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【完全ヒモ生活マニュアル】の技法!
▼対決&罰ゲーム
∵NYの坂本龍一宅までシャープペンを取りに行く
∵松本のおかんとタイタニック
∵今世紀最大夢のゴルフ対決2+24時間浜田雅功営業中
∵100m走対決+24時間耐久鬼ごっこ
∵競泳50mリベンジ対決+一人ぼっちの廃旅館一泊二日
∵世紀の走り幅跳び対決+早朝松本レンジャイショー
∵ノーリアクションパイ地獄
∵4対1変則ボウリング対決
+絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅
∵ウラジオストクのウラジオストク中学の
体育館裏で裏番長に裏拳で殴られてくる
∵わさび寿司ロシアンルーレット対決
+絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅in湯河原
∵ビリビリコンセント・ロシアンルーレット対決
+絶対に笑ってはいけないハイスクール
∵タライアンルーレット対決+絶対に笑ってはいけない警察24時
∵第ニ回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵年末恒例・紅白ハイテンション合戦
∵お笑いドラフトハイテンションバトル
∵第五回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第六回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第七回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第八回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵第九回ハイテンション・ザ・ベストテン
∵ハイテンションスペシャル
∵板尾創路勝手に七変化
∵ヘイポーホラー七変化
∵次長課長河本七変化
∵ボブ・サップ七変化
∵構成作家堀部圭亮七変化
∵千原兄弟千原靖史七変化
∵ココリコ田中直樹七変化
∵くりぃむしちゅー有田哲平七変化
∵フットボールアワー後藤輝基七変化
∵腰フリおばちゃん七変化
∵FUJIWARA藤本敏史七変化
∵フットボールアワー岩尾望七変化
∵ふかわりょう七変化
∵大友有一ディレクター七変化
∵木村祐一七変化
∵雨上がり決死隊宮迫博之七変化
∵千原兄弟千原ジュニア七変化
∵磯俣拓生マネージャー七変化
∵雨上がり決死隊蛍原徹七変化
∵ココリコ遠藤章造七変化
∵菅賢治プロデューサー七変化
∵品川庄司品川祐七変化
∵ジャリズム山下しげのり七変化
∵山崎邦正七変化
∵つっつん八変化
∵中村喜伸プロデューサー七変化
∵構成作家高須光聖七変化
■ダウンタウンのごっつええ感じ
メンバー
オール巨人(オールきょじん、1951年11月16日-)
大阪府大阪市天王寺区出身。大阪商業(現・大商学園)高等学校を卒業。
本名:南出繁(みなみでしげる)
身長:184.3cm
体重:84kg
愛称:モンスター
大のタバコ嫌いで有名。弟子がタバコを吸っていると注意し、やめさせるという。しかし、タバコとは対照的に酒が大好きである。
1990年代に口ヒゲを生やしていたが現在は剃っている。(吉本では原則としてヒゲを生やす事を禁止しているという決まりがあったといわれている。)
高校時代は陸上競技部に所属し、三段跳の選手として活躍。元祖筋肉芸人としても有名。リンゴを素手で握りつぶすなど、数々の最強伝説を持っている。現役時代の元大関若島津に腕相撲で勝ったことがある。現在でも、自宅にあるジムでのトレーニングは欠かさないという。
娘の南出一葉は吉本新喜劇の劇団員、長男の南出仁寛はタレントである。
2007年に大阪で開催される第11回世界陸上選手権大阪大会の有識者会議委員を務める。
ゴルフの腕前はプロゴルファー達でも脱帽をさせるほどの腕前である。
巨人ファンではなく、阪神ファンである。
最近は後輩芸人の指圧野郎にモノマネされており、巨人は彼を気に入っている。
オール阪神(オールはんしん、1957年3月7日-)
大阪府泉大津市出身。成器(現・大阪学芸)高等学校を卒業。
本名:高田昭徳(たかだあきのり)
身長:161.2cm
体重:80kg
釣り好きで有名。サンテレビで自身の釣り番組『ビッグフィッシング』を持ち、同局の長寿番組の一つとなっている。
離婚歴がある。また、現在のよしみ夫人との間に男児がいる。2006年現在、小学生である。
芸名は「阪神」であるが、プロ野球には全くと言っていいほど、興味が無い
車にポピーのCMでその高音には定評がある。
ものまねだけでなく、NGKでの吉本コメディに老婆役で出演するときは、ワハハ本舗の梅垣義明が鼻から豆を客席に飛ばすように、口にピンポン玉をくわえて客席に吹き飛ばすやや下品な芸も披露する。
来歴
2人は素人時代、個々に受けたオーディションでの審査員の勧めがきっかけで「マネマネゴンスケ・マンスケ」という漫才コンビを組み、ともに落語家の三代目林家染三に弟子入りする(高座名は巨人は林家三喜、阪神は林家三六)。1974年にオール巨人が吉本新喜劇入りするために故岡八郎に入門、その後1975年に高校を卒業したばかりのオール阪神も岡八郎門下となり、半年間の弟子生活を経て、同年「オール阪神・巨人」として漫才デビュー。デビューの同期には明石家さんまや島田紳助・桂枝織(現在の桂小枝)がおり、紳助は「プロ野球に例えるなら阪神・巨人はドラフト1位、自分やさんまはテスト生みたいなものだった。」とデビュー当時を振り返っていた。結成当初はコンビ仲がかなり悪かった。当時ヤングタウンで共演していたやしきたかじんは二人の仲の悪さに困り果てており、阪神・巨人それぞれに諭していたという。トーク番組などで明石家さんまや島田紳助などと共演した際にその事を指摘されたりもした。
漫才のスタイルは正統派のしゃべくり漫才で、ボケ役とツッコミ役はネタや場面によって入れ替わる。初期は素人時代のコンビ名が物語るように声帯模写も多く取り入れていた。また、テレビでは一切放映しない劇場限定のネタも有している。
上述の経歴、後述の受賞歴にも表れているように、若い頃から正統派芸人としての評価が非常に高く、島田紳助は若手時代の彼らを見て、「阪神巨人が日本ダービーを目指すなら、俺は中山大障害を目指そう、邪道を極めようと思った」と語っている。
前述の通り、オール巨人は大の阪神ファン、オール阪神は野球には興味がないが、強いて言えば巨人ファンらしい。 東京には、最近はオール巨人単独で出ることが多くなっている。
巨人自身は「壮絶バトル!花の芸能界」(日本テレビ系列・木曜19時枠全国ネット時代)に出演し、猿岩石(現在・解散)の不仲に関して、「お笑いコンビは元々、水と油なんですよ」、「阪神と一緒にいても、彼は歩くの遅いから見てるだけでもムカムカしますね」と、阪神とのエピソードと今のお笑いコンビの実情を語ったこともあった(ただし実際は、巨人・阪神の両家族で旅行に出かけるなど、仲は良いようである)。
エピソード
スパルタ育成
オール巨人は吉本の中でも、弟子に対する礼儀作法や仕事への取り組みの教育がとりわけ厳しく、板東英二の様に時間や服装等のマナーに関しても厳しく、蜷川幸雄の様に妥協と甘えを一切許さない厳しい指導で有名である。そのスパルタぶりに思わず逃げ出してしまった若手は数知れず、間寛平もトーク番組で「ちょっと、厳しすぎるんちゃうか?」と苦言を呈したほどである。松本人志は「"芸人"ではなく"軍人"」と評していた。
弟子に対しては、ほんの些細なミスも許さずに体罰を加えることがある。また、遅刻すると強制的に丸坊主をさせられるなどの罰があり、こうした育成方法に批判の声もある。
読売テレビの「EXテレビ」の公開弟子審査会という企画で、当時素人だった有吉弘行(元・猿岩石)が合格し巨人に弟子入りした。しかし、巨人の威圧感に緊張しすぎたのか、有吉のたどたどしい言葉遣いに「お前がしゃべると腹が立つわ!」と激怒し、わずか半年で破門にしてしまった。
巨人は門下時代のときに、師匠の岡に対してミスを絶対に犯さなかった。もちろん遅刻は一度もせず、師匠のあらゆる指示を完全にこなし、岡も大絶賛していたという。本人が語ったところによれば、たとえば大阪近県での営業の際は、前日に営業先までの道を実際に走ってみて、岡が腹を空かすタイミングを考えて、どこに食堂等があるかをチェックし、もし適当な食堂がなければ弁当を事前に用意するなど、その気配りと綿密な準備は巨人自らが尊敬している横山やすしが横山ノックの門下時代に修行をしていたのとほぼ同じであり、他の弟子もそこまでできないというレベルだった。
ただ、かつて一度だけ、岡の車を一人で運転をしていた際に交通事故を起こしたことがある。この時、大事になれば週刊誌に岡八郎の名前が載ってしまい、師匠の芸能活動に支障が出ると思案に暮れていたところを、岡に「自分の名前が載ってもかまへんから、警察に起きた事実を言うて来い」と言われたという。その言葉通りに警察に出頭したところ、実は事故の相手が免停中にも関わらず車を運転していたことが判明し、巨人は破門を免れることになった。後年この出来事を振り返り、「師匠にあの時許してもらえなかったら、今のオール阪神・巨人はなかった」と語っている。それだけに岡に対する尊敬の念は深く、岡の葬儀においては人目もはばからず号泣していた。
また、岡の舞台復帰の際は、娘との漫才のサポートを懇願され、事故の後遺症でなかなか台本を覚えられない岡にダメ出しをするなど、漫才に対して厳しい姿勢を見せながらも、衰えた師匠の姿に密かに号泣するなど、深い師弟愛と芸に対する厳しさの両面を見せた。ただし、岡が亡くなる直前に巨人のことを「南田くん」と呼んだことがいまだに心に引っかかっているという。後々に「師匠、僕は南出です・・・」とカメラの前で寂しそうにコメントを残したことは有名。
中でも許さないのが「有名になったとたんに生意気になる、天狗になる」芸人である。このため一時期、トミーズ雅(有名になりたての頃は相当な天狗ぶりだった)との確執がテレビや週刊誌で話題となった。巨人が「さんまのまんま」で実名こそ出さなかったものの「我慢ならん!」と発言したり、事あるごとに番組などで明石家さんまが雅に「巨人と仲良くしぃやー」と言っていた事等もあった。
ちなみにトミーズ雅は元日本ミドル級ランカーであったが、オール巨人は「一戦も辞さない」覚悟であった。
また、トミーズ雅と同期のダウンタウンに関しては「浜田は昔も今も非常に礼儀正しい。松本は最初から(無名の時から)生意気だった。だから認めている」と述べている。
幼い阪神の息子は「巨人のおっちゃんは恐い」と語る。
巨人の弟子育成の厳しさは故横山やすし、チャーリー浜、中田カウスらと肩を並べるほどだと言われているが、この三名が私生活等での姿勢から「弟子には厳しいが自分には甘い」という批難を浴びる一方、巨人は上述したような完璧主義者であるからか、「弟子にも自分にも厳しい」と(その教育手法の賛否は別として)内外から一目置かれている。
かと思えば、自らの『スパルタ師匠』のイメージを生かしたドッキリ企画に参加するという、茶目っ気溢れる一面もある。「ダウンタウンのごっつええ感じ」の全編大阪ロケのスペシャルで、ほんこんをはめるドッキリが企画され、NGKの舞台に客を入れてほんこんがホスト役のトークショーをやるというもので、ゲストが阪神巨人。番組が始まる前からベロンベロンに酔わされていたほんこんは番組中もグダグダで、逆に巨人は番組を成立させようと気を使うが阪神が怒って番組中帰ってしまう。阪神の激怒を目の当たりにしたほんこんは一気に酔いが醒め、巨人の楽屋に謝罪に行くがこっぴどく怒られる。もちろん阪神と巨人は企画を全て理解した上での演技だがほんこんは泣いてしまい、多くの視聴者の爆笑を誘った。
「最近は後輩とあまり食事が出来なくて寂しい。誰からも連れてってくれといってもらえない。時代かなぁ。」と「ヨシモト∞」(2006年8月9日)で語った。「恐れ多くてこちらからは声がかけられないからです」と言ったMCのオリエンタルラジオをその場で食事に誘った。
上記から厳しい巨人ではあるが、オリエンタルラジオの代表的なネタ「武勇伝」を「かなりの稽古を積んでいる。」と巨人としては珍しく高く評価していた。
島田紳助との仲は良いが、ライバル関係でもある。巨人が自分より先に新居を建てた時、かなり悔しがったという。が、その1年ほどの後、巨人の家の隣に新居を構えていたのが、他ならぬ紳助であった。また、家のローンを組んだ際、巨人とほとんど同額にもかかわらず返済期間が巨人より短かったので、「よくよく考えると、銀行はオレより巨人の方が(芸人として)持つのだろうと考えたのでは?」と悔しがったという。
ガチンコ漫才道
TBSの「ガチンコ!」のコーナー、「ガチンコ漫才道」で講師を担当。元々、“やらせ”が多いと言われていた「ガチンコ!」で、巨人自身が“やらせ”を絶対にしないことを条件に講師を引き受けたという。
しかし、初回の出場者の大半が礼儀を欠いていたため、巨人が激怒して参加者全員が不合格となった。この時「お前ら、俺の弟子やったらパンパンやで」という言葉を残している(ナインティナインの岡村隆史によると、これは「ボコボコやで」と言おうとしたところ、誤って「パンパンやで」と言ってしまったらしい。しかし「パンパン」でもビンタ(張り手)の音を表しており、脅し文句としてはあながち間違っているものではない)。この後再度募集をかけた結果、礼儀が比較的きちんとしている芸人が集まったが、ここでも活躍していることを理由にビッキーズが強制的に出場を辞退させられるなど、漫才道は波乱の船出となった。
服装や髪型にも厳しく、出場者に「そのスーツの下のボタンははずした方がええんちゃう?」「キミは髪を切りなさい」など細かく注文を付けた。また、お笑いでよく使われる“客いじり”を禁止させたりするなど、あくまでも漫才の正統派路線を出場者に対して叩き込んでいた。
漫才の審査においては、あまりにも不甲斐ない出場者の漫才の出来に、観客を目の前にして怒鳴りつけたこともあった。その光景は、お笑いの会場とは思えないほどの修羅場であった。
漫才の審査だけでなく、くじ引きでハズレを引いた芸人は即刻不合格になるという審査も行った。「この漫才の世界は運も必要」との考えからだというが、この方法に対して理不尽で非情すぎるという声もあり、賛否両論となった。
この漫才道から、足軽エンペラーが優勝した。その後、解散するも当時コンビだった山里亮太は、しずちゃん(山崎静代)と新たに南海キャンディーズを結成。M-1グランプリ準優勝で早くも東京進出を果たした。このほかに、レギュラー、天津などのコンビを輩出している。
お前とは一生○○せん!事件
同期の明石家さんま、島田紳助とお好み焼きを食べに行った際、巨人はさんまの作り方にいちいち文句をつけ、最後には「お前の食べ方は汚い」とまで言ってしまったため、さんまから「お前とは一生お好み食べん!」とキレられた。
なんば花月の楽屋の風呂に入った際、紳助が先に入っていて、体を洗っていた。その後、紳助が湯船につかったのを見た巨人は、「首の後ろが洗えてへん」との理由で紳助を湯船から引きずり出したため、紳助から「お前とは一生風呂入らん!」とキレられた。
これらの話は、阪神・巨人が「いつみても波瀾万丈」に出演した際に紳助がインタビューVTRで語っていたものである。彼らが同期であったことから考えると、話そのものは嘘ではないにしろ多少の誇張が加わっているものと思われる。(ただ明石家さんまも、巨人について同様のエピソードを語ることがしばしばある)
巨人改造計画
ナンバ壱番館の初期の企画で普段から厳しいとされるオール巨人を垢抜けさせようと赤フンドシ一丁で街に繰り出したり、かぶり物を着せたり、テレクラに行って女の子を口説くなど普段の巨人なら絶対しないことを番組内で行った。巨人を知る芸人仲間や身内はテレビを観たときに大変驚いたらしく、シリーズで何度か放送され評判が良かった企画である。
阪神の十数年越しの結婚式
前述の通り阪神には離婚歴があり、現在の夫人とは再婚である。 ただし、再婚時に結婚式は開かなかった。夫人が酒の席で飲み仲間であるやしきたかじん(たかじんは阪神・巨人ともデビュー当時からの付き合いで大変仲が良い)に「結婚式を挙げたい」と言ったのがきっかけでたかじんがプロデュースでハワイで挙式を開いた。(挙式はたかじんONEMAN内で放送された)
受賞歴
上方漫才大賞 1976年/第11回 新人賞
上方漫才大賞 1981年/第16回 奨励賞
上方漫才大賞 1982年/第17回 大賞
上方漫才大賞 1983年/第18回 大賞
上方漫才大賞 1985年/第20回 大賞
上方お笑い大賞 1976年/第5回 銀賞
上方お笑い大賞 1980年/第9回 金賞
上方お笑い大賞 1985年/第14回 大賞
花王名人大賞 1982年/第2回 漫才部門・名人賞
花王名人大賞 1983年/第3回 漫才部門・名人賞
花王名人大賞 1984年/第4回 名人賞
花王名人大賞 1986年/第6回 名人賞
花王名人大賞 1987年/第7回 花王名人大賞
日本放送演芸大賞 1983年/第11回 奨励賞
花王名人大賞 1985年/第5回 最優秀名人賞
大阪府民劇場 1986年/昭和61年度 大阪府民劇場奨励賞
NHK上方漫才コンテスト 1975年/第6回 優秀話術賞
レギュラー番組
バラエティー生活笑百科(NHK総合)
阪神競馬場リニューアル記念ポスター(JRA日本中央競馬会)
巨人ソロ
っちゅ〜ねん!(毎日放送)
なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!(ABCテレビ)
阪神ソロ
たかじんONEMAN(毎日放送)
ラジオよしもと むっちゃ元気!月曜(ラジオ大阪)
ビッグフィッシング(サンテレビ)
よしもと麻雀倶楽部(サンテレビ)
音楽作品
巨人ファンここにあり(巨人以外は野球じゃないぜ)/阪神ファンここにあり(俺もお前もタイガース)(1976年発売)
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