが、もう「坊」という歳でも無かろうと言うことで1964年1月に歌丸に再改名する。いずれも名付け親は米丸であり、また名前の由来も明らかにされていない。従って歌丸は当代が初代であり、名跡ではない。本人もまた何故自分が「歌丸」なのかは未だに知らない。
妻の名前は富士子。大喜利でもときたま悪妻として登場し、定番の笑いのネタとなっている。高座でも時折『女房殺害』ネタをしており、2006年の新春寄席では『後生鰻』という噺の結末「子供が川に放り込まれる」を鰻屋の女房(しかも富士子という名前)が川に放り込まれる結末に変えていた。ただし実際は私生活においても、健康面などで苦労の絶えなかった歌丸を支え続けてきた糟糠の妻であり、ほとんど世間に出ることはない。番組内の企画(大喜利座布団10枚獲得で、豪華客船に乗る)で登場した際にも後姿しか見せなかったが『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ)に歌丸が出演した際に顔写真が公表された。
コージー冨田に物まねされており、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の企画「ギャラHIGH&LOW」で共演したことがある。また、コージーが「笑点」の演芸コーナーに出た時にも飛び入りでやって来て、コージー冨田の頭を扇子で叩いた。正月スペシャルのお笑い芸人大喜利ではコージー冨田がものまねしたときにも飛び入りでやってきて座布団を渡し、その際に「これからはものまねをやる度に上納金を納めるように」と発言している(これは観客を喜ばせるためのパフォーマンスである。笑点の高座ではあまり楽しそうな表情を見せないが、「いつみても波瀾万丈」桂歌丸の回にて、ものまねしてもらえるのは嬉しい旨、コメントしている)。
2005年には、ネスレ・ジャパンのCM(ネスカフェ「匠」)で伊東美咲と共演(2006年現在も継続中)。同じ年、TSUTAYAのテレビコマーシャルにも出演。またコンピュータゲーム『がんばれゴエモン 東海道中 大江戸天狗り返しの巻』(コナミ)のナレーションも担当した。
2006年には、落語芸術協会が制作協力するアニメ『落語天女おゆい』に本人役として出演。この作品には富士子も登場、アニメ内でも尻に敷かれている。
海外での公演も数多い。過去にはカナダ・トロントでの公演などが行われている。2006年3月10日には、パリで海外公演を開催、日本語(フランス語の字幕付き)で「尻餅」を演じ、喝采を浴びた。11月2日には、ニューヨークで海外公演を開催し、同じく日本語(英語の字幕付き)で「尻餅」を熱演した。2007年5月にはメキシコ公演(三遊亭楽太郎との二人会)、11月にはインド公演が予定されている。
歌丸は好きな女優ときかれたら必ず答えは篠ひろ子と返答する。『(外来語に頼らず)ちゃんとした日本語で話す。しかもその品のよいセクシーさをだせるのは篠さんしかいない』とのこと。
笑点メンバーとはテレビCMでもたびたび競演しているが、ほとんどが罵倒合戦または因縁の相手である。
1970年代後半頃日清食品のCMで三遊亭小圓遊(故人)と。小圓遊とは「ばけ」と「はげ」と容姿で罵り合う相手であった。もっとも、これはテレビ・番組上のことで、小圓遊とは下積み時代の苦労を共に味わった親友といえる仲であり、1980年に小圓遊が急逝した際、歌丸は人目を憚らずに号泣した。
2006年には野村證券のCMで三遊亭楽太郎、林家木久蔵と。前者は「骸骨」または「ミイラ」と「腹黒」'と容姿・性格で罵り合う相手で後者は「与太郎(=バカ)ネタ」を使うので迷惑な存在である(8月からは同月6日に還暦を迎えた三遊亭好楽が加わった)。


経歴
1951年11月 五代目古今亭今輔に入門。古今亭今児を名乗る。
1954年11月 二つ目昇進。
1961年 兄弟子の四代目桂米丸門下に移籍。桂米坊に改名。
1964年 桂歌丸に改名。
1966年5月 日本テレビ『笑点』のメンバーとして出演(※1969年4月から11月までを除く)。
1968年3月 真打昇進。
1974年1月 横浜・三吉演芸場での独演会を開始。この頃から演目を古典落語にシフトする。
1989年 横浜市政100周年にて市民功労賞、同年芸術祭賞受賞。
1991年 横浜文化賞受賞。
1996年 神奈川文化賞受賞。
1999年9月 社団法人落語芸術協会の副会長に就任。
2004年2月 落語芸術協会の会長に就任。
2006年5月 三遊亭圓楽の降板に伴い、『笑点』の五代目司会者に就任。また、初の自伝「極上歌丸ばなし」をリリース。


笑点でのキャラクター
笑点への出演は、前身の「金曜夜席」時代を含めて通算40年を超えるという最古参であり、大喜利では特に三遊亭楽太郎から頭髪ネタ(主に禿)、死亡・葬式ネタで攻撃を受ける。両者が犬猿の仲のように思われがちだが、普段は楽太郎が歌丸宅を訪れて落語の議論をするなど仲が良い。落語の上では歌丸としても楽太郎としても二人会で共演する回数が最も多い相手であり、時には落語の間に対談も交える。なお、この犬猿の仲の設定は、1980年急逝した三遊亭小圓遊との間の設定を踏襲したものである。歌丸と小圓遊との主な罵倒合戦については、三遊亭小圓遊の項目を参照のこと。「毛がない」ことは自身でも認識しており、「儲けはない(もう毛はない)」と自ら発言したこともある。

林家木久蔵をいじってネタにすることがある。司会就任以前には、隣の木久蔵がくだらないネタを連発すると「よお〜、並び順かえようよ〜馬鹿が伝染(うつ)るよ〜」と前司会の三遊亭圓楽に訴えていた。また、近年は木久蔵が駄洒落ネタをやると、途中で遮り「○○○っていうんだろ?」等と先に答えを言う事が多い。

妻の富士子もネタのひとつ。ほとんどは恐妻ネタや殺害ネタである。自身が使うのに加えて他メンバーも用いる。ただし、歌丸が司会となってからは、富士子を侮辱する様な解答には座布団を取り上げる事が多い。また、三遊亭好楽の解答で「富士子!愛してるぞ!」と言わなければならなくなり(解答者の叫びを歌丸が「こだま」役として叫び返す、と言う問題であった)、解答途中であったが自ら問題を打ち切ってそのまま番組を終了させたこともある。


解答者時代
時折、政治を風刺した解答を織り込む事もあった。また、大きな態度で皮肉を言う事もあった。解答者時代は自己紹介の時に社会情勢を辛辣に批判した後「…って圓楽さんが言ってました」と締めた。これは現在はたまに好楽がネタとして使う。放送日が国政選挙の投票日の時は、「まだ間に合います。必ず投票に行ってください」と呼びかけた。

落語芸術協会会長だけに「会長→怪鳥=怪しい鳥」と喩えられることがしばしばあったが、これは2004年2月8日放送分(会長就任後初収録分であると思われる)の1問目で、圓楽が「カイチョウって、漢字で"怪しい鳥"って書くんだよね」と言った事が始まりである。その後、歌丸が「イヤ〜ンばかん」の踊りをした時に、圓楽から「怪しい鳥(怪鳥)だよ!!」と言われた。

地方収録の際には、「○○テレビ開局△△周年おめでとうございます。開局100周年の時にも私と圓楽さんは必ず参ります」などと挨拶していた。

また、圓楽をヨイショする事もあった一方で、「司会奪還」「若竹の借金」「居眠り・睡眠」「馬」などをネタに罵倒する事が多かった。他のメンバーが圓楽を罵倒しても座布団を取られるケースは少なく、その心意気に免じてか逆に与えられる事もあったが、歌丸の場合は取り上げられる事が大半であり、2〜3枚、甚だしくは全部取り上げられる事もあった(楽太郎も取り上げられる事はあったが、歌丸ほどではない)。圓楽を罵倒する事が多かったのは、自分が罵倒された時に罵倒した側が座布団を貰えるケースが多かった事と、自分が何も関係ないのに、イチャモンをつけられて(「座布団が多すぎる」など)座布団が取り上げられた事があったからである。


司会時代
司会就任以降は、自分の悪口、殊に「死去」ネタを言われると基本的には座布団を全部没収。楽太郎等が5枚〜6枚座布団をためて死亡ネタを言うと大概没収が通例になっている。死亡ネタ以外にも楽太郎の「やるかじじい」も全部没収の対象になっている。他メンバーが「歌丸死亡ネタ」を披露して楽太郎の座布団を獲得しても剥奪の対象になっている。
大喜利冒頭の解答者及び山田隆夫の紹介では『○○なメンバーのご挨拶からどうぞ』といった罵倒を織り交ぜた紹介をしている。最初に挨拶する三遊亭小遊三がそれに突っ込みを入れることが多い(まれに同意することもある)。
特に楽太郎が死去ネタを披露すると「あたしが逝く時はあんたも必ず道連れにする」と返すこともある。罵倒された後、他のメンバーが歌丸を罵倒したメンバーを罵倒すると「敵を討ってくれた」と与えることが多い。
また、圓楽は自分を含めた罵倒ネタを披露した方から取り上げるケースが多かったが、歌丸は罵倒したほうに与えることがある。座布団運びの山田隆夫を罵倒した林家たい平に与えるケースが良く見られる。特に楽太郎・木久蔵を罵倒するネタには顕著である。もちろん歌丸罵倒ネタの場合は没収となるが、自分と他のメンバー(特に楽太郎・木久蔵)が同時に罵倒された場合は座布団はそのままのこともあれば、与えることもある。楽太郎が歌丸と木久蔵を同時に罵倒した際は、「これは(座布団を)やろうかやるまいか微妙だよね」、「木久ちゃんでやめとけば座布団3枚あげたけど、もうチャラ」など。罵倒された山田が独自の判断で取り上げた時には、司会者判断で回復した上で更に1枚追加することもある。これは、特にたい平について見られる。
一方では圓楽以上に媚に弱く、解答者が歌丸を称えると、「その心があざとい」等と評しつつも必ずといっていいほど座布団を与え、一気に2〜3枚与えることもある。圓楽の場合は賞賛が過ぎると逆に取り上げるが、歌丸は何度褒められた場合でも与える。初の司会で林家たい平が歌丸を称えた時には3枚与え、楽太郎が「圓楽師匠でも2枚だよ」と咎めると、「いえいえ、私は心の広い男」と応えた。
基本的に、解答者時代から政治・時事風刺ネタを好みとしていることもあり、解答者が風刺ネタでうまい解答を行うと、ほぼ確実に座布団を与える。但し、元々インテリ然とした楽太郎の解答については評価が渋く、なかなか与えない。
古典落語に精通しているところから、解答者が落語のネタを使って解答した場合には、それを鋭く指摘して座布団を取り上げる。また、解答者が歌を歌った場合、座布団を没収する場合が多い。「歌は禁止しますから」と釘をさすこともある。他にも司会者無視でも座布団の没収になっている。
指名の基本は解答者の名前に「さん」をつけたもの(小遊三は、2005年11月20日放送の笑点で、木久蔵が「副会長」と指名してから、そう呼んで指すことがある。これに対し小遊三はほぼ必ず「便所でお尻を拭く(副)会長」と返す。また2006年4月30日の放送では、3問目の問題にちなんで「泥棒」と指すこともあった)。かつて隣だった木久蔵や楽太郎には、「木久ちゃん」や「楽さん」といったあだ名で指している(但し全てではない。例えば2006年8月13日放送分の第1問では、木久蔵に対し「脳のない人」など。また、代々木アニメーション学院の学院長に就任した楽太郎に対し「学院長」と指したりもしたが、これは挨拶のときに楽太郎自ら、「学院長と呼んでください」と発言したためである)。また、落語芸術協会の会長に就任以降、悪口を言われる際に「俺は会長だぞ」と権威を振りかざす場面が時折見かけられる。
司会者としてはテンポのよい受け答えや解答メンバーの答えに対する当意即妙な返答が人気を呼び、番組中でも解答メンバーから「座布団1枚」と声がかかることも多い。解答者から司会者に繰り上がったため他のメンバーから解答メンバーと同等の扱いを受けているためである。特に席の一番近い小遊三がよく歌丸をネタにし、罵倒ネタを披露するほかに、歌丸を相手に男色の気を示しては思い切り引かせるのもパターンである。
自身が言った「一度でいいから見てみたい 女房がヘソクリ隠すとこ」はコージー冨田のものまねによってあまりにも有名である。
2006年5月、「腰部脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」の手術のため、神奈川県の病院に入院(司会就任に伴い今後の進行に差支えがない様手術したとのこと)。しかし「笑点」の司会が収録済みの時に行ったため、番組を休むことはなかった。手術後の麻酔から解けた第一声は「タバコは?」だったとかで、周りにいた者は唖然としたらしい。また、2001年2月12日の放送では、急性腹膜炎の開腹手術を終えてすぐの収録で、座布団の枚数による上がり下がりに身体的負担がかかるため、座っている自身の前に座布団を積み重ねる型式をとった。が、この日の放送は司会の三遊亭圓楽が大喜利2問目終了後、「おひらき」宣言を行った放送でもある。また2004年12月26日の大喜利の挨拶で三遊亭小遊三が「4年前の今日12月26日忘れもいたしません。あの歌丸師匠が腹膜炎で救急車で運ばれたのです。ひょっとすると今日が命日になったはずです。惜しかったですな」と挨拶した。


声優
落語天女おゆい(桂歌丸)
がんばれゴエモン 東海道中大江戸天狗り返しの巻(ナレーション?)


映画やドラマ等
爆笑野郎 大事件(1967年)東宝
落語野郎 大爆笑(1967年)東宝
トラック野郎 男一匹桃次郎(1977年)東映 なおこれには小圓遊も出演している。
フードファイトスペシャル 〜深夜特急死闘編〜(2001年9月29日放送)
半落ち
暴れん坊将軍VIIシリーズで、め組の子頭 卯之吉(三遊亭楽太郎)の父・治助役として出演した。
一度だけ歌丸と楽太郎の罵倒合戦がある。


CM
au by KDDI 「簡単ケータイS」 『公園トーク篇』 (宇津井健と共演 2007年3月 - )
野村證券(株券電子化篇、林家木久蔵・三遊亭楽太郎と共演、2006年8月からは三遊亭好楽が加わった)
ネスレ・ジャパン 「ネスカフェ サンタマルタ オレ」「ネスカフェ 匠」(伊東美咲と共演。ナレーションも務める)
TSUTAYA(TSUTAYA・Tポイントカード)
日清食品「そばぎり」(三遊亭小圓遊と共演。1970年代後半頃)
東京都「都民を守る安全対策」として、高齢者被害防止について「振り込め詐欺防止」編(警視庁版)、「悪質商法防止」編(生活文化局版)に出演(歌丸自身は神奈川県民である)。


著書
「極上歌丸ばなし」(編者:山本進、発行元:うなぎ書房、2006年)


一門弟子
桂歌春(※2代目桂枝太郎の死に伴い移籍)
桂歌助
桂歌若
桂歌蔵
桂花丸

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